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私らしさの軸が生まれた頃

ひとりぼっちを選んだわけ


県外の女子校を選んだ

親の推しも強かったと思う
特別強要してきたのではないけれど
「大学時代の素敵な友人がここの卒業生で・・」
「そう言えば、あそこの優秀な娘さんもここの卒業生で」
とか。

でも自分で選んだ。

キャビンアテンダントになりたいと言ったら
「それは大変な仕事だぞ」と言いながらも
どこか嬉しそうな誇らしい顔をしていた気がしたから
そうなりたいことに決定した

「地域の高校ではその夢に向かうには環境が整っていない」
「留学制度も充実していて、いろんな経験もできそう」
云々カンヌン、、

結構頑張って勉強していた
勉強は嫌いじゃなかった
やったらやっただけ数値化されて達成感もあるし

「すごいね」と目に留めてもらえるのが嬉しかった。

女子高では人を拒絶していた

高校の入学式の会場に向かう列の前の子が振り返って話しかけてくれた。

みんなワクワクキラキラして見えた。

私、ココにいちゃいけない気がすると直感で感じた

入学式はまだ始まっていないのに
どうやったら辞めれるんだろうか?そればっかり考えていた。

どこかあどけなくて、ふんわり柔らかで、
純粋で素直でまっしぐらで、お花畑のようだった。

私が生まれ育った場所は

孤独だけど、誇り高い
息苦しいけれど、沈殿から抜け出すパワーがある

そう言う匂いがする
大人と言われる社会の中だった

霞の中でもしゃんと立つのが正しい
大人な厳しい社会だった

お花畑の中ではどうやって過ごしたらいいのか
分からなかった

無邪気になりたくなかった私


体育のバスケの授業。急に目の前にボールが転がってきた。

まだゴールまでは遠く、
かと言って鬱蒼とした森のどこにいるのか分からないほどに

ボールを託せる誰か、がいなくて
少しドリブルをしながら森に入って行った。

森の木々はザワザワしてるけれど
やっぱり遠くて入れそうになくて

バスケットを目がけて放り込む


途端に森の中からひとりひとりの姿が見え始めて
自分の行動にげんなりした

なんで頼れないんだろう

なんて声かければ良いんだろう


「どうしたらいいか分からない」
「誰か助けて。。」
「息苦しいよぉ〜〜」
そういうことは言ってはいけないことのように思っていた。

幻想を捕まえるのが早すぎた

幼い頃地域のミニバスケットボール部に所属していた
地域のミニバスケットボールクラブだから
同じ小学校の子がいっぱいいて

大きな小学校だったので教室で仲良しだった子とは違う
友達ができた

練習するのは夢中だった
好きとか、楽しいとか、、
そういう感情というものはなかった。

ただ夢中だっただけ。
嫌いでもなかったし、
苦しかったと言えばそうだったかもしれないけれど

「はぁ、、水のみたーーーい」
(当時は練習中にの水分摂取は禁止の時代)
って言い合える友達もいたし

「練習キツイね〜〜」
って汗を拭きながら互いにいたわり合える友達もいた

いつだろう?
急にどこかむなしく感じたことがあった

いまいち調子が悪い
頑張ってるのに報われない
なかなかトンネルの向こうの灯りが見えてこない

ひとりぼっち?っていうのかなコレ。

【今年叶えたいことが10個ある。そのために自分が今できる精一杯の発信に力を注ぎたいと思っている。そうすることに何があるのか?見極めたい。そういうわけでここから先は有料にしました。ぜひ読んでください。渾身の執筆を続けたいな。】

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