大西淳子歌集『火の記憶』評~ロスジェネと“溜め”

歌集評 大西淳子『火の記憶』青磁社 二〇二二年

 『火の記憶』は大西淳子の第三歌集。二〇一五年から二〇二二年の四八八首を収録。

涼やかにそうめん入るるみずいろのガラス食器は火の記憶持つ

 表題となっているこの歌は、うつくしい手吹きガラスの器だろう、それがそれになる前の姿に想いを馳せる。冷たく心地よい現在の感触とは対照的な熱気。歌集全体を一読してから読み返すと、これは、苛烈な炎熱に焼かれながらもまったく平気そうに、涼しい顔をして生きている作者自らの姿ではないかと思えてくる。

 「大西淳子さんはいま船橋に住んでいるが、もとは〈西の人〉である。香川に生まれ育ち、京都の大学を出たあと今治に就職し、結婚して福岡に住んだ。」第二歌集『さみしい檸檬』の帯文にて、高野公彦が大西の経歴をスマートに紹介していた。そのあとがきによると今治の食品メーカーのマーケテイング部にて新卒採用十三年勤務、福岡の広告代理店に約六年。今回の歌集を編んだ千葉に転居してからは再就職の条件は厳しいながらも金融関係の企画・経理に就き、現在に至る。

失われた世代と呼ばれておりぬ塩パンを食べいるわれはここにいるのに

 大西は一九七二年生まれ。塩パンはベーカリーでは低価格帯の商品。二〇〇八年大晦日、日比谷公園での「年越し派遣村」の炊き出しでは多くのロスジェネを中心とした困窮者が可視化された。だが当時の報道の記憶を辿っても、また画像を検索しても、ダウンジャケットを着こんだ男性が多い。大西のような(そのとき三十六歳の、ホワイトカラーの職種勤務の女性を思わせる)人物の姿は見当たらなかった。セーフティネットを利用するほどには弱者ではない。貧困層にはいない。しかし確実に日本社会の諸問題の皺寄せを受けている。それはさびしさや諦念となってこの歌集を大きくおおっている。

うまくすぎて淋しくなるなんて 見つからぬままいたかくれんぼ

 ここにいるのに「失われた」なんて。安い塩パン。こんなに苦しんでいるのにいないことにされている/そんなふうには見えない姿を望まれている、それに適応できてしまう。ここにいるのに。

デコポンのデコうらやまし正円をはみだす個性消す会議中

デスクチョコしているわれを黙視していつもまじめな三角定規

沈黙の美徳のすえの限界の製氷皿の氷の罅よ

 しばしば無機的な図形のシンボルがあらわれる。はみでてはいけない正円、鋭角の定規(を思わせる喰えない同僚?)の視線。ついには立方体の氷が悲鳴をあげる。

産めなくて夫に父母に日本に申し訳なく思えど死ねず

 お腹の中の子を亡くしたことが静かなかなしみとして影のようにひったりとつきまとうが、激しい希死念慮として襲い掛かってくるのは夫・親・国家などの他者との関係性に絡まれたときだ。日本社会の要求してくる女性の規範が、拘束の図形として存在するのではないか。

最初にうかんだのは「関東にも歌の仲間はいる」いうことでした。何の根拠もありませんが、それだけで大丈夫と思えたのです。(あとがきより)

 年越し派遣村の村長・湯浅誠は、貧困のメカニズムを解明して一九九八年にノーベル経済学賞を受賞したインドの学者アマルティア・セン独自の概念「潜在能力」(ケイパビリティcapability)を解釈・紹介するときに〈溜め〉という日本語をあてた。外界からの衝撃を吸収する緩衝材、かつエネルギーを汲み出す諸力の根源。生活上の望ましい状態・機能を達成するための個人的・社会環境的自由と選択肢、つまり〈がんばるための条件〉。(『反貧困ーすべり台社会からの脱出』湯浅誠 岩波新書二〇〇八年)

ふるさとへ帰るに越ゆる海のありその凪こそが我がカタルシス

 大西には家族やふるさと、キャリアと学びと経験、そしてこの国の各地の歌の仲間という〈溜め〉がたっぷりとある。そこをよりどころに歌を生み、歌が〈溜め〉を生む。大西淳子の作歌活動はいま美しい循環のなかにある。

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