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二本の脚、日光路の小さな記憶

しとど流れ落ちる汗にかまうことなくそのままにしながら、ぬるく吹く熱風にさらされて、ハンドドリップで淹れてもらったばかりのかぐわしい薫りのコーヒーを一口ふくむと「なんてすばらしいの」と心が喜ぶのがわかった。

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大好きで毎年訪れる日光に、偶然にも足を運ぶことができた。事のはじまりは、かつて入院していた病院へ1年に1度の経過観察で訪れるのだが、それは栃木県にある。当時、東京の有名私大病院から自分の理想とする治療をしてもらえる病院をみつけ転院したのだった。想像を上回るすばらしい病院と医師に恵まれて、おかしなことにわたしはこの病院を訪れることが大好きになっていた。3ヶ月毎だった検診も次第に半年に一遍となってついには1年に一度となり、かつて生死に真摯に向き合ったかの地に行くと、もう一度われとわが身をふりかえり、「よく生きなくては」と思えるのだった。

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折しも感染症の影響で、先月は悩みに悩んで通院をキャンセルしたのだが、結局いつになっても収束は見込めないしで、病院にも何度も相談をして訪問することとなった。そして、とうとう検診も今回で卒業となったのだった。そのまま帰京しようと思ったのだが、ほんのちょっと足をのばせば日光、せっかくだから行くことにした。そうして、普段は車で通りすぎてしまうエリアを、歩いてみることにしたのだった。駅から東照宮あたりまでの門前というか参道は、江戸時代から続く老舗店や、古民家を改装した新規店舗などが軒をならべる大変に楽しく面白いストリートであった。

ちょうど真ん中あたりまで歩いたが、猛暑も猛暑、日盛りのタイミングにさすがに足元もふらつく。どこか適当な場所でコーヒーブレイクをしようと決めていたが、古民家を改装した自然食レストランがテイクアウトのコーヒーショップをやっていた。そこで丁寧に淹れてくれた実においしいアイスコーヒーをごくごくやりながら、ベンチにかけて往来を眺めた。すでに襟まわりが汗で冷たい。早朝から出かけているので疲労もあったが、なぜだかとても爽快で幸福感に満たされていた。そうして覚悟を決めて、「よし。ここまで来たら行ったろうじゃないか」と、もう一度歩き始めた。

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輪王寺、東照宮、二荒山神社と世界遺産の社寺周辺にたどりつく。神橋のあたりでにわか雨が降り出して、晴れ雨兼用の日傘をさすが、そこからふと誘われるようにして入り込んだ奥まった苔蒸す石垣と杉並木の道は、うっそうとした木が完全に雨の侵入を防いでいるのだった。みんな東照宮へまっすぐ向かうので、自分は一人だけでこの緑の世界を味わう贅沢を許された。本宮だった。

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信じられない思い。招待でもされたかのように感じた。一人ゆっくりと息を切らしながら石段をのぼる。雨音がやさしく、わたしを浄化していく。手を合わせて目を閉じると、雨がさらに濃くした森の香りと雨の匂いが混ざってとてつもない静寂の世界がまるで宇宙そのもののように感じられた。

その後、もう何度も拝観しているので今回は徒歩単独ならではの行程にこだわって、輪王寺そばの宝物殿に入った。みんな東照宮に向かうので、なんとわたし一人だけで、改修を終えた風神・雷神像をはじめとする由緒ある品をゆっくりと鑑賞することができた。そして、その入場料は隣接する逍遥園という日本庭園の入場も兼ねているので、これもまた一人ゆっくりと庭園を散策する贅沢を許されたのだった。

これがまた大変すばらしく、全身の汗はすっかり引いて冷たくなっていたけれど、苔むした池泉回遊式の園内をそぞろ歩くにはちょうどよかった。江戸時代初期に建てられ、19世紀初頭に改築された日本庭園は、石灯籠、橋、竹垣、塔、小さな茶室が庭を飾っていて、誰もいないベンチに腰掛けてしばらく忘我の境地に。もう、毎日ここに来れたら最高だろうな…と日光への移住欲が高まる。

疲れ切った体に最後の喝を入れて、もう一度来た道を帰る。不思議とつらくない。でも、時折ふらりと足元が揺れ、めまいがするので暑さにはやられたようだった。でもわたしはこの数時間、盛夏の昼下がり、滂沱の汗を流して二本の脚を使って手にした成果にふるえるほどの喜びを感じていたのだ。

不思議なことに、この体験でわたしのなかの何かが燃えた。生きているという力を実感させる何かが。

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