見出し画像

遠くなる真昼

 連休に美容院を予約していた。無精者であるから、休日の気安さでぎりぎりまで寝ているものだから、たいていタクシーを飛ばすことになる。土曜日もタクシーに乗りながら、「結局、いくつかのいろいろの理由をもってしたところで、自分が本当に東京、今住んでいる場所から離れられないのってこれが理由だろうな」と、わずかに開けた窓からすがすがしい風を感じながら漠然と言い訳をしている。要するに、ギリギリまで寝ていてもタクシーを飛ばせば間に合う場所でないと、もう無精故に生きていけないのだ。

◇◇◇

 美容院を出ると18時前でもずいぶんと暗く、連休最初の街は夜のとばりが下り一層の躍動を見る。生まれたての夜に休暇を楽しむ人々のときめきが音符のように跳ね、アスファルトやビルにぶつかって飛び交っているように見える。そしてそれらがまじりあって初秋の空気に溶けていた。

 青山通りを歩き、どこでPCを広げようかしら、と思案して「あ、スパイラルに行くか」と思う。もはやどのくらいぶりか思い出せないほど久々のスパイラルカフェだけど、昔は毎週必ず赴いていたものだ。
 スパイラルカフェ、ここは別名「打ち合わせ銀座」とも呼ばれるほど、平日は業界関係者が四六時中打ち合わせに使用している名物カフェである。知り合いに会わないことはない、というほどで、このところはそうした必要性から遠くなったことから、とんとスパイラルに赴くことが減っていた。

 ◇◇◇

 そういう使用のされ方が顕著であるカフェは、自然と休日は空いている、もしくは普通のカフェになる。訪れた時間帯も遅く、客は自分とあと数組ほどしか広い店内にいなかった。うち1組はそれでも取材か何かの用向きのようで、聞きたくなくとも静かな店内にずっと話しているのは彼らだけなのでいやでも耳に話しがはいってきていた。

 少しおなかに何か入れよう。平日の賑わいがウソのような静謐さをたたえたカルチャーの城で、アペリティフと前菜のようなおつまみなどオーダーしてしまう。アルコールを入れてこのあと頭が働くのかしら、と思わなくもないが休日の最初をこのように過ごすことをずいぶん長いこと忘れていたな、と思う。要するにこの数年間にわたって、週末らしく休日を過ごせる日々になく、ずいぶん禁欲的に生きてきたように思う。あくまで結果論でしかないのだけれど。

 サラリーマンをしていると、休日と平日の境界は実にくっきりしているものだが、自分のような働き方をしていると曖昧になる。たとえば、どうしても書き物仕事のようなまとまった時間の確保が必要な仕事をする際、打ち合わせや他の仕事の合間にできない場合は、思い切って週末に回してしまう。だから完全な休日というものが手に入りにくいので、どこに出かけるにもPCを携えているから、精神的にも追われているような感覚がつきまとう。

 スパイラルカフェで冴え冴えと冷えた白ワインが喉を流れいくのを感じながら、この場所で出逢ってきたさまざまな人たちや、そのときの仕事、そのときの感情などを思い出していた。今も大差ないけれど、過去にまだとても若く未熟だったころ、トラブルを収めるために話し合いをしていた過去の自分や、新規で始める取引のための顔合わせに澄ました顔であいさつをしている自分など、この場所に過去の自分がたくさんいるのを感じた。

◇◇◇
 若く未熟であったことは仕方がないことであるが、たくさんの人を傷つけてきたと思う。あまり良い終わり方でない仕事の最後も思い出すだけで2,3ある。けれど最近、反省はもちろん必要だけれど、こうした、過去に一生懸命のあげくうまくいかなかった出来事を思い出して、過度に自分を責めることはやめようと決めた。だって結局、回りまわって別のケースで自分が同じような目にあって帳尻が合うことが多いのだから。因果ってやっぱりあるよなぁ、と思う。
 だからそのときそのとき誠実でいることでしか、たぶん解決策はない。

◇◇◇
 
  これを書き始めたとき、庭ににぎやかに小鳥のさえずりが響いていたのだけど、いまやその声も減り小さくなった。夕暮れが迫っているのだ。

 1日1日を丁寧にとか手触りを大切にとか、やっぱりまだそういうふうには生きられないのだけど、そういう時間を持てる工夫はした方がいいよなあ、といつのまにか10月になっていることを改めて感じてやや焦るのだった。 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?