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小野田さんのこと

 いまもっとも気になっている人、それは小野田さんだ。時間に余裕があるので毎日、気がつくと小野田さんのことを考えている。小野田 寛郎さん、太平洋戦争に従軍し、第二次世界大戦終結後29年も経ってから日本に帰国するまで孤独な戦いをフィリピンで生き延びた人だ。かの人が目下、眼中の人となったきっかけは先だって再放送で観たNHKのドラマ「小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死」からだった。私はこのドラマを観るまで、大いなる思い込みをしていたことを知った。小野田さんについて。

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(画像出典:NHKオンデマンド

 昭和生まれであればなんとなく程度に仕入れた知識として小野田さんと横井庄一さんのお二人が終戦後も残留日本兵として帰国できなかったことを知っていると思う。自分においてもその程度の知識しかなかったのだが、小野田さんはまったくもってそんな話ではなかったのだ。小野田さんは知っていた。戦争が終わったことも、そして自分の祖国が戦後どんどん復興を遂げ発展していっていることも。さらに、彼が孤独な行軍をしているために、フィリピンの現地人に攻撃を加え(なんせ彼はまだ戦中だと信じているため)、フィリピン政府でも大きく問題視するようになった。そこで日本政府へ何度も小野田さんを連れ帰ることを依頼。

 現地入りした政府による捜索隊が幾度大規模捜査を実行しても、小野田さんは投降しない。彼は、自身が捜索されていることすらも知っていた。なぜか?ラジオを入手していたからだ。ここでまず非常に驚いたのだ。小野田さんは、戦争が終わっていること、日本が栄えていることを知りつつ、そして日本政府が自分を捜索していることすら知りながら姿を現さなかったというのだ。ここに、彼が受けた特殊教育が悲劇的なほどに強い影響を及ぼしていることを知り、再び衝撃を受けた。かの有名な中野陸軍学校で彼はそれらの教育を受けたためだった。

 「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」
「敵の捕虜となる恐れがあるときには、この短刀で立派な最後を遂げてください」と言われ、短刀を渡された

 米軍にフィリピン全域を制圧された後、小野田さん、赤津勇一さん、島田庄一さん、小塚金七さんの4人は終戦後もルバング島で作戦を継続し、ルバング島が再び日本軍の制圧下に戻った時のために密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をしたという(上記いずれも出典:wikipedia)。一人消え二人消え、最後の一人になった小野田さんだが、ここ、ここからが私がとても関心を寄せていることなのだ。いわばここまでは長い前書き。

 「人は、見たいと思ったものを見る」ということ。

 戦争が終わったこと、日本はもう平和な国として復興していること、これらを事実として知りながらも小野田さんは中野学校の教育により、これらが偽の米国の傀儡政権によるものと信じた。そう、信じたのだ。歴然としてある事実ではなく、彼はそう教えられた経緯が育てた物の見方によって「偽の平和を装った戦時下の罠」と世界を認識してしまった。

 彼の孤独な行軍は信じられないことによって終わる。それは、当時23歳の一般市民である自称・冒険家の青年、おそらくは名を上げたい若者の無鉄砲さが奇跡を起こす。なんという話だ。ドラマにせずにいられないのも理解できる。小野田さんが日本やフィリピン政府の捜索隊にも攻撃をしてきた事実を知っている青年は、いかにもふらっと小野田さんに遭遇してしまった!という体裁をとることに努めたが、それでも急襲される。銃を小野田さんに突き付けられながら青年は説得を試み、おそらくは29年に渡る孤独な戦いに疲れ果てた小野田さんの「戦いを終わりにしたい」と思っていた心に入り込むことで帰国の条件提示を得た。

 小野田さんは「帰れない。上官による任務解除命令がない限り」と答えた。三度の驚愕である。いい大人が、冷静に客観的に考えて自分で決定を出せない。出すことを禁じられ統制されてきた青年期教育の強さだ。青年は小野田さんに当時の上官を連れて再度かえってくることを約束し、それは最終的に果たされ、存命であった当時の上官と共に小野田さんの前に戻った。元上官が任務解除命令を読み上げると小野田さんは投降する。彼の、あまりに長すぎる戦いがその日をもって終わったのだ。

 帰国すると当初こそ大いなる歓迎ムードで迎えられた小野田さんであったが、やがて軍国主義の名残を象徴する人物として避難されるようになる。せっかくかえってきた祖国から、彼は外国に安寧の地を求めて旅立つのだ。なんという侘しいことだろう。同じような経験をした横井さんは、驚くべき素直さで現代社会に順応し比較的平穏に暮らしたとされ、小野田さんの苛烈な人生がさらに影を濃くする。

 また、小野田さんを見つけ出し帰国を成功させた冒険家の青年の人生も、これによって大きく変化した。ドラマではこの青年にフォーカスしているのだが、彼はその後もあの高揚感を求めて「雪男」を探し続けた。ひと事として眺めていると、「こんな人が身内にいたらちょっと迷惑かも…」と思ってしまわなくもないのだが、彼の実母は「あの子と暮らして本当に面白かった」とおっしゃるし、奥様も「雪男を探さないあの人だったらつまらなかったと思う」、お子さんにおいても同様に父を慕う言葉しか語らないのだった。小野田さんだけが、「もう、やめろよおまえ」と青年に告げた。二人は生涯にわたって交友が続いたそうだ。

 これらすべて自分が調べたことではないので無責任な文章になってしまうのだが、強く心に残ったのが、小野田さんも青年も、自分の信じたものが世界となっていたことだ。そう思いたいものが世界として出現するのだとしたら、戦争も同様に理解できる。身近な話で言うなら、「雨風のしのげる家があり、毎日食べるものにも困らない。自分はなんて幸せ者なんだろう」と日々思う人間にはこの世は幸せなものに映るし、「どうしてあいつだけが恵まれているんだろう。自分の不幸は自分以外のもののせいだ」と被害者の意識で生きればおのず、世界はそのようなものとして認識されるはずだ。

 今日もまた、そんなわけで小野田さんのことを考えてしまう。

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