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くるみ割りと元上司

 1年のうちいくつか私的に恒例行事としていることがある。1つには、あえて意識して恒例化することで節目の儀式にしてきたこと。たとえば暮れのサントリーホールで第九とかがそういうのにあたる。
 一方でいつのまにか数回実施したことで、以降あえて継続性を保つようになって恒例行事になったことというのがあり、たとえば仕事先で同じ誕生月の数人で毎年集まって誕生会の食事をしていたことが、いつからか本当に仲の良い人間に限り開催をし続けている会など。

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 後者は継続においてやや懸念が出てきたりする。たとえば、自分が最年長だからみんな本当は断りにくくなっているだけなのかも?とか思わなくもない。だから、節目の年齢があと数年だから、いったんそこで自分から声をかけるのはやめようと思っている。やりたかったら声がだれかから上がるだろうし、あるいはそれぞれが人生のさまざまなタイミングで、落ち着きを取り戻した頃に再開したりなどしながら、時の流れに任せてみようと思っている。

 そうしたなかで、昨夜むかしの職場、最後の会社員時代の元上司といつのまにか5年目を迎えた11月の飲み会があった。食事会ではなく飲み会と呼ぶのがふさわしく、もともと酒飲みである上司に対して私はお酒はすきではない人間であるが、彼と会うときはかつての職場のならわしのようにして、酒をあおり続けることで友好の念を示したいと、なんとなく思うからだ。そして場所は新橋一択。いろんな理由からそう決まっている。

 元ボスと最初の数年はかつて一緒にいた職場での今さらながらの話などに費やされてきたが、ここ2年ほどは様相が変わり、社会のこと、政治のこと、ジェンダーのこと、とりわけ日常ではタブーにしがちな信条すらあらわになりがちな範囲のことまで侃々諤々と話し込む。

 たいてい一軒目は私が支払う。元上司に対して「ここは私が」とか言うのが、ままごと感覚でなんだかおもしろい。上司もあえて私に華をもたせてくれるのか、素直にのって「じゃあ2軒目はおれが」という。そう、私たちはこれもまた昔よろしく、かならず2軒のはしごをするのだった。1軒目でお腹を満たしておいて、2軒目は必ずバーにいく。すでに頭が朦朧とする酒量をしこんでいるので、バーにいくともうラストスパートの気分で飲む。話す。

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 バレエが好きでかつては年に1回は鑑賞していたんだけど、この10年は数年に一度鑑賞できれば良い方になってしまった。けれど気づけばこの数年は、クリスマス時期に「くるみ割り人形」を鑑賞することを楽しく定番化してきている。『●●の時期に●●』というような、シーズナリーのスペシャルをイベント化することがとても好きだ。特にくるみ割りの世界はクリスマス気分を大いに盛り上げてくれる夢のような楽しさとかわいらしさに満ちているのでホリデーシーズンの幸せな気分に拍車をかける。

 なんと今年、それにひとつ楽しみが加わった。姉の子どもたち、姪っ子2人をくるみ割りに招くことができたのだ。かつて青山の叔母様と呼んでいた、親戚なのに一人孤高の貴族のような生活をしていた叔母が、かつてよくそういったシーズナリーのギフトを贈ってくれたり、帝国ホテルにマナー勉強のためにと食事に連れていってくれたりした。自分も大人になったらそういうことをしたいな、と漠然と思っていた。
 
 姪っ子らも中学生と小学校高学年になり、最近では友達同士で少し遠出をするようになったとも聞いていたので、そろそろ良い芸術環境に触れさせてあげる頃合いが来たと思ったのだ。姉に申し出るとすごく喜んでくれて、途中で「待てよ?これって姉Aちゃんも観たいのでは?いっそのこと義兄が許すならば、姉も招待してしまおう」と作戦変更に。結果、許しが出てクリスマス頃には姉プラス姪っ子2でバレエ鑑賞を東京でできることになった。

 感性がまだみずみずしいうちに、生の舞台はたくさん観てほしいのだ。なぜなら姪っ子二人はピアノを習っているが、二人とも地域のコンクールではあるがたまに入賞もするくらいにはがんばっている。私も昔はピアノをやらされていたが、彼女らの演奏は比較にならないほど高度に発達しているのだ。そんな彼女たちならば、総合芸術といわれるバレエの舞台は大変な刺激となるに違いないと思う。

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 何度か書いたかもしれないが、25歳ごろに初めて熊川哲也氏のバレエを観て、大変な衝撃を受けた。これがバレエにはまったきっかけで、英国帰りの氏の、当時ものすごいパッションと勢い、鼻っ柱の強さは一躍話題となったが、それを実力でねじ伏せるかのような圧倒的な演者であった。いまも落ち込んだり気分がすぐれないとき、氏のダンサーとして最盛期であった踊りをYouTubeで観ると本当に胸の開かれる思いがする。

 11月になってまだ私にはものすごい暑いんだけど、街はもうイルミネーションが場違いのように始まり、定番化した習わしとして季節を告げる。突然に冬が来るのかもしれないが、夏から冬の間にいっとき落ち着いて内省できる秋をもっときちんと味わえなかったのはとても残念だ。

 

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