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「Miss Sloane」への羨望

 ジェシカ・チャステイン主演の「女神の見えざる手」をAmazonプライムビデオで2度観た。日本語タイトルに関わった方々には大変に申し訳ないがあえて言うとひどい。この手のことは非常にたくさん見かけるが、特にこの邦題はげんなりするほどだ。それなので以降、愚かしいこだわりだが原題「Miss Sloane」で話を進めたいと思う…。

 ★書き進めていくうえでネタバレが出る可能性が高いので気になる人は以降は任意で読み進めてください★ すべての画像出典はhttp://miss-sloane.jp/

 この映画を鑑賞し終わって最初の感想は言葉が出なかった。ただ全身の細胞が興奮してざわめきたっているのが感じられて、いつまでもそこに陶酔していたかった。次に思ったのは、「ああ、この主人公の女性の生き方は私の究極の理想形なのだな」と感じ、そしてそういう感想を抱いてしまう自分の人生におけるアンバランスさを理解することになった。…って、意味わからんですよね!読み進めておられる方はネタバレ構わないと思うので少し説明してみようかな。

 正直なところ、この映画を観て「自分の理想形」と重ねる人は少ないだろうと思う。とてもある意味で不幸だからだ。トップキャリアの追求の果てに主人公は連邦矯正施設に入るし、家庭を持つことはおろか、恋人とパートナーシップを持つ選択を自主的に人生から排除し、お金でエスコートサービスの男性を買いフィジカルを満たす。とにかく最優先はキャリア、目的の達成。一見するとそう見える。しかし違うのだ。彼女が最優先したのは「信念」であった。孤独。大海原に永遠に独りぼっちの生き方だ。彼女は信念を貫く一義のためだけに、非情な選択を繰り返していく。最後の結末が誰の目にも明らかになる日がこない限り、彼女の選択はただのエゴに映り、自己の成功とキャリアの追求のためならば、仲間を犠牲にすることもいとわない、そのように映ってしまう。

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 けれどそれすらもすべて受け入れて弁解のひと言もしない。人格も人生もある意味で破綻している。それを認識しながらも逃げない。破綻した自己を受け入れて生きていく。おそらくそんなことをして日々の生活を送れるほど、人間として欠陥品でない彼女は、慢性的な睡眠障害であり、そしてだからこそ情の介在しない売買という形で男性を買いひとときあたたなか血の温度を感じる必要があったのだと思う。人間が、ただ自己の成功のためだけにであったらあそこまで人生を犠牲にできない。ひとつ、ただ信念のためだった、ということが何よりも胸を打った。

 自分の理想形と思ったのは、ここが私の人格のある種引き裂かれた部分だなと苦笑いをする思いであるが、人生を悲劇の方へ振り切る可能性すらいとわずに、信念を追求できる仕事に身を投じる機会のあったことへの羨望があった。銃規制、彼女は言った。「命の方がキャリアより重要」と。映画の主軸はこの銃規制法案を通したい派と通したくない派とのロビー活動なのだが、結果として誰よりも甘さのない本気の覚悟でこのことをアメリカという国のためにぶつかったのが主人公だったのだ。ジェシカ・チャステインの演技力ひとつ。これに掛かっていた映画だと思う。

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 2度目を観てみると、初見で気づかなかった伏線があったりしてさらに驚いた。邦題を考えた方々が「女神の見えざる手」としたかった理由もなんとなくは推察できた。アダム=スミスが『国富論』などで使用した言葉で、それぞれの個人が私的な利益を追求しても、神の「見えざる手」がはたらいておのずから調和が生まれ,社会全体の幸福の実現にもつながるという考え。

 アメリカの深刻で重要すぎる問題のひとつ、銃による犯罪、死亡事故について銃規制については、政治関連の海外ドラマや映画で欠かせないモチーフであり、「合衆国憲法修正第2条」という文言は非常によく登場する。

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。(アメリカ合衆国憲法修正第2条)

 一般に保守では既得権益の問題もあって銃規制に反対の姿勢を持ち、………書きたい主旨と外れていって無知をさらしそうなのでこの辺でやめておこう笑。とにかく邦題を考えたチームは、映画のバクっとした印象(主人公のミス・スローンの一見利己的すぎる言動、仕事の仕方は、最後にはみんなのためだった!)みたいなことをあくまで印象としてかの有名なアダム・スミスの国富論になぞらえたのか。さらに陳腐さに拍車をかけた「神」を「女神」としたのは、単純に象徴たる主人公が女性だから。うーーーむ。

 海外コンテンツはタイトルがこのような主人公の名前だけ、というものが結構ある。おそらくコンテンツの主題とその人物がイコールで描かれていて、「もうそれっきゃないでしょ!」てなくらい、登場人物にあらゆる暗喩が込められていてそうなるのだと思うが、日本公開時にそれでは集客ができないのだと思う。それなのでより興味をひきやすく、それはもう皆さん苦心して専門的にも考えておられるのはわかるのだ。だから、邦題のアンバランスさは思っても100回に3回くらいにとどめているのだけれど、今回はちょっとスルーできなかった。あと余談ですが「Law&Order」でお馴染み、サム・ウォーターストーンのお顔が久々に見られてうれしかった!

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 「Miss Sloane」、このタイトル以外は無理だったのではないか。そう思えるほどのジェシカ・チャステインの熱演であり、ここ10年でもっとも気に入った映画のひとつになった。

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