勝手にチャレンジ1000 0030父の庭仕事

父は75で仕事をやめて年金生活者となった。
なにもすることがなくてどう生きたらいいのかわからなくなって悶々としていた時期もある。
昭和5年生まれ。
もうすぐ90才だ。

現役時代、父は家とか、家族とか家庭生活というものにはほとんど関心を払っているようには思えなかったが、私が結婚して家を出て、間を開けて実家に帰る度に日々の生活のなかで父の仕事と思われるようなことが少しずつ決まっていくようだった。
庭の手入れもその一つであり、ルーティンワークとしては大きなものとなっていった。

父と一緒に芝刈り機を押す。


こんな日が来るとは思わなかった。

父は初期の認知症と診断され、短期記憶はどんどん怪しくなっている。
でも、やることは丁寧で確実。

はしっこや入り組んだところはハンディな草刈り機で。

先日クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」という映画をのなかで、クリント・イーストウッドが庭で芝刈り機を押していた。

「まともな」家は前庭の芝生がちゃんと手入れされてるものである。日々、芝を手入れし、ペンキが剥げたり、家屋のちょっと壊れたりしているところはその家の人間が手を入れ、修繕して、こぎれいで整った生活を維持すること、一人、一家が自立して生活することでコミュニティも、国家も独立して成り立つというアメリカのスピリットを体現している。
「だらしのない」今の若者である孫にも厳しく、日本車のディーラーという息子の仕事も気に入らない。なにしろ本人はフォードに勤めて人生を全うした技術者で愛車は1970年製のグラントリノだ。

またある日「詐欺刑事(サギデカ)」というドラマを見た。
地味だか誠実な教師人生を全うした男が初期の認知症になるが、かつての教え子という女にであって、彼女の窮状を救おうとあるお芝居に荷担する。そして、それは大がかりな詐欺で、女は教え子でもなんでもなかった。
女は証拠不十分で無罪放免となるが、認知症とはいえ判断能力ありとされた伊東四朗は有罪となり、真面目に過ごした人生の晩節を汚すこととなる。
しかし、彼は状況が理解できない。
この年になっても生徒の助けになれたことを喜ぶ先生なのだ。
伊東四朗が上手くて泣けた。

伊東四朗とクリント・イーストウッドに父がかさなる。
戦後を生き抜き、今の世界つくり、老いている世代の男の姿は父の姿に重なる。
伊東四朗とクリント・イーストウッドに共通点はあるのか?といわれると、あるのだ。

一生懸命生きてきた、普通の人が持つ尊厳。
野の花や大きな木が持つ作為のない美しさ、命の尊さを感じるのだ。

母の入院で思わぬ父との生活だったが、こういう機会か持てたのは良かった。

わしはお前を忘れる日が来るんだろうか?

父の一言に胸を衝かれた。
その日は来ないかもしれないし、来るかもしれない。
でも、私が忘れないから大丈夫だよ、と、心で思った。
ほとんど強がりだけど。

#gardenwork1000

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