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物語は終わらない(終わらなくてよい)


昔、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズに熱狂した頃、新潮文庫から全10冊で出ているうち、9冊目まで読んで「ああ、あと1冊しかない!」ということにうろたえた。
すでに故人の作家であるから、読み終わってしまえば終わりなのである。新作は出ないのである。
煩悶の結果、10冊目の『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』を読まないことにした。

まだ読んでいないシャーロック・ホームズが1冊ある。
これを読まない限り、ホームズは終わらないのである。
高校生くらいのときの話であるが、それから30年経った今でもまだ読んでいない。
僕の中でシャーロック・ホームズの物語は終わらないのである。
読まない限り。

同じようなことを、後年、またやっている。
そう、みんな大好きムーミン・シリーズである。
トーベ・ヤンソンの全9冊のムーミン・トロールのシリーズの最終巻『ムーミン谷の十一月』を、僕はまだ読めないでいる。いつでも読めるように講談社文庫の全巻と、絵を大きく見たいがために単行本の全巻も揃えてるのだが、文庫・単行本ともに、最終巻は開かれたことがない。

他の8冊は、もう何度も読んでいる。それどころか、彼女がムーミンのシリーズを書き終えたあとに執筆した「大人向けの」小説群(決してムーミン・トロールの物語を「子供向け」だとは思えないのであるが、それはさておき)もほぼすべて読破している。
なのにムーミン最終巻は読めない。
だって終わってしまうんだもの。

・・・・・・

ちょっと話が逸れるが、トーベ・ヤンソンの「大人向け」小説群の話を少し。

筑摩書房から出ていたトーベ・ヤンソン・コレクション、全8巻。
最初に2冊ほど買って読み、面白かったので全部揃えようかと思ったのだが、先に講談社が出している自伝系の何冊かが品切れになりそうな気がしたのでそちらから揃え、筑摩のシリーズは後回しになっていた。
最近は本の寿命が短い。新刊書店に並んでいる期間の話である。
といっても、旬が過ぎたらすぐに書棚から消えるものと、そんなに数は売れないだろうに十年単位で置かれ続けるものがあって、こちらとしても無尽蔵に買うわけにいかないから、どうしても「今買っておかないと手に入らなくなる本」から優先的に購入することになる。
筑摩のトーベ・ヤンソン・コレクションは祖父江慎の装幀が美しく、これは出版社としても気合いが入っている感じで、長く売るつもりだと踏んだ。
なので講談社のものより後に買っても良い、と思ったのである。で、実際に長く売られていたのだが・・・ちょっと呑気に構えすぎたようなのだ。
思えばちくま文庫から短編アンソロジー(この全8巻コレクションから短編をセレクトしたもの)が出た時点で気がつくべきだった。
いつのまにか書店で見かけなくなっていた。
問い合わせてみると
「全巻品切れ、重版未定」
がごーん!

あわてて大阪や西宮の大型書店の在庫を残らずチェックしていく。
ジュンク梅田で売れ残りの6巻『太陽の街』を発見。即購入。
家にあるのは1巻『軽い手荷物の旅』と5巻『人形の家』だから、残るは2巻『誠実な詐欺師』、3巻『クララからの手紙』、4巻『石の原野』、7巻『聴く女』、8巻『フェアプレイ』の5冊である。
目を充血させながら夜中の二時までネット検索して古書店の在庫を探し、2、3,4巻をなんとか見つけ出して注文したが、どうしても7、8巻が手に入らない。
アマゾンに中古出品で出てはいるが、当時、定価の4〜5倍のえげつないプレミアがついていた。
(注 : 現在は値段も落ち着いて普通に古書として手に入るようである)

恵文社に問い合わせ。在庫なし。
ジュンク難波店、在庫なし。
梅田の当時の5大書店(ジュンク×2、旭屋、紀伊国屋、ブックファースト)すべて確認済。
ジュンク西宮店、2冊あったけど、すでに持ってる巻だった。
西宮ガーデンズのブックファーストは確認していないが、出来たばかりの店(当時)だったのでどうせ持っていないだろう。
ああ、万事休すか。

待て、ジュンク堂は神戸にもあるじゃないか!

数ある大型書店の中で、僕がジュンク堂ファンである理由は、以前にシミルボンに書いた。
(「プロの書店員」)**
あの素晴らしい書店員さんがいた店がジュンク堂三宮店である。
もう頼みの綱はここしかない。
電話で問い合わせる。
電話しながら、多分ないだろうなと考えている。どこかの新刊書店に在庫が残ってる可能性がある本に、定価の4倍なんていうプレミア価格はつかないはずだからである。

「申し訳ございません、トーベ・ヤンソン・コレクション7巻と8巻ですね。当店、残念ながら在庫がございません」
電話応対に出た女性店員の口から、「やっぱり」な答えが。ああ。
「出版社も品切れの状態でして、取り寄せができない状況なんですけれども・・・」
知ってますよ、そんなの。はぁ。
「お時間頂けましたら、他の支店が在庫を持っていないかお調べします。いったんお電話切らせて頂いて、わかり次第お電話差し上げますが」
おお。前にかけた店ではそんなことしてくれなかったぞ。
「お願いできますか」
「ではお電話番号とお名前を・・・」

その40分後、電話が鳴った。
その店員さんは40分もかけて他の店の在庫を調査してくれたのだ。
「お待たせいたしました。別の二つの店舗に1冊づつありました。一度こちらに揃いましてからもう一度お電話差し上げますのが、このお電話でよろしいですか?」
「あ、あったんですか!?」
「はい」
ただし、長い間棚晒しになっていた本なので「美本」というわけにはいかないこと、カバーがそれなりに傷んでいることを説明される。
そんなの、問題あるわけない!
「全然オッケーです!」

そういうわけで、筑摩書房トーベ・ヤンソン・コレクション、とりあえず全冊揃うことになったのです。
あああ、やっぱりジュンク堂三宮店は素晴らしいね!!!(強調しておく!)

・・・・・・・・

と、長い脇道だったが、本題はこれじゃない。
本題に戻ります(すみません)。

さて、終わらない作家といえば井上雄彦である。
長い休載を頻繁に挟みながら描き続けられる『バガボンド』と『リアル』。

『バガボンド』(連載18年目/既刊37巻)なんか、最後の武蔵と小次郎の決闘まで本当に進むのかどうか怪しい気がする。作家本人も何かのインタビューで「やめどきを失した」と話していたような。

『リアル』は車椅子バスケの世界を描く長編で既刊14巻。こちらはパラリンピックの取材など作家が行っているという話もあるので、ちゃんと続いてくれるだろうと期待している。
しかし、連載16年になるものの、14冊で描かれたのはほんの1〜2年の間の話で、出て来る携帯電話の機種などから読者は現在の漫画としての時間の繰り合わせに苦労しそうである。もちろん西暦2000年前後の歴史的物語として読み続ければ良いわけだが。

遅々として進まない、この2つのシリーズ。
しかし、読者としては、これはこれで大歓迎なのである。
コナン・ドイルやトーベ・ヤンソンと違い、井上雄彦は生きている。これからも続きが読める可能性があるというだけで、もう全然オッケーである。

そもそも、「物語が完結する」というのはどういうことなのだろう。

僕らは自分の生という物語を生きているが、その物語の「完結」は想像の向こうにしかない。
僕らは自分の死を自覚できない。近しい人や他人の死を踏み石に類推するしかないのである。そしてそんな類推は何の役にも立たないこともわかっている。
自分の死は、ただ未知である。

物語はいっそのこと、完結しなくてもよいのではないか。
自分の生という物語の最後も知り得ないのだから、世のすべての物語も完結を強いなくてもよいのではないか。

杉浦日向子は名作『百日紅』を中断したまま漫画の筆を折ってしまい、咽頭癌で亡くなるまでついに続きを描かなかった。彼女は病気であるということを伏せていたから、みな「どうして描いてくれないんだ! 日向子先生〜!」と煩悶していたものである。

しかし今となっては、この『百日紅』を完結させずに彼女が世を去ってしまったことに、こういっちゃ何だが、不思議な安堵感がある。杉浦日向子は死んでしまったが、『百日紅』は永遠に終わらないのである。
もちろん感傷的な物言いであることは承知している。
しかしこんな感傷に助けてでももらわなければ、当時杉浦日向子という偉大な作家を失った世界に耐えられなかったのである。

(シミルボン 2016.11)

→ **「プロの書店員」


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