ドラセナとレモンリーフ──物語の要約音楽

 数ヶ月前から構想として存在しているまま、本格制作を先延ばしにしてきたプロジェクト『Illusion of a missing summer』が、いよいよこの二曲を先駆けとして動き出す。
 『レモンリーフ』と『ドラセナ』である。


 このプロジェクトは、音楽と小説とイラストの複合的な性格を持ちながら構築される。音楽群はYoutubeに固有の再生リストが生成されることになるだろうし、小説は一話数万字のサイズ感でpixivカクヨムその他媒体で読めるようになるだろう。既にプロットはあるため、後は時間と気力があれば自ずから完成する予定だ。

 このプロジェクトは、何を隠そう二作目のレモンリーフから派生している。よってプロジェクトを総括する音楽としての、オープニングに当たる曲がレモンリーフであり、再録に伴いMixとアレンジの再調整を施しての再投稿となった。全てはこの曲から始まっているため、必然的にプロジェクト全体の主旨や雰囲気やストーリーを縦断している。「夏」「ソーダの味と泡沫」「溺れる」「夢」といった主軸のテーマ性を一貫し、また発展させる全ての土台はこの曲から由来する。
 まさに、プロジェクトそのものを要約するオープニング音楽と言える。

 オープニングがあればエンディングがある、レモンリーフと銘打つならば対となる植物が欲しい、始めから終わりまでの要素を縦断したものに対してアンサー的な作品があるのならば尚良し。そうした意図を込めて、レモンリーフとの対を為すもう一つの表題曲が制作された。言わば、有終の美に必要なエンディング楽曲が必要だったのである。それこそが『ドラセナ』であり、Illusion of a missing summerに伏流として流れ続ける「相補性・類似性の物語」としての決定打に当たる。レモンリーフが、要素やストーリーの要約であるならば、ドラセナは更に複雑性を帯びた要約をしている。即ち、作品の構造に対しての要約なのだ。


 ドラセナは、例によってレモンリーフと対の作品であるが、同時に親和性と類似点が多い。まずはそちら、親和性としての文脈から明かしていきたい。
 真っ先に挙げられるのは、歌詞やメロディライン、コードや楽器のアプローチにおいてレモンリーフと同一性を持っている箇所にある。
 Build up(Bメロ)の箇所における歌唱や歌詞を聴き比べて頂けると即座に分かる程度には明確であるが、こちらはレモンリーフのDrop(サビ)のメロディラインと全く同一のものである。歌唱データもまるごとレモンリーフから流用しているが、フォルマントなどを変更したり、オートピッチ調整をかけたりして質感を変えつつ、リングモジュレータというプラグインを使用して本当に溺れているかのような加工を施している。
 二番のBuild upについては特に、レモンリーフの歌唱データをチョップして切り貼りしている。ちゃっかりレモンリーフとか言っているのは聞き取りやすいだろうか。そうした点から、ドラセナは一つのサンプリング楽曲としての面を持つ。後述するが、レモンリーフもドラセナもEDMという性質を持ち合わせている点での類似項もある。
 歌詞についても、レモンリーフから由来する歌詞はいくつもあり、それらは悉くアンサーとなっている。こちらについては、いずれ出るだろう小説と合わせて探してみて欲しい。これらは、対でもあり親和性でもある。
 楽曲的なアプローチとしての親和性では、そもそもセクションごと全く同じ部分がある。ドラセナの一番Drop後の間奏や二番Dropについては、レモンリーフの二番Dropその他さえ聴いて頂ければお分かり頂ける。このフレージングやセクションは、両曲のアイデンティティとして強烈に作用している。リリースカットピアノのバッキングに対して、リードシンセサイザーの起伏に富んだメロディは一つの代名詞である。
 また、ドラセナのラスサビの展開として、動画の3:45からのメロディラインはレモンリーフのラスサビと類似しており、更にコード進行も殆ど同一のものである。ドラセナは、基本的にⅢm→Ⅳ→Ⅵm→Ⅰというコード進行のみで進行するのだが、例外的に別の進行が起こる時には全てレモンリーフからコード進行が由来している。ラスサビや先述のピアノバッキングのコードは、Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ→Ⅲm(Ⅲ7)となり、特にⅢ7は印象的に響く。こうして、レモンリーフのアイデンティティとしての要素がサンプリング的に仕込まれていることで、一聴して類似性を感じられるようにしている。その割には、楽器構築によるアレンジが為されているために、完全に同一のものを仕込んだための違和感は薄いのではなかろうか。
 また、ジャンル的にもドラセナはEDMの系譜を受け継いでいる。この辺りは単純な統一性を求めた結果ではあるのだが、サブベースの使用や速度感、ノリの良さにおいては差別化と同質性をなんとなく意識していたり。
 

 ドラセナはレモンリーフの対として存在している。レモンリーフはトロピカル・ハウスのノリの良さにkawaii future bassのエッセンスを混ぜ合わせて作られているが、ドラセナはエモーショナルなプログレッシブ・ハウスの雰囲気に加えてfuture bassのアプローチを多く含む点で、一つEDMのキメラ的な出自からして差違がある。ドラセナについては、ハーフテンポのドロップやしれっと存在しているスーパーソーシンセサイザ、Ⅲm→Ⅲ♭m→Ⅱmなどの半音下降のコードアプローチにfuture bassの要素がある。
 また、決定的にレモンリーフと異なるのは、物語ありきの展開性である。レモンリーフが単純明快なリフレインの構造を持ちながらアプローチの変化に富むのだが、ドラセナはこの点を更に過剰にしている。その末に、ドラセナには実にストーリーテリング的な期待感のコントロールが為されているのだ。
 ドラセナは、起承転結と焦らしの二項において格別に注意しながら制作されている。イントロからVerse1(Aメロ)までをメロディアスな起こりとして、起に位置付けられる。
 ここからBuild up1を経てのDrop(サビ)なのだが、ここに一つの癖がある。Build upではライザーサウンドなどにより十分に期待感を上げているのだが、Dropは敢えてfuture bassのハーフテンポ的なアプローチにより重心の低くゆったりとしたものとなる。一つの不完全燃焼、焦らしとなりつつも、Drop後半で盛り返しながら、しかしサウンドやメロディラインは突き抜けることなく間奏へと持ち越されてクールダウンを挟むのである。この時点で承を司り、敢えて爆発をさせず突き抜けず、楽曲の最高到達点を隠している。
 ここから二度目のVerseに移行するのだが、一度目に対して速度感が体感上早めに変化する。そうして駆け抜けた上でのBuild upなのだが、此処が実に肝心であり、この楽曲最後の焦らしとしての要素が色濃く出ている。ローパスフィルターによる音響の静まりやくぐもり、歌唱にはリバーブ要素が多く含まれ深遠さを演出し、一度目のBuild upよりも一層抑えられた印象を与える。その上、二回目のBuild upのパートは、一回目よりも長く展開される。より長く、かつより強い盛り上がりを経て展開されたBuild upの終わりまでを転と見做せる。
 最後のDropもといラスサビにて、ようやく期待感通りの炸裂をする。ギリギリまで持ち込んだ焦らしと緊張感に対して、Dropも一回目と異なるアレンジを施すことにより解決するのである。Drop以降は怒涛の展開をしており、二回目Drop、落ちサビ的Drop(ピアノバッキング)から続いてピークを迎える。その後、エンドロを経て余韻を残しながら終わる4分22秒目を以て完結する。
 この通り、ドラセナは期待度を出来るだけ後半へ持ち越し、焦らしやフェイクを挟みながらも最後にキッチリ消費する構造を取っている。作品の起承転結、或いは三幕構成に則った展開性にこそドラセナの技巧が費やされていると言っても良い。言葉による語りは完全に後日談なのだが、音楽そのものの展開ではストーリーの流れを体現しているのだ。これはレモンリーフとは対照的である。


 余談だが、レモンリーフとドラセナはどちらも植物の名前だ。どちらも観葉植物として用いられることが多く、英名はSalalとDracaenaと言う。双方の花言葉には「無邪気」と「幸福」という、これらの楽曲群やストーリーになんとなしに皮肉めいて絡んでいる。これらの曲からストーリーのキャラの名前も取られており、沙羅(サラ)と樹(タツキ)となっていたり。楽曲のイラストにも、レモンリーフとドラセナがチラチラ見えているので、暇を拗らせているなら探してみては如何だろうか。


 今後完成するであろうプロジェクトの土台となる二曲が制作され、いよいよ本格的に動き出した。勿論他の作品も制作するため、かなりゆとりを持って進行するのだが、少なくとも来年のこの時期までには完結しているはずである。ゆっくりと待っていて欲しい。

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