見出し画像

自分の見ている世界は現実か?

これだけバーチャルな3D空間とか、
AIによる文章や動画や画像が溢れていると
今自分がいるのって、本当に現実の世界なのかな??
そんなふうに思った事ないですか??

自分の見えている世界って本当かな??


もしかしたら、今が2023年っていう設定は
私だけがそう信じて思い込んでいるのかもしれない。


ちょっとゾッとするような怖さも覚えるけれど。
もしかしたら、2050年くらいの誰かが映画館のようなところで
今のこの私を見てるかもしれないですよね??

本当は2050年という時間軸の中にある
2023年の1シーンなのかも??


例えそうだったとしても
確かにここに毎朝「おはよう」っていう人がいたり
少しずつの日々を一緒に過ごしてきた人もいるし、

それはそれでも今ここの私の心は幸せだと思える。

そして、例え映画のような中の時間軸だとしても
確かな存在、家族や友達や仲間を感じている私がいてよかった。


信じる気持ち。

自分のこの感覚、幸せだとか、温かいとか、感謝の溢れる思いとか
こんこんと溢れる自分の中の思い

これを頼りに生きたり
これを信じて前を向く気持ちが支えになっている。


あなたの人生を好きな時からやり直せるとしたら??

例えば私だったら「高校入試」
あの時、本心じゃ無いのに見え張って無理するんじゃなかった。
今もヒリヒリ痛い。

あの選択が、その後の長い長い暗闇の入り口だった。

でもあの長い長い暗闇で
夫と出会ったし
暗闇があったから自分の中で確かな哲学の時間が持てた。

今の私の生きる支えだし、まさに私らしい人生。
あの長い長い暗闇で見つけたものは煌めく宝物になった。

だからまあ、いっか。

それならば、、

少し遡ってやり直したらどうなるか?描いてみる。

もしも「高校入試」選択をもう一枚の別の切符を選んでていたら
どうなっていただろうか?


やっぱりなぜか夫とは出会う気がするし
きっと別の切符にしたとしても
長い長い暗闇に入るような気がする。

そして煌めく宝物は結局同じのものを感謝しているように思う。



それほど今のこの時間は満たされていて
今周囲にいる人をどうやって満たしていこうか?
そんなことばかり考えている私もいる。

他人のことは放っておきましょう!


さて、2050年の映画館で、2023年の今のこの私を見ててくれているとしたら?

きっとこう思いながら見ててくれているはず。

『"私"はこういう人って決めてるのはこの私っていう人』

映画館で観ている人は
『"私"っていう人はこういうところあるよね、、』

『あの人を苦手〜って"私"が思ってるよね』

観客だし、"私"はただの登場人物だしね。


自分の握りしめている思いは自分で決めていて

自分で勝手に背負っている荷物

そういうこと。

私は可哀想って思いたい人は可哀想に生きるし
私は幸せって思いたい人は幸せにに生きるし

頑張り屋さんって思われたいから頑張ったり
自由でのんびりしたいって思う人は自由にのんびりしてるし

わかっちゃいるけど、
全て自分でもはや無意識の中に”こうありたい私”を設定して
その設定を目標に日々息をして振る舞っている

すごいなぁって言われることですごい人になっていったり
可愛いねって言われるから可愛い自分を捕まえていったり

ちゃんと自分で選んで、その通りに生きている。


夢なんかなくてもいい。

私はたくさんの夢がある。

例えば
海外を頻繁に仕事で渡り歩きたい
世界自然遺産の中で圧倒させられたい
夫とキャンピングカーでアメリカ横断したい

場所や時間を選ばない収入源を確保したい
自分の働きで一人でも多くの人に豊かさや幸せな人生を提供したい
平和の架け橋として存在していたい

手帳に書き足している夢は100個以上
主に夫と二人の冒険や探検をしたいのと
事業で一人でも多くの人に豊かさや幸せの実感を提供したい
死んだ後になっちゃんのおかげで今も幸せだと、言ってもらえる人になりたい

たくさんの夢はあるけれど
結局夢ではなくて、今やっていることをますますコツコツと
しっかり自制しながら、些細なことを積み上げて、

そんな夢みたいな日々ではなくて
退屈でつまらない日を大事にしたいと思っている私なんだと思う。

「夢なんかないわ」
「いいなぁ、夢があって」

色々言われるけれど、夢は私の人生のことだから

それを夢という表現にせずに
毎日という言葉に置き換えてみると

「毎日なんかないわ」
「いいなぁ、毎日があって」

ということになる。

だから夢を見るよりも大切なことは、

今この瞬間、今日という日の積み重ね=毎日を見ること。

これが一番大事なことかなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?