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「フルタイムで子ども3人いてすごいね」

「フルタイムで子ども3人いてすごいね」

この言葉にモヤモヤするようになったのは最近のことだ。

いままでは、「そんなことないよ~!」
って、照れ隠しで言いながら、そうでしょ、そうでしょ、ドヤァ! って気持ちもあったかもしれない。単純に、褒められたことへの喜びか、よく頑張っているねという労いにも聞こえていたと思う。

つまり、フルタイムで3人育てている自分、エライ!!! って、自分で自分に言わないと頑張れなかったんだと思う。

1人目のときは、それはそれで大変で、でも2人育児になってもっと大変になって、3人目でやっと慣れたかと思えば、末っ子は手強かった。

3番目は夜泣きがひどくて、授乳すれば黙ってくれる上2人に比べ一癖も二癖もあった。とにかく、夜中に立てど歩けど訳も分からず泣いていた。夜明けまであと何時間あるんだろう・・・はやく日が昇ってくれ、そう思いながら窓から月を見上げた日々を、あの労働を私は夜勤と呼んでいた。

やっと日が昇り、そこから出勤して17時まで働きに出るという、夜勤からの日勤。

なんというか、1人より2人、2人より3人という具合に、修行した先の「高み」へ向かっているような気がしていた。

夜勤含めてフルタイムワーカーとしての自負を感じていたのかもしれない。

そんな24時間フルタイムワーカーの日々も今思えば一時である。
8年間妊婦か授乳婦かであった私も、ある意味解放された。

もう授乳が必要な人も夜泣きをする人もいない。あのとき片手で抱っこしていた赤ん坊は、自分で起きて朝ごはんを食べて着替える意思を持つ人間になってきた。イヤイヤ言ってひっくり返ったって、言葉は通じる。伝わる。

7歳、5歳、3歳。
みんなビックリするほど落ち着いてしまった。

昼夜問わずフルタイムから、だんだん義母に頼るようになり、夫の家事の割合が増えるにつれて、私は何もしてないじゃないか、そんな気さえするようになった。

8時―17時という概念でフルタイムワークとするならば、「フルタイム3人育児」って私に限ったことではない。

じゃあ、それって世のフルタイム3人育児のお父さんもかけてもらえる言葉なのか? とか。最近は夜泣き対応しているお父さんだってたくさんいるはずだ。

パートタイム3人育児だったら言われなかった言葉なのか? とか。
パートタイムのほうが子どもに接する時間が長いから、そのぶん予定外なこともたくさんあるはずだと思うのだが。

私としては、こんなに義母と夫のサポートがありながら、フルタイム3人育児の称号をもらってしまったらおかしい気がしている。

夜泣き対応をしていたころには受け取れた言葉が、受け取れなくなっている。

「フルタイムで子ども3人いてすごいね」

もちろん、それを言ってくれた友人は、私をモヤモヤさせるために言ったわけじゃない。

だけど、この言葉に私がモヤモヤしたのは、「条件付き」な自分の心が、様々な「線引き」が縦にも横にも張り巡らされた社会が、暗黙の「高み」への道案内が、


ちょっと待て。なんか危険だよ、その考え。

って、教えてくれている気がする。


どうして受け取れないのかは、まだわからない。



だけど、思えば私も、今まで同じ言葉を言ってきた気がする。

子どもが1人のときは、2人いる人へ。
2人になったら、3人いる人へ。

「すごいね」って。(そして、世のお父さんには言わなかった気がする。)


そのときの、あの人への称賛の言葉は、同時に自分への「戒め」になっていなかったか。

あの人はもっと大変なんだ。
うちは子ども1人しかいないんだから、楽なはず。

2人になったけど、3人はもっと大変なんだ、いまここでへこたれてちゃだめだ。

そうやって自分で自分のことをダメ出しして、奮い立たせて、頑張る先にあったのは、

私は夜泣き対応しているのに、夫は起きない。
私は働いているのに、あの人は休んでいる。
私はこんなに大変なのに、あの人は、この社会は、この国は・・・!


他人への期待と失望、コントロールが効かない意思、漠然とした不安。



あのとき「3人もいてすごいね」って言った私は、

いったいなんと言ってほしかったんだろう。


みなさんは、どう考えますか?

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