大切に思う

 私には近頃、心配している人がいる。
 丈夫そうに振る舞うし、実際のところ人並みには丈夫ではあるから、それ自体はあながち疑ってはいないのだけれども、そういう人こそ一度挫けた時に泥沼化することもまた知っている。だからこそ、尚更に心配で仕方がない。特に最近は、あまり調子が芳しくないことも分かっている。甚だ心配で仕方がない。
 たかだか数年程度ではあるけれど、それでも私と一緒にいち団体を運営してきた右腕のような存在で、だからこそなんとなく情みたいなものが移ってしまったのがなんとなく良くないのかも知れない。特に最近は鏡写しのようになっていて、それが意味するところは半端な一蓮托生みたいなもので、つまり私とその人のどちらかが調子を崩した際にはもう片方もずるっと調子を崩してしまう。相手をやたらと心配させたり、自分もやたらと心配するせいで、どうも奇妙な共鳴を起こしているようだった。
 ただ、人というのはつくづく無力なもので、他人の苦しみを除くことにかけては如実に不得手さが出てしまう。私に出来ることはやっぱり心配することばかりで、あとは幾らかの話に耳を傾けること以外は何ら手段を持たないので、どうにもそんな時は情けなくて、日に日に心が擦り切れていく。いつか作品にした通り、無力な私は例え無駄であったとしても祈りに近しい行為をしてしまうし、その上で全くやめることが出来ないらしい。せめてそういう、何か自分以外の存在に想いを馳せるだけの余力は必要だが、更にその先の実益までをこの手で生み出せたらどれ程良いだろうとも思う。本当に切実に思う。
 こんな具合で、大切にしている人が増えれば増えるだけ、私はどうにも苦しみが増していくへんな質をしている。元々人付き合いのキャパシティを超えて溢れ出しているため、全く自分がどうにか役立てるような有用な人間でいられているはずもなく、それどころかこっちの方が散々な生活に浸りきったろくでなしな為に却って迷惑を掛けている節がある。そうしてまたしても情けない、情けない、と悔やむまでがワンセットで、出来るなら早々にこの不甲斐なさや器の小ささに見切りをつけては立ち去ってほしいとさえ思う。とかくどんな宝を手にしていても、この身に余るだけの価値の重さと輝きがあるときにはたちまち自分の軽薄さと鈍さが際立って見えてしまうから、結局こんな心根をしたやつの元にはどこまでだって苦しさごとつきまとうのだろう。かといっても、突然手元が軽くなったとき、体は楽になったはずなのに、どうしてか心には虚しさが残ってしまうなんてことにもなってしまう。大切なものがなくなったときもまた苦しくなってしまうのはつまりそういう絡繰りで、とことん社会の中を生きることに向かない脆すぎる感覚を背負ってしまったな、と自嘲さえしてしまうくらい面倒な部分を見つめながら日々を過ごしている。
 結局、大切なものが出来た途端、苦しさが必ず付属してしまうように出来ている、ということ。勿論、私が心身ともに強くなって色んなことが出来るようになれば、それとも人と人の関係性の往来に対して無関心になれば、少しはこんな情けなさも晴れるのだろうけれど、それが一朝一夕で出来るほど良くできた人間ではないので、つまりは牛歩でしか変われない歯痒さもまた同様に味わう羽目になっている。自分の首を絞めることだけはやたら得意で仕方ない。
 手元から抜け落ちた途端に虚しくなる、という話には少しだけ続きがある。正確には、手元から抜け落ちる時を既に考えてしまって、大切なものが出来たその瞬間から苦しかったりする。常に終末のことを考えているみたいな、杞憂という故事そのものみたいなことではあるのだけれど、どうしてか大切なものほど手の届かないところに行ってしまうし、煩わしいことほどいつまでも頭の上に降り積もっては離れないし、そういう生活ばかりだったのがもうすっかり考えの癖として爪痕を残しているだけの話だ。だから、大切にしているものには全て終わりが訪れてしまうからこそ、その全てに対して如何に送り出しては記憶から振り切っていくかについてをずっと考えている。人だけではなくて、それは愛しい風景であったり、大切な抱き枕であったり、お気に入りの季節であったり、様々な概念に向けて思っている。多分、手の届かない場所に行ったと思い込んでいるだけで、実はちゃんと迎えに行けるはずのものを何かと言い訳して早々に怠惰な諦めに伏しているだけなのかもしれないけれど、少なくとも今はまだ忘却することで救われたがっているひ弱さが精神性から抜けない。
 要するに、私は、もうじきこの手に届かない場所に行ってしまうその人のことを、今から忘れられるように努めている。やっぱりきっと、多少の無理を通せばまた会えるのだろうけれど、これ以上の無力をさらしてはお荷物になりたくないという思いと、そもそも他の大切なものまでを放り出してまで縁を繋げておくだけの覚悟の無さと、そういうウジウジとした弱さが「これでずっとさようなら」という選択肢を常に後押ししているらしい。だから、基本的にはこの弱さにかこつけて、来る者は拒まず去る者は追わずというスタンスをしていて、今回も単にその一例でしかないのだけれど。きっとそれでも、私とその人は割と丈夫な故に平気で、心配することなんて何もないのだとは分かっちゃいるのだけれど。
 それでも、なんだか心配でしょうがないので、私はこんな春先にもずっとその人の行く末のことを考えている。私が純粋におかしいだけだと理解はしていて、そのうち自分の中でも整理のつく話だと信じていて、それでも尚今だけは苦しくて悶えているばかりの生活を続けている。なので、今、この狭い心は「あーあ、いっそ大切に思わなければな」なんてことばかりをしきりに思うのだ。
 私は、つくづく弱い人間だと思う。

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