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混沌から生まれる

はるか何億年も前、混沌とした宇宙に生命体が生まれ、そこから少しずつリレーをしながら繋いできた私たち人間(多分、知らんけど)怪しいと思っても、どうしても目に見えない何かの応援や介入や妨害があるように思える。

それでも目に見えない操作ある。。よね?



おばあちゃんは躾に厳しい人だったんだ

祖母のお葬式の会葬御礼の言葉で気が付いたこと。

里山の田舎暮らし、反対集落が一望できるリビングの窓。
暮らしの情景を含む山肌や空を眺めて毎日のように満たされていると思う。

木がたくさん生い茂り、
ここかしこに「土」がある里山は

どの角度から切り取ってもエネルギーに満ち溢れていて、

守られている感じや
励まされている感じ。
本当にそれでいいのか?と問う感じも
よかったねとの優しい気持ちも届けてくれます。



例えば今日。。

とても雨が多く、田畑には人の姿はなくてひっそり濡れそぼる。
慈悲深く、まるで自分の内省に寄り添うかのように佇む。


例えば昨日、湿気と暑さのせめぎ合い。
ちょうどうちのスタッフもスタッフの家族も体調不良が多くて、
日常業務は綱渡りの様相で
外の景色と同じようにせめぎ合う。


酷暑の中でも田畑の繕いを直している人がいたり
突然の雨から逃げる鳥たちの慣れた様子
洗濯物をたくさん並べていたお家の庭の柵がいつの間にか片付いていたり
夕景の鮮やかな色に溶けてゆくトンボ

さらさらと日々を乗り越え味わい幸せと思うことができるのは、
この窓の外に広がる景色の後押しかもしれない。

あなたが感動する美しいものってなんですか?


素直に感動したり言葉にできる人


私、自意識過剰。だから
褒められると嬉しすぎて「やったー🙌」って素直に小躍りしたい気持ちを
隠しちゃうところがある。
自意識過剰を悟られたくないから🤣

自分の心の中では思いっきりガッツポーズなのに。

この素直じゃない感覚を日本人らしいって言うと怒られそうですが

どこかで、

おばあちゃんの「はしたない事しなさんな」みたいな声が聞こえる。

躾には少々厳しいところもありましたが
それも我が子を思う親心ゆえのこと
私たち子供4人をしっかりと育ててくれた母のおかげで
今があるのだと感謝の念は尽きません
困っている方々にも迷わず手を差し伸べる母は
長い間 民生委員の活動に携わってきました
長年勤続で表彰されたことも 
励みになっていたことでしょう
孫ぼ成長を温かく見守り ひ孫にも恵まれた良き人生だったと信じています

令和⚪︎年⚪︎月⚪︎日満95歳を以て天寿を全うし 
悠久の旅路につきました

奇しくも父の⚪︎回忌を迎えます

病院で辛そうにしている母の姿を見かねたのかもしれません
新たな世界では二人であちこち旅をして
笑顔で過ごしてほしいと願っています

生前多くのご厚情を賜りました皆様へ
深く感謝を申し上げます
本日はご参列いただき 誠にありがとうございました
略儀ながら書状にて御礼申し上げます

支えていただきました皆様に厚く御礼申し上げます


おばあちゃんはいつも大きくてまっすぐで厳しくて、深く優しい人でした。

このおじさんの書状の文面がとても素敵で、
溢れる涙が止めれませんでした。
これを書く今でも溢れてくる。


大抵は読まずに捨ててしまうような型通りのお礼の品の中に忍ばせてある書状


おじさんと言う人柄を改めて感じて深く頭を下げたくなった。

最期に会いに行った時のおばあちゃんが
手足の先々まで潤いに満ちていて
ちょうどコロナ禍で面会制限もある中でも
何とか受け入れて、取り計らって対処してくれたおばさんの存在をも感じて
もう一度頭を下げたくなった。

「多くを言うもんじゃない」

そんな教えや文化がしみ付いた私の父に育てられた私。

文化なのか?躾なのか?素直じゃないだけなのか??

そんなことはどうでも良くて
そもそも、そう言う土壌の中で育った私の中のいろんな概念や思考。


多くを言わずとも相手の背景や心情を深く読みとり
気づかれないようにさりげなく手を差し伸べる

潔さや思い切りの良さ
気風の良さや慎ましやかさ

日本人の女性の美しい姿と思っているし
そこを目指して今も存在している

かっこいい生き方のように思う

こんな話を娘にしたら『??』っていう顔が浮かぶ

時代とともに変わるもの

多くのスタッフが集う事業所を運営するようになって

ようやく見つけた道

かっこよさや美しさって色々あって

もしかしたらこんな価値観は古いんだろうな
時代錯誤と言われたり
自意識過剰と取られたりするんだろうな

雨は地球が存在を維持するためにバランスをとっている現象のひとつ。

スタッフみんながそれぞれに
自分のやりたいことをちゃんと大事に生きてくれている

それと同時に

全体に対する気遣いを常に意識しながら
自分にできることは何か?と動いてくれている

うちのスタッフたちはつくづくありがたい存在で
改めて素敵な人に恵まれていると幸せを噛み締めています。


この地球で雨や風や雷や霰が存在するように
チームにも雨が降ったり風が吹いたりすることがあって

それでも丸くひとつになって、互いをうまく溶かし合い生かし合いながら
高い水準のまま存在し続けれているのは

素直で、あるがままでいるからなのかもしれません。

短い時間軸で考えるとお互いの配慮や許し合い、高めあう気持ち

波長の合うもの、波動が同じ人ばかりの集まりだから

そういう捉え方になる。

長いスパンで考えると、
祖母が価値観や美意識について育んだ時代に流れていた
お互いの配慮や許し合う、高めあう気持ち
波長の合うものや、波動の同じ人のあつまり
という五感は

今のこの生きて感じている五感とは全く異なったものに違いない。

地球がバランスをとっているように
この見えない魂たちも、悠久の流れの中でバランスを取っているように思います。

だから、今の時代はわかりやすさや早さが好まれる時間軸の中の
許し合う高めあう。

祖母の生きていた戦中戦後の時代の許し合う、高めあうとは全く異なるが

結局もっと大きな流れで見ると
それも行きつ戻りつして
バランスをとっているように思う。

ある日突然社長が外国人に変わったら?

勤めている会社のオーナーが超合理主義のビジネスマンの外国人に変わったら?
そういう話を最近友人としました。

多分、通訳さんがいないと美しい言葉に変換しちゃう気がします。

例えば!
日本人独特の言葉遣いや伝え方を相手に伝わるように変換して表現するんじゃないかなと思うんです。

きっと新しく出会った外国人オーナーは
こういう事を評価してくれて、
こういう事に関心を払ったり

こういうことは毛嫌いして
こういうことは排除したいはず

全部相手の仕草や立ち居振る舞いや気配、表情を見て判断して。

多分この相手を受け入れたり
相手を立てたりするのって

日本という風土の中で培って、
今も日本の企業に存在している中で
自分という存在を立たせるために絶妙にバランスをとっている。

感情は美しく変換!しがち


そんな空や不可抗力の環境から
突然降ってくる雨や新しい価値観

その時によって自分の感じ方に違いがあると思いませんか?? 

自分が元気いっぱいで内側からやる気もエネルギーも溢れている時に、
雨や不可抗力がやってくると
まるッと受け入れて自分の中でうまくバランスをとって
自分らしさの花を添える。 


少し心や愛情が乾いて満たされずにいる時は
身を小さくギュッと閉じて
これ以上乾いて傷つきやすい心をさらさないように
距離をとったり、潤いを求めて助けを求めたりします。 

植えたばかりの夏野菜のプランター
水を入れ続け水が溜まったままだと苗が腐ったり、
茎にカビが生え全滅したり、


素敵な場所でもある清流や木立ちがもたらすものの一つ

湿度の高い日が続くと
家の奥まった場所にあるクローゼットや風通しの悪い収納扉にびっしり着くカビ!!

家の外壁のカビに悩まされているお宅も少なくありません。

それほど、豊潤な大気の中で暮らし、見えない細菌に包まれ暮し生きている。



自然の摂理も私の身体も心も、そして歴史と言われる時代の流れも同じ
必死でバランスをとっているだなぁと思うのです。

そう考えると誰かと出会うしかない!!


日本人として生まれたことに
心から喜びを感じたり

日々の暮らしや誰かの美しい所作に感動したり

日本人としての慎ましやかさや心根に美意識を持てるのは

誰かと腰を据えて話したり
誰かに触れてみたり

そういうことから感じる

地球という星で生まれてよかった。

地球というたったひとつの星を
大事にできる


地球に喜ばれ応援されるような存在で生きることができるのが
一切の不幸を寄せ付けない

美しく幸せな人なのかなと思う。

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