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【台湾ライフ】満月の夜に思う

今日はちょっと涼し目。といっても最高気温33度。最低気温26度。でもこの2-3度の差が全然体感としては違うんだなぁって感じる今日この頃。

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ちょっとまた夏バテ気味になってる気がする!と家の近所のローカルな夜市で牛肉麵と青菜と購入し、冷房かけてる中で汗だくになりながらの晩ご飯。牛肉麵は生姜といろんな香辛料が効いてて、牛筋も柔らかくて、なんとも言えずめっちゃ旨い!最後にちょっと前から人気の芒果ドリンクで締める。幸せだわー。

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ずっとローカル食だと飽きちゃうので、和食もイタリアンもスパニッシュもベトナム料理も食べに行くのだけれども、台湾料理はほんと美味しい。ただし昔ながらの伝統的な台湾料理はみんなが思っているよりも優しいというか柔らかいというかメリハリのない味だったりする。ちょっと塩分が日本人には少ない気がするんだと思う。友人たちも話してたけど。日本人ってお味噌やお醤油になれてるから塩分高めの味付けなんだなーって改めて感じましたもの。



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今日は満月。

満月だからといって何か大きく変わることはないのだけれども、満月の日には自分が将来どうなりたいんだっけ?何したいんだっけ?どう在りたいんだっけ?どう過ごしたいんだっけ?どんな暮らししたいんだっけ?ということを見つめて、手帳に書き出す日にしてる。

その中の「在り方」について一昨日ちょっとだけ書いてるけど、20代の頃からこうありたいという変わっていないイメージがある。

立てば芍薬の言葉のように。「芍薬のように雰囲気の柔らかさと穏やかな優雅さを持ち合わせ、そして若竹のようなしなやかさと芯の通った人でありたい」と。様々な意味を芍薬と若竹の佇まいと雰囲気に込めて。

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年齢を重ねると、生き方が顔に現れるという。それはずっとし続けている表情が顔に皺として刻まれるからだと。怒りっぽい人は怒り皺ができ、笑顔で過ごしている人は笑い皺ができ。常にしかめっ面をしている人は、眉間に深く皺が刻まれてしまう。同様に、身に纏っている雰囲気もまたその人の生き方と在り方を表すのだと思う。雰囲気はその人の見た目だけでなく、その場に合わせた装いであったり、姿勢や物腰であったり、話し方や聴き方であったり、ふとみせるちょっとした動作であったり。様々な要素で総合的に組み立てられていると思うから。積み上げられた生き方・在り方がそのまま外面に現れるのだと感じる。自らを丁寧に取り扱ってきたか、大切にしてきたかも含めて。

さて。そう思った時に、私自身はなりたい姿に近づいているのだろうか?と自分自身に問をかける。

芍薬から感じる柔らかさは、穏やかさはあるだろうか?優雅さのかけらを持ち合わせているだろうか?若竹のような物事に対してのしなやかさは持ち合わせているだろうか?ブレない、折れない芯を持ち合わせているだろうか?

もう、これは人に聞くしかない。自分ではわからないもの。評価は他者が行うもの。出来る限り心掛けて、確認をしたり、時に反省したり、それは自身でも出来るけれども。在り方と雰囲気は、他の人がどのように受取るかしか分からない。



そして、とあるところで「芍薬ように柔らかく優美でありたい」「若竹のようにしなやかでありたい」と書いた。

そうしたら。「もうすでになっていると思いますよ」と過分なお言葉をいただいた。でも、そっとその言葉を素直に受け取ってみる事にしてみた。

せっかく貰った言葉を否定するのは、ふと、なんだかその方に対してとても失礼な気がしたし、そして、それこそ傲慢ではないか?と感じたから。

他の人から見たら、全く違うかもしれない。そうではないかもしれない。でも、それでいい。他の人から見た私は、そうなのだから。私は私でありたい姿に向かって一歩ずつ進むだけのこと。



他者目線を気にしすぎたり、誰かに認められるためにではなく、自分が在りたい姿で在るのかどうかを確認するために、時折、他の人からの評価を、言葉を、確認していきたいものだなぁ、と。

そんなことを先日EMSで学んだ講義を踏まえて改めて考える、そんな満月の夜となりました。




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