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街クジラと海クジラ

 街クジラが僕の街にはいる。
 僕の住む海沿いの街の沿岸に、一頭の小さなクジラが座礁した。たまたま下校時間に通りがかった僕が見つけて、慌てて近くの大人たちを呼んだ。大人たちは方々へ電話したり調べたりして、専門家の人たちがやってきて、みんなで協力して海へ戻すことに成功した。クジラが座礁すると、命を落とすことも少なくない。運良く海へ戻すことができたとしても。僕たちは、クジラの無事を願い、日々を過ごした。
 しばらく経った頃、少し高台の中学校で授業を受けていた僕は、窓の向こうにクジラの潮吹きを見た。もしかするとあのときのクジラか。生きていたのか。
「クジラだよ!」
 僕が叫ぶと、みな窓辺に張りついた。クジラはしばらく、尾びれをはためかせたり、潮を吹いたりして僕たちを沸かせ、海へ帰っていった。驚くことに、これが一度で終わらなかった。あのクジラは、二度、三度と沿岸に訪れ、潮を吹いて帰っていく。いつしか人々は「街クジラ」と呼ぶようになった。

 あるとき、街クジラとは別のクジラがやってきた。なぜ別のクジラだとわかったかというと、大きさがずいぶん大きかったのだ。たびたび訪れる街クジラは小さい。だから、あのクジラは別のクジラだろうと思った。もしかして迷い込んだのか、街クジラみたいに座礁はしないかと心配になり、僕は海の一番近くに住む湊さんに相談した。
「湊さん、街クジラじゃないクジラがあそこに来てるんだ。もしかして、街クジラみたいに迷い込んだのかな。また座礁したらどうしよう、何かできることある?」
「櫂くん、落ち着いて。もう少し、様子を見てみようか」
「そんなこと言ってる間に何かあったら」
「私もね、実は窓越しに見ていたんだ。もしやと思って様子を見ていたが、あそこよりこっちには来ないで、あのあたりに留まっているんだ。何かあるのかと様子を窺っているところさ」
「そうだったんだ」
「ああ。あんまりこっちに近づくんじゃないよ、危ないよって声かけながらね。まあ、わからんだろうが」
「耳はいいけど、僕たちのことばはわからないよね」
「そうだねぇ」
 湊さんと僕は、大きなクジラを見守った。たまに潮を吹いて、しばらくすると、海へ帰っていった。僕たちはほっと胸を撫で下ろした。
「湊さん、突然ごめんね」
「なんだい、他人行儀だね。昔はよく遊びに来たじゃないか。中学校に上がって忙しいだろうけどね、また気が向いたらいつでもおいで」
「ありがとう」
「体に気をつけなさい」
「湊さんもだよ」
「ああ、ありがとう」
 僕は、湊さんの家を後にして、しばらく海を見つめ、帰宅した。

 その後もたびたび街クジラは顔を見せたけど、あの大きなクジラは来なかった。僕は大きなクジラのほうを、「海クジラ」と呼ぶようになった。海クジラ、無事だといいなと思う。
 また街クジラが来たとき、僕は尋ねた。なあ街クジラ、お前は海クジラを知っているの? そんな風に問うたって、街クジラは答えない。街クジラにも、僕たちのことばは通じない。なあ街クジラ、お前は海へ帰らなくていいの? 僕はまた会えてうれしいけど、仲間は寂しがっているんじゃないの? 街クジラは僕のことばに答えず、沖合いに戻っていった。僕も家に帰った。

 その晩、僕は夢を見た。
 街クジラと海クジラが一緒に泳いでいた。彼らは楽しそうに潮を吹き、尾びれをはためかせた。街クジラのほうが、こちら側の胸びれをはためかせる。何度も何度もパタパタするその姿は、まるで僕を手招きするかのようで、僕はつられて近づいた。街クジラは僕が乗りやすい姿勢をとる。乗っていいの? 街クジラは両の胸びれをはためかせる。
 僕は、おそるおそる街クジラの背中に乗った。すると、ゆっくりと泳ぎだし、やがて空へと上がっていった。え? 街はみるみる小さくなっていく。海クジラも続いて空へと漕ぎだし、海クジラのほうが先頭に立った。僕は少しの恐怖と、それを上回るワクワクとで胸が高鳴り、街クジラにしがみついて空を旅した。空から見る街はこんなふうなんだと興奮した。小学生のとき憧れたくじらぐもみたいな雲を横切る。ひんやりとして気持ちのよい空気を吸い込み、鳥たちより高いところをひとしきり遊泳した後、次第に街が大きくなる。
 終わりかな、街に帰してくれるのかなと思いきや、二頭は海へと潜った。え? 僕、息が……あれ、できる。不思議と苦しくなくて、それはやっぱり夢のなかだったからだと、目が覚めて気づいた。海中は、それは美しかった。水族館でしか見たことのない生き物もいた。深くへ進むほど、日の光は届かず、暗くなっていく。街クジラや海クジラは、こんな世界で暮らしているのか、と知った。水族館でも見たことのない生き物と戯れ、だんだんと海面のきらめきが近づく。
 そして、とうとう戻ってきた、僕の街に。街クジラはまた、僕が下りやすいように体を傾け、僕はゆっくりと下りた。街クジラは胸びれを強くはためかせる。それに合わせて、海クジラも胸びれをはためかせる。水しぶきが上がり、くすぐったい。さよなら、なのかもしれない。街クジラは海クジラと、帰っていくんだね。僕は、ありがとう、元気でね、の気持ちを精一杯込めて、ブンブン手を振った。二頭は沖合いへ進み、海へ潜った。
 名残惜しく見つめていると、彼らは交差するように大ジャンプをした。クジラのジャンプを僕はまだ見たことがなかった。夢のなかだったけど、めちゃくちゃかっこよかった。僕はひとり、手が痛くなるくらい拍手をした。大ジャンプを最後に、彼らは姿を消した。

 夢から覚めた後、街クジラも海クジラももう僕の街を訪れることはなかった。彼らの世界に帰っていったんだと思う。街クジラは僕の街からいなくなり、街クジラの話題は時が経つにつれ上らなくなった。でも、僕は、街クジラと海クジラとの非日常の日々を、あの日見た夢を、ずっと忘れない。二頭の無事を祈りながら、僕はまた、日常生活を送る。

🐳

小牧幸助さん、今週も素敵なお題をいただきありがとうございます!

「クジラ」は生で見たことはありませんが、好きな動物です。「クジラ」と聞いて、まず「くじらぐも」が浮かびました。前職のあだ名の関係でくじらの絵文字をよく使ったりもしていました🐳だから、「街クジラ」というお題をいただき、どんな作品にしようかと楽しく悩みました。
いつも小牧さんからいただくお題では、1つのイメージがぶわわっと広がって夢中で書き、みなさんの作品を読んでさらに奥深さに感嘆しております。
今回は珍しくいくつかイメージが浮かび、どれをどの方向性に持っていこうかなと考えながら書きました。直前まで悩み、最初の想定からがらっと方向転換しました。
いつも思うのですが、私はあまり、作品にテーマ性を持たせられません。ただ、夢中で書いて、空想の世界に浸ります。シロクマ文芸部のみなさんの作品を読むたび思います。楽しい物語のなかにも、悲しい物語のなかにも、伝えたいことがひっそり忍び込ませてあるなあと。それは決して作品を邪魔することなく、味わい深いなかに、考えさせられるものがある。私もいつか、そんな作品を書けるようになりたいです。

ごめんなさい、ここ数日ちょっと頭痛に悩まされており、画面を見続けるのがきついので、来週みなさんのところに伺います。
※お一人、今週の作品にコメントをさせていただいております。
※フォロワーのみなさんへ、週頭の怪我とは関係のないところでの頭痛ですのでご心配にはおよびません。お気遣いくださったみなさん、本当にありがとうございます!!

読者のみなさん、今週も読みに来てくださってありがとうございます!
それではまた。下半期に突入しましたね。気づけば7月で驚いております。シロクマ文芸部カレンダーも更新してくださっています。

雨で大変なところが多いですが、みなさん、災害にも体調にも怪我にもどうぞお気をつけくださいませ。
(私の住んでいるところは、幸い無事です。少し行ったところが大変なことになっており、とても心配です…)

#シロクマ文芸部

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