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何でも良い悪いで判断するクセ

昨日は”いつメン”(古い?仲間のひとりが言っていて久しぶりに使ったな、この言葉(笑))のコーヒー仲間であり、友だちたちと高尾山周辺と福生市の方面にあるコーヒー屋さん巡りやらご飯食べに行った1日でした。行ったコーヒー屋さんは知り合いのところだったり、初めましてだったり、コーヒー業界のつながりって濃いな〜と感じる。
コーヒー屋さんって、オーナーによってお店の雰囲気も大きく変容するし、個性が出る。コーヒーと焼き菓子、コーヒーとクラフトビール、コーヒーと音楽、コーヒーと服。自分の好きなものとコーヒーを掛け合わせて、これがコーヒーの良さだな〜と思うし、わたしが”コーヒーがある環境”に魅力を感じる理由のひとつでもあるんだなと書きながら思いました。

ってな感じで、今日はなんでもかんでもジャッジしたがる思考グセの話。
わたしたちの脳は、何に対しても”良い”や”悪い”と評価をしたがります。なんとなく日本人はそれが強い気がしますね〜
「空気を読めないと悪い」
「気をつかえる人は良い人」
「愛想がないと良くない」
「仕事が遅いのはダメな人」
同じ一面でも場所によっても評価の仕方が変わったりもするんだけど。

その良い悪いで考えるクセは、緩めていったほうが断然生きやすいと思います。たいていの人は、なるべく”悪い”を選ぶと周りから嫌われるから、”良い”ばっかりを選ぼうとするとするんだけど、そしたらその人らしさや、魅力まで消してしまうんですよ。
だいたいその良い悪いって何基準の良い悪いなの?って話で、大半が”世間的”とか”一般的”の基準だと思うんです。
なんかメディアで言われていたり、ファッション雑誌やマンガとかに書いていたり、さらには周りの人が言っていたら「こうすると悪いんだ」って思い込んでしまいますよ。その環境に身を置いていたら、すり込まれて、無意識に良い悪い思考グセが出来上がっていく。それはあらがえないから仕方がない。

世間的に、一般的に、良い悪いとされるものを基準に生きていくと、世間からは何も言われないのと引き換えに、自分の人生への生き甲斐を失います。生き甲斐とは何かというと、”生きるに値するだけの価値”、”生きていることの喜びや幸福感”それらを失ってしまうんだよね。ちょっと大袈裟に書いている気もするけど、本当にそうだなと思います。

わたしは、ニュージーランドで4ヶ月くらい働いたレストランがあったのですが、そこでプライドが高いマネージャーとキッチンのコリアンの子たちに何にもしてないのにいじめ的なことされた経験がありました。今考えてもいじめられた理由は、よくわかんないんだけど、おそらく、マネージャー自身がキッチンの子たちに好かれたかったんだと思います。最初はキッチンの子たちも優しかったんだけど、マネージャーがわたしの悪口的なことを言っていたのか?あんまりキッチンの子たちと話したことがないのに日を追うごとにだんだんその子たちが冷たくなってマネージャーと彼らは仲良くなっていっていたから、たぶんね。
その時のわたしは「仕事を辞めることが良くない」と思い込んでいたし、「仕事ができない自分が悪い」って自分を責めて、良い悪い思考グセが邪魔をして、嫌だったし怒りもあったけど我慢していました。

だけど、今思えば、そうじゃないよね。

大事なのは、「自分がどうしたいか」
世間的に良い悪いかではありません。

一般的に「仕事を続けることが良い」とされているけど、いじめられたり、人間関係が良くない職場に居続ける必要なんてないから、そんな一般的な意見に合わせてつらいのを我慢しなくてし、「空気を読める人は良い」っていうのも空気を読むって「空気読んでほしいな」って思ってる側の都合のいいある種の強要だし、空気読まなくたって「おや、天然かな」って思うだけで”悪い”の判断はいらないと思う。


これからの時代は、良い悪いって判断思考は手放していきたいものですね〜


判断基準になるのは、世間でも、他の人ではなくあなた自身です。

この考え方をデフォルトにしたら、あなたの魅力も、生き甲斐も取り戻せますよ〜


I send you all my love and all my light.

Natural Life Coaching YOKO

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