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夏の記憶

味のないパンを齧る以外の食事が摂れない。
家に帰っても横になって寝る事しかできない。
生きる事が果てしなく、果てしなく、虚しい。

 今こんなクライアントが目の前にいたら、おそらく支援者の私は「離婚という喪失体験や環境の変化により物悲しさや孤独感が増し、軽い抑うつ状態になっている」とアセスメントするだろう。

 確かにパートナーとの別離は大きな環境の変化ではあった。ここ10年程「自分は自分でいていいんだ」という自己肯定感の数割は「自分がいるだけで大切な人が幸せそう」という部分に依っていたし、私が女性でいた理由の9割以上は今のパートナーと家族である為だったので、自分の根底の部分が大きくぐらついている事は確かだ。そうだけど、そうではなくて。


 10代の頃から「生き急ぎすぎ」「エネルギッシュ」「活動家」などと言われる事が多かった。
 当人に急いでいる自覚は全くなく、むしろ「何でみんなそんなにのんびりできるんだろう…いつ死ぬかわからないのに…」と不思議にすら思っていた。
 人生のゴールを勝手に決め、その目的に反するような事しかできない自分を心から嫌悪した。目標に対して努力できない自分を恥じて「それなら死んでしまえばいい」とすら思った。
 こんな生き方しかできない自分の事はなんだかんだ好きだった。「こんな生き方」のせいでパートナーを失くしてしまうまでは。


「時間を使うとこんなに苦しい気持ちになるのはどうして」
「家事や、昔は好きだった創作をこんなに無駄だと感じてしまう理由はあるのか」
「目の前の景色をただ慈しんだり、ただ楽しむ事に罪悪感を覚えてしまうのはいつからだったか」

 少しばかり好きじゃなくなった自分に問うていたら、ひとつの答えが返ってきた。

「だって、こんなままじゃ死にたくない」

 その言葉に出会った時、体中の血や水分が全部足裏から流れ出たかと思った。暑い日差しの中、駅に向かう数分の道で平静さを全て取りこぼした。全身の筋肉が仕事を忘れてしばらく全く動けなかった。

 体は固まっていたけど頭だけははっきりとしていて、自分が開けてはいけないものを開いてしまった事がわかった。私は人生を生き急いで謳歌していたのではなく、あの夏を忘れるために26年間遁走していただけだった。私の今までの犠牲を伴う道程は、ただあの夏を殺したいが為に作られた復讐劇でしかなかった。

 暑いのに汗はひとつも流れなかった。電車が離れる音だけが耳に響いて「ああ、終わりだ」と思った。

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