夜風見(Yoll CAZAMI)

何か綺麗なものを書きたいです

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最近の記事

大切に思う

 私には近頃、心配している人がいる。  丈夫そうに振る舞うし、実際のところ人並みには丈夫ではあるから、それ自体はあながち疑ってはいないのだけれども、そういう人こそ一度挫けた時に泥沼化することもまた知っている。だからこそ、尚更に心配で仕方がない。特に最近は、あまり調子が芳しくないことも分かっている。甚だ心配で仕方がない。  たかだか数年程度ではあるけれど、それでも私と一緒にいち団体を運営してきた右腕のような存在で、だからこそなんとなく情みたいなものが移ってしまったのがなんとなく

    • 睡眠を、とらなければ

      • 作品群の思考傍流──私たちの心は「大人」へと進化できるのか

        幼さ、について次回作品群「i'LL Project」や直近の「夏の追憶と餞」でも踏まえそうなテーマとなってしまったので、ここで夜風見自身の脳内をまとめます。文献資料等々を踏まえない戯れ言チックな代物なので、そこだけご了承ください。言うなれば、考証なきファンタジー世界観みたいなものです。 ここでは多分に「心」「精神性」といった語彙が出ます。これらの言葉は非常に抽象的な意味を数多内包していますが、ここでは飽くまで感情の知覚、表出に際しての傾向という点でのみ定義します。その他、価

        • 備忘、『夏の追憶と餞』に際してより抜粋──過去を俯瞰し弔うため

           先日、ボーマス53にて頒布の記録集『夏の追憶と餞』に同梱された備忘録より、一部を抜粋して。  本作、『夏の追憶と餞』は、令和五年の皐月の頭に制作されていた『追憶、かつて経験したはずの喪失と郷愁について』という作品を全てのベースとして制作されたコンセプトアルバム──記録集である。元より作品集を制作する予定はしばしばとあったのだが、ふとした勢いに身を任せて半ば突貫的に作られたものとなっている。  夏を描く、というよりも、本作においては「追憶」と「餞」の部分に重点を置いたテーマ

          エラー音

           無職が終わったので、ネタバレシートに代えて。  今回の曲が何だったのかはこの記事の最後方に記載するとして、ひとまず回顧から始めようと思う。  制作の実効的な日数は僅か二日ちょいだった。というのも、九月の末に新型コロナウイルスによりばったり倒れた病床の上で、時間が出来たぞとばかりに作った曲なのである。当時は意識も朦朧としていたし、なにより若干音の聞こえが変化していた中での制作だったため、完成品のある今でさえ「これは本当に自分が作ったんだっけ」という気分でいる。  歌詞自体は

          集合意識的「テトさん」

           テトの日だ。めでたい。  本当はこれで筆を置いてしまいたいのだが、せっかくなので少しくらい雑記をしたためておこうと思う。  日頃感じている、集合意識的テトさんという概念について。全て主観由来の駄弁なので、根拠については二の次であることを了承して頂きたい。  前提として、テトさんの文化圏は常々ネット的悪ノリがベースとして広がっている。気がする。  テトさん爆誕の概要はだいたいここで理解できるが、とにもかくにもネット上の掲示板で「新型ボーカロイドに見せかけた釣り」として作

          集合意識的「テトさん」

          知識をリバウンドさせたい

           知識の代謝が恐ろしく早い。と、思う。  最近の制作活動につき、ふと気付いたことである。というのも、楽曲制作には幾らかのマイブームや手癖が反映されるのだが、それらはどうしても使い慣れた技術や技法などの「知識」と切り離して考えることはできないのである。即ち、マイブームや手癖で使える手数が減ったり、或いは面白みに欠けたときに、私は知識の代謝が恐ろしく早い。と、思うのである。  知識の代謝、と半ば必須な活動になぞらえて言ったはいいが、これはなかなかに深刻な事態である。腹回りに溜め

          知識をリバウンドさせたい

          千音の旋律を編み続けていたか? ──いはくし氏に捧ぐ

           物申す。ということは、つくづく敬遠されがちながらも、人間誰しもしたくて堪らないものらしい。  物申す言葉には、往々にして人の心の暗部と言うべきか、淀みと言うべきか、垣間見たとしてもおよそ心地良くはならないエゴが多分に含まれている。鋭い棘があるものから、毒のようにジクジクと気分を害するモノまで様々であろうし、それが例え良薬のようによく効くとしても、しかし口には苦いものであることとは切り離せないのである。  巷には、ボカコレというイベントがあるが、これがまた良くも悪くも大荒れ

          千音の旋律を編み続けていたか? ──いはくし氏に捧ぐ

          「君は行方不明の幻影になる。」進捗録01

          執筆と言う作業を幾分か進めて、やっと現在進めているプロジェクトが進んできた。 只今進めているプロジェクトの名前を、旧名では「Illusion of a missing summer」と呼び、日本語訳で行方不明の夏の幻影と呼んだ。 それだとどうもとっつきにくいし、そもそも読みずらいという問題があった為、ここでようやく題名が本決定したのである。 「君は行方不明の幻影になる。」 このプロジェクトの進捗録を、ここに書き溜めていくことにする。 こちらのプロジェクトは、小説、楽曲

          「君は行方不明の幻影になる。」進捗録01

          夜風見、天啓を受ける

           日に二つ、多ければ五つのアイデアを身勝手に生成する私の脳であるが、制作速度と気乗りと完成ビジョンの観点から、それらが形になることは殆ど無い。物理的、計画的、精神的不足を乗り越えて初めて作品として着手することになる。  まず精神的不足、即ち気乗りの壁を超えたアイデアのみが次の壁に行けるのだが、日々生まれるアイデアの90%がここで脱落する。倍率十倍の難関である。今までの作品の全てはここを乗り越えてきた。  その後でようやく完成ビジョンの壁へと行き着ける。ここを超えられないが、非

          夜風見、天啓を受ける

          水底の形、ぶくぶくしてらっしゃる

           先日、といっても既に数週間経過しているが、『Minasoko no katachi』という曲を出した。その制作経緯について、今更ながら書き記しておこうと思う。 コンセプト そもそもこの楽曲は「#A7CAE8」という一連の作品群に連なっている。ちょっとしたCDを作りたいという構想がベースとなり、波と死をテーマにした作品が数作出る予定だ。上手く行けば頒布したいとも考えている。  元々私の作品においては、しばしば波と死(或いは破壊)のモチーフが出ていたりする。それらをより体系立

          水底の形、ぶくぶくしてらっしゃる

          独善的でありたい創作

           作品を制作するにあたって、各々の動機がきっとあると思う。  勿論私もそうなのだが、その動機に置いては特にすっからかんで浅はかなものであると自負している。またそれらが引き起こす形容困難な申し訳なさも含めて、ここに書き置くことにする。    非生産性、時間の浪費  大前提として、私の創作理念は大きく二つに大別される。  ひとつが、人生の創作化......と言えば少々大袈裟かもしれない。目的が創作であって、その他一切は副産物であると考えてもらった方がより平易で明快なニュアン

          独善的でありたい創作

          ドラセナとレモンリーフ──物語の要約音楽

           数ヶ月前から構想として存在しているまま、本格制作を先延ばしにしてきたプロジェクト『Illusion of a missing summer』が、いよいよこの二曲を先駆けとして動き出す。  『レモンリーフ』と『ドラセナ』である。  このプロジェクトは、音楽と小説とイラストの複合的な性格を持ちながら構築される。音楽群はYoutubeに固有の再生リストが生成されることになるだろうし、小説は一話数万字のサイズ感でpixivカクヨムその他媒体で読めるようになるだろう。既にプロットは

          ドラセナとレモンリーフ──物語の要約音楽

          自爆

           睡眠時間を削りすぎた弊害として、いよいよ本日、体に力が入らないという感覚を経験している。辛うじて日常生活に支障はないのだが、自分の力加減に対しての感覚が一切麻痺していて、いつどこで何をやらかすのか分かったものではないため、今日くらいはちょっと足元に気を付けて生きていこうと思う。  見事な不摂生と生活の瓦解により、着々と余命が縮んでいる感覚があるのだが、困ったことにもはや夜中に眠れない体になってしまっている。どれだけ眠くても、少なくとも夜の三時を越えなければ眠りにつくことが

          December’s phantom──冬の孤独を描く

           新曲、December’s phantomが出た。  Mint以来の自分の視野から描いた作品である。  そこにはノンフィクションとして自身の視野を混ぜ込むことを考えながらも、冬のシンボルを多分に含んだサウンドメイキングを心掛けている。  第一構想としては、ブレイクビートを使っての曲を書いてみたいことが起因している。元々は、『Dracaena』(12/14時点未発表)の要所要所のフィルインに用いられているのだが、それを前面に押し出したサウンドを作ってみたかったのである。

          December’s phantom──冬の孤独を描く

          ツールを増やすこと、使うこと

           注意事項である。  筆者、夜風見自身が大した人間でもなければ、特筆した成果を上げるほどの実力もなく、まして並々平々凡々とした人間の常識からさえ零れ落ちた落伍者であることを前提とした寝言のようなものであるということをご理解頂きたい。  つまり、単なる机上の空論である。 知識を使うとは  本文はここから始まる。  私、夜風見は大層アンバランスな性能をしている。およそ創作関連特化型、他の分野においては嘲笑を受けても仕方ない程度には劣ったものであることは言うまでも無い。  そ

          ツールを増やすこと、使うこと