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好きか否かは、瑣末なことである

時の流れに翻弄され、11月も半ば。
今年は気温が高く台風も少なく、今年こそ冬は来ないのではないかとうかうかしているとこの様でございます。

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山を仕事にして6年

山を登り始めたきっかけは「ヤマゴヤ」ってなんだろう、という疑問から。
気づけば6年も経ちました。
長い入下山の最中、昔を振り返ったりなんかして自分でも大きな変化を感じることがありました。そんな中でひとりボソッと呟いたひとこと。

“好きなことでなくても継続できるんだなぁ”

決して登山を趣味にしている人や好きで登っている人を軽蔑しているわけではありませんが、せっかくの休日をこんなハードな登山に費やす気が知れない、というのが正直な僕の気持ちです。
確かにそこでしか見れない景色・出会い・達成感がある、そこは重々承知しております。
ただ今だに、仕事であるから登るというところからの自身の変化は見られません。

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その心は

ここまで読んでいただいて、山が、というよりも、登山があまり好きではないということをなんとなく読み取っていただけたかと思いますが、そもそもの入り方が「ヤマゴヤ」とは何ぞや、なのでそれもそのはずではあります。

さて、前節に書いた“好きなことでなくても継続できるんだなぁ”ということについてですが、こうしていろいろ言いながらも山仕事には6年も携わっているわけです。
昔の自分は「好きなことでなければ続けられない」と思っていました。
確かに、継続することの動機としては「知りたい」と「好き」に於いては後者の方が強力であり愛情が尽きない限り半永久的に継続できるものです。モノ相手では尚更です。
僕の人生の軸になっているバドミントンも中学生の頃から猟奇的に愛してやまないので、やはり間違いがなさそうです。
ただ、単体で見た時の動機としての強さに於いては、の話であるということを気づいたわけです。
「知りたい」から「満足」になるかもしれないですし、そこからもっと深めていきたいことや何か「好き」と思えるものが見えてくる可能性をあまり考えていませんでした。
小屋ごとに特性はあるものの自分自身はある程度「ヤマゴヤ」知った上で、まだ知れることがある(業務の特殊性から仕事の幅がとてつもなく広い為)と感じたり、そもそも接客業が好きであったり、山小屋業務の特殊性が好きであったり。
そんなことを考えるようになってきました。

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魅力発見アンテナを大切に

恐らくこれからも、山仕事を生涯の生業として最前線で行なっていこうという心情の変化は起きないでしょう。なぜなら『バドミントンを一生涯のスポーツとして日本に定着させる』という人生目標に対しての通過点であるからです。
ただ、点を数学的(理系的)に捉えるのか文系的に捉えるのかによって解釈が大きく変わります。
僕は通過点は決して一瞬である必要はなく、読点のようなものであっても良いのではないかと思っています。点と捉えていたものが視点を変えることで、また他の事柄に繋がっていて、まるで連なっていたかの如く動くかもしれません。

何か物事を始めるか悩んでいる人、やめようと悩んでいる人、現在地と目的地がガスに包まれて不明瞭な人、若輩者のこんな拙い文章ではありますがきっかけになれば嬉しい限りです。

山小屋と山仕事には面白みを感じますし、これからも携わっていきたいと強く思っております。でもやっぱり登山という行為は進んで行わないかなぁ。

“だが、変人で結構”

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