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韓国ドラマ『ナビレラ』で体感する、愛する技術

・たいていの人は愛の問題を、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。

・愛の問題とはすなわち(愛するにふさわしい相手、あるいはその人に愛されたいと思えるような相手を見つけるのが難しいという)対象の問題であって、能力の問題ではない、という思い込みをしている。

世界的ベストセラー『愛するということ』からの抜粋(要約)である。

「おじいさんがバレエを始めるらしい」。サスペンスやラブコメではない韓国の連続ドラマ、ちょっと珍しいな、と思い、ほぼ前情報なしで見始めた『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』。

踊りに夢を見いだした70歳の老人と、才能あふれる23歳の青年。厳しい現実に直面しながらもバレリーノを目指す2人の間に、やがて強いきずなが芽生え始める。(NETFLIX HPより)

結果的に、最終回では大号泣してしまい(エピソード7くらいからは、ずっとじんわり泣いていた気もする)、情緒が大いに乱れるゴールデン・ウィーク初日となった。

おじいさんとバレエの関係には、「その年齢で始めるの?」「男のくせにバレエ?」という2つの障壁がある。30代半ばでメイクを始めることにした筆者の連載を担当しているので、そのヒントがあるのではないかという邪(よこしま)な気持ちもあった。「人が何かを始めるに、遅いということはない」というメッセージや、強固な家父長制やジェンダー観への問いかけ、はもちろんきちんと描かれていた(そこも大満足)。

けれど、私が号泣しながらも思い浮かべたのは、冒頭のエーリッヒ・フロムの『愛するということ』だった。

青年から教わるバレエという技術を通し、おじいさんはそれまで押し殺してきた自分を解放する。そして、青年は愛する技術をおじいさんから会得し、自分の中の空虚感を埋めていく。

『ナビレラ』という最高のブロマンス(「Brother」と「Romance」を掛け合わせた造語)を通し、友愛、母性愛、恋愛、自己愛…「愛する」には技術が必要だとフロムが語った真理を私は体感したような気がする。



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