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【強制すると支配になる】書籍:論語と算盤 レビュー9

みなさん、おはようございます、横山です。

僕の仕事初めは、1/8(月)からでして、残り少ない正月休みを満喫すべく朝からスタバで本を読んでおりました。

この正月休みは、なんやかんやで年末にやり残した大掃除をやったり、約20年振りぐらいに高校の同級生と再会したり、しばらく会えていなかったお婆ちゃんにあったりとホッコリする場面が多かったです。

年明けから天災や事故など心痛む出来事がありますが、前を向いて自分にできる事をやっていこうと思った次第でした。

さてこの正月休みで論語と算盤も読破しようと思いました。本日は第9章をまとめました。


第9章 教育と情誼(じょうぎ)

孝行は強制するものではない

親孝行や教育というものは、ただやればいいものではないし、強制するものではないと書かれています。

あるべき、すべき

この言葉の魔力は凄まじいものがあると考えます。

子供は親を敬うべき、目上を敬うべき、〜すべきという言葉は一種の強迫観念のようなモノがあり、それが行き過ぎると支配に繋がってしまう。

渋沢さんは、むしろ親孝行は親から子供に対して何かを与えてあげていればいいし、子供に対して求めるモノではないと話していました。

成長💪も強制しすぎてはいけない

この言葉を聞いた時に、僕は会社の組織について考えることがありました。

マネージャーが若手を教育すべき!っと教育活動を立ち上げたものの、その実態はマネージャーが手を動かさずに部下の中堅社員に丸投げするというのは良くある話です。

このようなモチベーションでは中堅社員は仕事を押し付けられたと思って、やる気はなくなるし、反逆するようになります。

マネージャーが立ち上げたのであればまずは自分が手を動かさないと😤😤😤

役職で上下をつけすぎるとこういう弊害があるような気がしました。

なぜロボット🤖を作るのか?

この章を読んでいて、最も印象的だった言葉がこちらです。

『昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を売るために学問をする』

現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一著 P.193より引用

『自分は何のために学問してきたのだろう』というような疑問に襲われる青年が少なくない。

『学問をすれば誰でもみな偉い人物になれる』という一種の迷信のために、自分の境遇や生活の状態も顧みず、分相応の学問をしてしまう。

その結果、後悔するようなことになるのだ。

現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一著 P.194より引用

これは痛いほど突き刺さりますね。
20代の頃の僕ですね(笑)

当時の自分は何者かになれると信じて疑わなかったし、会社に対しても不満たらたらでした。

なんでこんな事をしないといけないんだ!
って躍起になってましたね。

そんな状況を打破したくてMBAの勉強をしたりしていましたが、そんな能力やモチベーションではうまくいくわけもなく。

30代になってこの本に出会い、色々と考えさせられます🤔

さて本題に戻って、
なぜ僕はロボット作りをするのか?
なぜエンジニアリング領域にいるのか?

改めて考えてみました。

新しいモノやコトが好き。
モノづくりが好き。
誰かと一緒に何かをするのが好き。
人をワクワクさせるコトが好き。

そんな体験が詰まっているからロボット作りが好きなのかもしれません。

偉くなりたいからとか、就職や転職に有利だからとか、収入がいいからとか、モテるからとかではなく、自分自身の内在的な好きという動機から生まれる行動をもっと増やしていきたいと思った次第でした。

理論📕より実際

昔の教育は心の成長が軸に置かれていたそうです。

自分自身の心を磨き、良き師匠を見つけ、学問に励んでいく。

そのような基盤があったからこそ、自分を磨き、家族を支え、国をまとめ、天下を安定させてきたそうです。

ですが、今は学問の形態が知識を増やす事にばかりフォーカスされるようになってしまった。

これにより心が磨かれず品性に欠く事象が増えてきてしまっているとの事でした。

この言葉が胸に刺さりますね。

自分さえ良ければ良いという人間が増えてくると、何も生み出さないと思いました。

嫉妬や妬みばかりで人間としての幸せや尊厳を欠いた生き方になってしまう。

そして人生の目的もなく、ただ与えられたロボットのように淡々と物事をこなす人生。

自分のやりたい事が見つからず、日々を消耗してしまう。

これって悲しいことです。
自分の今後の戒めとして、しっかり胸に刻んでいこうと思いました。

ここまで読んでいただきありがとうございました😊

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