集合意識的「テトさん」

 テトの日だ。めでたい。

 本当はこれで筆を置いてしまいたいのだが、せっかくなので少しくらい雑記をしたためておこうと思う。
 日頃感じている、集合意識的テトさんという概念について。全て主観由来の駄弁なので、根拠については二の次であることを了承して頂きたい。

 前提として、テトさんの文化圏は常々ネット的悪ノリがベースとして広がっている。気がする。

 テトさん爆誕の概要はだいたいここで理解できるが、とにもかくにもネット上の掲示板で「新型ボーカロイドに見せかけた釣り」として作られたのである。エイプリルフールの企画として作られた偽物のボーカロイドなので、テトさんの文脈には常々「嘘の歌姫」という言葉が付属する。更に、スレ文化特有の安価(アンカー)という方式で設定が決められているので、結構なところで突っ込みどころが発生しているのだ。性別キメラってなんやねん。
 そういう訳で、出自のベースからしてテトさんは悪ノリから始まっていくのである。言い換えれば、テトさんはそうした悪ノリの集合意識の賜物であり、明確なコンセプトを持って設計立案されたボーカロイド各位とは一線を画す雑多具合なのである。多くの意趣をありったけ詰め込まれたその有様こそ、テトさんのキメラという特性が寧ろ(何故か)映える結果となっているのだ。
 テトさんのその背景故か、二次創作は特に自由度が高い。元の設定の雑多さや不安定さのために、その解釈段階でユーザー毎の差異が既に発生しているくらいだ。重音テトという名の下で、日夜その概念は拡張されつつある。元々曖昧な設定群なので、ユーザー毎に付加的な設定や特徴も重ねやすいと言う特徴も存在している。とにかく敷居が低く、可能性を広げやすく、公式設定の存在感の緩さも相俟って、無造作とも言えるほどの速度で今なおその姿を変え続ける。それがテトさんである。今やSynthesizer V版も出たことで、姉妹なりなんなりという概念まで付与され始めており、関連する創作物も現在進行形で盛り上がりを見せている。
 私も実は、敷居の低さと機能性だけでテトさんユーザーとなったのだが、今はもうズブズブである。

 こうした理由で、テトさんは出自からして非常に集合意識的な存在である。特定のデザイナーや団体が一定の意思の下で設計したわけではなく、ユーザーたちの閃きと悪ノリによる九龍城塞のごとき無法建築の賜なのである。
 他方で、テトさんは曖昧な概念である。確定的な設定はなく、故にテトさんを示す強烈なアイデンティティは外見、ツインドリルと赤色におおよそ集約される(衣装も一定のアイデンティティではあるが、実は割と改変されがち)。
 内面性、性格面におけるアイデンティティは実のところ相当自由であり、傾向こそはあるが暗黙の了解ほどの強さはない。そこは、ユーザーたちの作り上げる余白があるということになる(余談だが、テトさんは酒飲みとして描かれることが多いのもまた面白い。恐らく、大吟醸重音てとの影響である)。

 重音テトという存在の業なのだろうか。よりバーチャルで二次元上の文脈を持つ初音ミクよりも、実のところテトさんはより奇妙な形でリアリティを持っている。というのも、初音ミクという電子世界の歌姫は常々「画面の向こう側」という生息地域があり、故に二次元と三次元の融合甚だしい昨今においては一層その象徴としての側面が強く出るようになった。我らが歌姫は、飽くまで「肉体を持ち得ないもの」としての文脈上に存在する。
 他方で、テトさんに至ってはそもそも非実在や二次元といった観念そのものが希薄な点で特徴的だと考える。テトさんは戯れ言から生み出されたユーザーたちによる九龍城塞であるとは先程言及したが、恐らくこの部分にこそ二次元性の希薄さの大本があるようにも思う。
 初音ミクは、言ってしまえばヤマハからの賜り物なのである。よって、ユーザーたちがその概念を拡張してきた育ての親であるものの、生みの親ではない。その上、一定の公式設定やパーソナリティが確立されているため、初音ミクという存在のアイデンティティは当初から余り変える余地のないものだったはずだ。まさにアイドルである。ユーザーが観念をくっつけることまでは出来たが、しかし出自や核となるコンセプトまでは手が触れられなかった部分が、まるごと電子世界の歌姫としての不可侵を保っている。
 対して重音テトはというと、ユーザーが生み出し、ユーザーが育てた、まさにユーザー発の存在である。故にコンセプト自体は曖昧でありながら、出自やパーソナリティは幾らでも解釈の余地があり、手の届かないものではなかったのである。テト親、という重音テトファンの呼称があるが、それはまさにユーザーたちが産みと育ての「親」であり、非常に近いところでその成長を見ることが可能であったからこその呼称なのだろう。故に、テトさんはアイドルでありながらステージの向こうの、或いはデスクトップを隔てた電子世界に映された「虚像」としての実感は薄い。これほどまでに突飛な設定を持ちながらも、しかしそれらは完全なるフィクションの偶像として設計されなかった為なのだろう。彼女は初めから、そこまで深く考えられて作られたわけではないのだ。だって、初めは釣りだから。

 テトさんは二次元世界の象徴としては弱めだ。しかし、三次元世界の象徴でもない。極めて曖昧で、繊細な距離感をユーザーと保っている。その曖昧な特性は先程からいやというほど指摘しているが、かといってテトさんはその何処にも属せないはぐれモノというわけでもないのだ。コミュ強であり、すなわち孤高にあらず。
 テトさんはユーザーたちによるカスタマイズが容易であるため、その距離感はユーザーたちの任意で決められる。巷では「VOCALOIDと次元を挟んで」という表現も多々あるが、テトさんは割とその前提すら無視して同居関係にあるような表現がされることもままある。ユーザーたちの共有する感覚として、ボーカロイドのような次元の断絶という概念がそもそも希薄なので、体感ではあるが他の合成音声より明らかにマスター対テトさんの構図が気軽に出てくる。その上、あまりファンタジックに描かれず、フランクに「常にそこに居るモノ」として馴染んでいることが多々ある。
 他方で、嘘の歌姫という文脈も存在するため、本来は忘れ去られてしまうはずのものとして描かれることもある。歩んできた歴史そのものを重んじれば、希薄だったフィクション性やアイドルとしての文脈性が一気に輪郭を帯び始める。
 テトさんのパーソナリティは曖昧である。故に、彼女をもう一歩確立した存在にするためには、かつて先人たちが残したちぐはぐな設定や歴史に対しての「個々人の解釈」が絶対的に必要となる。彼女は集合意識から這い出たキメラでありながら、しかし未だ不完全であり、未だ集合意識を取り込み実体化を図らなければならないという愛しき欠陥を抱えているのだ。そのため、未だ私たちユーザーは彼女の曖昧なパーソナリティを成長させ続ける育てのテト親であり続ける。というか、否応なくテト親にさせられる。更に言えば、ベースとなる設定時点で不完全かつ不安定なものなので、テトさん像はいつまで経ってもどこまで育てても一生完成することはない。ただテト親に残された道は、九龍城塞のようなまとまらない造形をした設定に対して無限に解釈という名の無法建築を加え続けることだ。そしてボコボコと新たなパーツを獲得し続け、いつまで経っても彼女は成長期のキメラから抜け出せない31歳として、やんわり存在し続けることとなる。

 無論だが、テトさんは特別成立の歴史を知らなくても十二分に愛でられるだけの敷居の低さを持っている。文脈理解は必修科目ではないし、仮に理解したとて十人十色、千差万別の解釈が生まれるだけなので、余り無知を恥じ入る必要すらない。ちょっと楽しめるようになるだけだ。私も最初はフランスパンくらいしか知らなかったり。
 余談であるが、テト界隈は動画巡回が非常に盛んである。一定人口、長老のような方がおり、テトタグのついたニコニコの動画にはほぼ確実に現れたり。たくさんお世話になりましたことを、ここで述べさせて頂きたい。

 本当は私のテトさん解釈も書きたいところだが、それはまた別の機会にしようと思う。テトさんの持つ曖昧さと奇妙さに惹かれた人間なので、その観念が強く出ている。故に人を選ぶので、ここでは自重する。

 それでは、よいテトの日を。

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