見出し画像

あるとかないとか、そういうことじゃないんだ、多分。


『不思議旅行』
水木しげる
中央公論社

最終章の「死について」で、やたらしんみりしてしまった。
しんみり、というと語弊があるか。

結局、異界が見える人と見えない人の差、というのはないのであって、結局同じことを、ある人はこう感受し、ある人はこう感受する、という、それだけのことにすぎない。
たとえば僕の友人の一人は「見える人」なのだが、沖縄の南部の激戦地跡などに行くと、もうやたらと何かを感受する。ただ事じゃない土地だ、というのである。
僕なんかは人間は自分の死も知覚できないし、もとより意識というのは生きている間の、脳が作り上げた現象に過ぎないのだから、霊魂的なものが残るということはあり得ない、と思っているのだが、だからといって、その友人と僕のものの見方が正反対なのだ、ということでもないのではないか。

と、水木サンのこの本を読んで、特に最終章を読んで、思ったのである。
あるとかないとか、見えるとか見えないとか、そういうことじゃないんだ、多分。
何かあるんだけど、それが何かは、人間ごときには未来永劫わからないのだ。
見えるというその友人も、そんなものはないと言ってるこの僕も、どっちも、何にも到達していないのだ。

そんなものはない、とか、何を思い上がっているのか僕は。
と、同時に、「見える」というその友人にも、「たぶん、そんな簡単なものじゃないぞ」とも言いたい。

わからないのである。
同じわからないことを、水木サンは、こういう風に感受している。
そういう風に、素直に腑に落ちてきた本である。

しんみりした、というのはそういう意味である。わかりにくいか。
でもなんかなぁ。しんみりしちゃったなぁ。
やっぱり水木サンって凄いんだな。

(シミルボン 2016.11)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?