肉体の悶々(ハ)世紀末覇王・母~果てしなき闘い

やあやあごきんげんよう、よーこです。おやっ、なんかフォント変わってしまったね。なんか意図せずしてタイトルと雰囲気合っちゃってるよアハハ。

このグダ巻きばかりの駄コラムにも、いつまで続くのとか、いつ続きを書くんだ!という嬉しいお問い合わせをいただきました。(イ)からスタートしているので、いちおう最大キャパシティは47回ということになっています。そこまで続けるかどうかは、そう、読者のみなさまの励ましにかかっている面も一部あるかもしれませんが、とにもかくにも私のやる気と根気次第です!おほほほ。

肉体まわりのこと(誤解を生む表現)をテーマにしている本コラムですが、女子道において一応一大事である結婚出産というテーマにおいて、わりと高い割合で強敵(“とも”とはこの場合読まない)として立ちはだかる「母」という存在について今回は考察してみたいと思います。

うちの母はなんというか変わったところがありまして、幼少のみぎりから勉強しろとか将来どんな人になれとかどんな仕事をしろとかの話を娘に一言たりともしたことがありません。習い事とか塾とかには人並みに通った記憶がありますが、ほとんどが自分の意思で友達と一緒に●●を習いたいとかの理由で親に頼んで通ってみては途中でやめて、みたいな感じでした。勉強についてもしかりで、初めて受験を経験した高校も、その後の大学も、私立公立どちらを受けろとか、どんな専攻をしろとかも、記憶の限り一言も言われたことがありません。就職もしかりで、完全ノータッチ、下手をすれば娘がどんな会社に就職したかもうっかり忘れてしまいそうになるくらい。現在でも私の仕事には一切興味がありません。なので、いまどきの学生さんが小さいころからお受験をし、細かな進路選択まで親といっしょに検討をし、果ては就職まで親といっしょに取り組むなどの話を聞くと、なんとまあ過保護なと思いつつもちょっとだけ羨ましいなと思う気持ちがどこかにあるのは事実です。

そんな母が、唯一、まだ娘が思春期のころから日課のように娘に強く要求してきたことがあります。それが「子を成す」ことでした。

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