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freeeで札幌に支社を作りたいと言ってみたらホントに作れた話

freeeにおいてはボトムアップで物事が始まったり、社内で "ムーブメント" と呼ぶ、「熱量を持った人達が集まり、相乗効果を生みながら自律的に物事を推し進める姿」がよく見られます。僕もfreeeに入社して5年になりますが、このボトムアップの文化はとても強いと感じますし、世間でよく言われる「誰が言ったかではなく、何を言ったかで云々」に通じる良い考え方だなと感じられて、個人的にとても好きです。

最近では、定年退職制度を廃止した話が界隈で話題になったり、バレンタインデーに社内でありがとうを送り合うために専用のプロダクトを作った話に興味を持ってくださった方も多いようです。

それぞれが必要だと思ったことを、周りを巻き込みながら能動的に進めて行く。新しく札幌支社が作られた裏にも、これと同じようなエピソードがありました。今回はそんなお話をお届けします。

三行サマリ

  • freeeの新しい支社(開発拠点)が2023年6月1日に札幌にオープンした

  • この支社開設の発端は、社内で "グロースビジョン" と呼ばれる個人の中長期目標に、僕が「札幌支社を作りたい」と書いたこと

  • コロナ禍を経て、人を巻き込み・巻き込まれながら支社開設準備は進んで行く


全社ミーティングで札幌支社をお披露目(LIVE中継)している様子

自己紹介

freeeでエンジニアリングマネージャをしているyokotaです。
去る2023年6月1日に新しく開設された、当社6箇所目の開発拠点である札幌支社で責任者をやっています。責任者というと聞こえは良いですが、在籍は僕1人というスモールスタートです。もともと北海道の旭川市という街で生まれ育ったこともあり、寒さにはめっぽう強い方です。

本文

1. きっかけ

freeeには「グロースビジョン」と呼ばれる、2-5年後の自分の状態目標を作り、全社共有するという仕組みがあります(共有する/しないは任意)。制度の詳細に興味を持たれた方はこちらのエントリーをご覧ください。

自身が定めるこの中長期ビジョンは、達成度によって評価されたり報酬(給与)に影響したりというものではありません。なんだったらfreeeとは全然関係無いビジョンを描いても構いません。同僚には「地方に移り住んで継承者がいない伝統文化の継ぎ手になりたい」のようなビジョンを掲げて、「あー、これは全くfreeeじゃ実現できないね」と思わせる人もいましたが、たぶんそれで良いのです。その人の向かう道筋と、freeeでできることが合っている間はこの組織の中で自己実現や成長を考えて行けば良いし、そこのズレが大きくなってきたのであれば、会社から飛び出して別の形で目標達成して行けばいいよね、という考え方が根底にはあると感じています。更に言うと、やりたいことがあるのなら、どうすればfreee内で実現できるかを考えてみても良いんじゃない?と問いかけられているようにも感じます。個人の捉え方ではありますが、そのぐらい懐の深い仕組みなんじゃないかなと僕は思っています。

【イラスト】目標を作り自ら成長を促す

話の流れ的に先が読めた方も多いかとは思いますが、このグロースビジョン制度が始まった2019年11月に、僕は下記のビジョンを定めて全社に共有しました。

『5年後、札幌で10人以上のエンジニアをマネージする立場である』

札幌移住を本格的に検討していきたい。
freeeの札幌支社でエンジニアチームを作るというチャレンジをしたいと思っている。すぐにという話ではなく、3年後にそういうチャンスがあれば良いという希望。そこから2年を経て、開発チームとしてワークする状態になっていたいという希望を込めて、上記の姿を設定した。

これが発端です。
当時ちょうど40歳を超えたぐらいで、ふと「5年後何をやっているか/やっていたいか」を考えたときに、生まれ育った北海道で新しいチャレンジをしている自分の姿がとても自然に浮かんで来ました。

2. シェアすることで広がる世界

【イラスト】情報を広く共有する

この僕のビジョンを、当時のVPoEが「お、ええやん」と拾い上げてくれたのが事の始まりでした。当時このグロースビジョンの制度はパイロット版としていくつかの部門に限定して試験運用していた最中でしたので、「このぐらい自由な発想で書いていいんだよ」の例として取り上げられたこともあり、割と多くの人に僕の将来構想を知ってもらうきっかけにもなりました。当時一介のプレイングマネージャー(一般企業でいう係長クラス)だった僕が、ではどうすればこの札幌支社設立を任せるに足る人物だと周りに信頼してもらえるか・・・といった話なんかをVPoEと1on1で繰り返しした記憶があります。

そうした対話の結果として、5年後目標の前段に下記のような中間マイルストーンを置くことになります。

『1年後、自身の組織が課から部に成長する手応えと道筋が見えており、そこで変わらずマネージャをしている』
『2年後、実際に部になっていて、そこで開発部長の立場にある』

当時はfreeeに中途入社して1年と少々。新規事業の立上げをミッションにした3名の小さな開発チームに属していました。そこで立ち上げる事業(=プロダクト)をきちんと成功に導く力や、開発チームを育てる力、また、その両輪を回し続ける力を示して、信頼を勝ち得ようと邁進することになります。

3. 時代の変化、コロナ禍

タイミングとしては、グロースビジョンを社内に共有した数ヶ月後にコロナ禍が始まります。

【イラスト】忙しそうに動き回る医療従事者の

エンジニアの働き方は、奇しくもコロナ禍によって大きく広がったと感じています。freeeでは2020年3月と比較的早い時期にフルリモート体制に移行しました。僕を含めてfreeeに多くいるWebアプリケーションエンジニア職においては、実際にフルリモートでの業務が始まってからも、割とこれまでと遜色ないアウトプットが出せていた記憶があります。もちろんマネジメントの文脈では、リモートでのピープルマネジメントの難しさや、特に新規プロダクト開発のために新規チームを作っていた矢先だったこともあり、この新規✕新規の掛け算にフルリモートが加わることで、かなりのカオスを経験したりもしました。当社のテックブログの方にその時のエピソードを記したエントリーがありますので、そちらもご参照ください。

逆に、この状況下で物事を推し進められた経験は大きな自信にも繋がりました。その後に起こったITエンジニアの地方移住ムーブメントや、Web系開発会社各社が採用し始めた「フルリモートの雇用形態」も札幌支社開設に向けて気持ちのうえでの後押しになります。これまで以上に、地方に優秀なエンジニアが分散される傾向が進んで行くと感じ取りました。

フルリモートで仕事はできるけど、slackやモニター越しのコミュニケーションだけでは非連続的な成長や、偶発性のあるコミュニケーションなど、予想の域を超える変化が起こりづらいことは、この4年間で当社も学んで来ました。所謂GAFAMのようなリーディングカンパニーがオフィスワークに戻ろうとしている背景にも同じ考えがあると思います。地方に分散してフルリモート環境で働くエンジニア諸氏も、いずれどこかでリアルに回帰するタイミングがやってくるはずだ。その時に近くに開発拠点があることが、freeeを活躍の場として選んでくれるきっかけとして強く作用するのではないか。そんな勝ち筋が見えて来たのも、コロナ禍という忌避すべき非常に稀な経験から得られた、収穫の一つだったように思えます。

4. 支社開設までの道のり

コロナ禍を過ごしながら社内での信頼を積み重ね、具体的に札幌支社の開設に動き出したのは2022年2月のことでした。グロースビジョンを全社共有してから2年と3ヶ月が経過していました。中間マイルストーンとして定めた通り、金融プロダクト開発チームの部長の立場になった僕は、9名のメンバーと一緒に4本のプロダクトを並行開発する規模にまでチームを成長させられていました。

このタイミングで僕は、『Road to 札幌』と題したドキュメントを作成し、約1年後の2023年4月に札幌に移住すること、そこから最後の準備を行い、7月に札幌支社を開設するというロードマップを作りました。

実際の『Road to 札幌』の一部

このドキュメントを自身が仕事で関わる全ての人に共有し、意思表明を行ったわけです。

この後、いろいろなチームを巻き込みながら支社開設プロジェクトを推し進めて行きます。社内のバックオフィスチーム(カルチャーデベロップメントチーム;通称カルデブ)とのキックオフ時には、「一緒にスクラム組んでやって行きたい!」というスライドメッセージから説明を始めたりもしました。

バックオフィスチームとのキックオフミーティング資料

その他、情シスやセキュリティ部門にオフィスの設備・セキュリティ要件の相談をしたり、広報部門と一緒に社外発信のタイミングや文言を摺り合わせたりと、普段エンジニアとして仕事をしているとなかなかしっかり関わることが無い方々と一緒に仕事ができて、それはそれはとても得難い経験になりました。

その後も社内で仲間を増やし、ムーブメントの火種を育てながら着実に開設準備を進めて行きます。2023年4月14日に掲出した先行プレスリリースには、札幌市の秋本克広市長がコメントを寄せてくださるなど、とても良い形で開設の日に臨むことができました。


5. 最後に

そうして、『Road to 札幌』で宣言した期日より一月早い、2023年6月1日にfreee札幌支社は無事オープンしました。

オフィスから徒歩50歩の距離には札幌時計台が

まずは快く巻き込まれてくれて、一緒に支社開設を推し進めて来た仲間達に感謝と「これからもよろしく」を伝えつつ、僕はここで新しいエンジニア組織作りをスタートいたします。

「俺たちの戦いはこれからだ」のslack投稿

おしまい


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Appendix - 札幌支社一問一答

ありがたいことに、札幌市の職員の皆さんや、地元IT企業の皆さま、メディアの記者さん達とお話させていただく機会が多くありまして、その際によく訊かれる質問に一問一答形式でお答えしておこうと思います。

Q. なぜfreeeは開発拠点を作るのですか?

主に二つの理由があります。
一つ目は採用視点。首都圏にはたくさんのエンジニアがいますが、採用競合となるIT企業もまたたくさんあります。freeeは創業11年目を迎えても未だ急成長を続ける企業であり、ビジネスの拡大にはエンジニア採用の質と量を高水準で維持する必要があります。その手段として地方在住の優秀なエンジニアに安心してJoinしてもらうための地方拠点という意味合いがあります。
もう一つの理由は、freeeのミッションに関わる話です。当社は「スモールビジネスを、世界の主役に。」をミッションに掲げてビジネスを行っています。地方都市は首都圏に比べてスモールビジネスの割合が多いため、そうしたユーザさんの近くで温度を感じながら開発を行うことは、当社にとってとても重要だという考えを持っています。

Q. なぜ札幌だったんですか?

僕が北海道旭川市の出身だというのもありますが、前項の理由で地方拠点の増設を検討した際に、札幌に優秀なエンジニアが確かに多くいることが分かったからです。札幌の情報サービス業従事者数のような定量データもさることながら、スタートアップが多く育っている現状や、科技大や高専が多く、コンピュータサイエンスを学ぶ学生が多いことも拠点を構えると判断した理由になります。

Q. なぜ北海道に帰って来ようと思ったのですか?

40歳を迎えた辺りで「いつまで東京にいるんだろう」と思うようになりました。また、コロナ禍を経験し、「なんで東京にいるんだっけ?」の疑問を強く持つようにもなりました。ここを深掘りした末に、北海道に戻るという選択肢が挙がり、では今の立場で故郷に対して何ができるか?と考えたときに、微力ながら地元ITの活性化に力添えできるのではないか、という答えに繋がりました。

Q. 札幌は開発拠点だけですか?営業拠点等にはしないのですか?

僕がミッションとして持っているのは、現状では開発組織を作ることだけです。ですが、そこに拠点があることで、営業やアライアンス活動が行いやすくなることは必然です。実際に社内の色々な部門から、札幌支社を出張時に利用したいという相談も多数受けています。ここでまた新しい "ムーブメント" が起こり、札幌拠点がどのように成長していくかを、恐らく僕自身が一番楽しみにしていると思います!!


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