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ダイアン・アーバス (連載「写真の本」 4)


杉浦日向子がなくなって十二年になる。
唐突な訃報に、当時茫然自失となったことを思い出す。新聞各紙は拍子抜けするくらいあっさりと報じていたけれど、僕にはナンシー関が死んだ時以来の衝撃だった。日本文化史における重大な事件だと思った。
身内以外の死でこんなにうろたえてしまったことはなかった。

彼女は死の十数年前、突然漫画家引退宣言をしてしまい、未完だった『百日紅』もほったらかして隠居生活に入ってしまった。『百日紅』の続きが読めないなんて、こんな理不尽なことがあるか? 杉浦日向子はまだ生きているのに!
そう思っていた人は、当然僕だけじゃないだろう。夏目房之介が雑誌の漫画特集のインタビューで、好きな漫画のトップに『百日紅』を挙げて「頼むから続きを描いてくれ」と哀切に訴えていた。

漫画家引退なんていいつつ、十年二十年たてば気も変わるかもしれない。『百日紅』の続きが読めるなら、僕は平気で二十年くらい待てる。だから頼む、死ぬまでには描いて欲しい! 本当に、そう願っていたのだ。

杉浦日向子は本当に死んでしまった。つまり、『百日紅』の続きが、もう未来永劫、絶対に読めないのだという宣告を受けたということなのだ。そんな未来に意味があるかとさえ思った。 
大げさな、などと言うならば、一度『百日紅』を読んでみて欲しい。読んだ上でまだ大げさな、などと言うならば、僕はもうあなたとは話をしない。

杉浦日向子はなぜ漫画の筆を折ったのか。
『百日紅』の連載を中断し、杉浦日向子は『百物語』を描き始めた。
実際には彼女は早くから白血病を患い、周囲にはそれを隠していた。
余命を勘定しながら、『百日紅』ではなく『百物語』を描ききることを優先した気持ちは、あとからならわかる。病気の事情を知らない僕ら読者は不満をつのらせてしまったけれども、死と隣り合わせになりながらこれを描いていったのかと思うと身震いがする。

『百日紅』3巻
 杉浦 日向子
実業之日本社

『百物語』2巻
杉浦 日向子
新潮社

『百物語』は凄まじい。全3巻、行くところまで行ってしまった漫画である。「行くところまで行ってしまった」なんて何も説明していないに等しい惰句だが、そう表現するしか仕方のないことも世の中にはある。極北とでも言えばいいか? 言葉遣いを替えたところで何になるだろう。
『百物語』、最後の方なんか、もうまともにペン入れもしていない。鉛筆のまま。絵を細密に仕上げるとか、そんなことも、もうどうでもよくなってしまっているのだ。著者も、読者も。

空漠に突入していく。寂寞の荒地に立ちつくす。意味と世界の瓦解を目の当たりにする。ただ無に向かう。歩が止まらない。ガランドウの中を進む歩みが止まらない。

杉浦さん自身、じつはかなり以前から白血病であった。が、ごく身内以外には知らせず、知人にはいつも通り接したままで、さとらせなかった。数少ない病気を知っていた人にこういっていたという。
「わたしを選んでくれた病気ですから・・・・」
受け入れるなんて受動的な言葉では足りない。

彼女を送る会で木の実ナナさんが会衆を前に語った話がある。亡くなる直前、初めて電話で病気を打ち明け、そんな状態にある女性の気持ちについてだったら今なら何でも話してあげられるといったという。言葉を失う。
(夏目房之介『マンガに人生を学んで何が悪い?』 p166)

『マンガに人生を学んで何が悪い?』
夏目 房之介
ランダムハウス講談社

適当な解説なんかしない。まず本屋に行って『百日紅』を買って、読んで、続きがないことに身悶えしてから『百物語』を読んでほしい。僕の書いている意味がわかるはずだから。
杉浦日向子は漫画家としての筆を折らざるを得なくなった。漫画家として進める高み以上のところへ突き抜けてしまった。死の隣に座らなければ描けない場所だ。

・・・・・・

ダイアン・アーバスの『Untitled』も、まさにそういう写真集だ。ダイアン・アーバスにとっての『百物語』。
自殺する直前まで撮っていたのが、この『Untitled』の、知的障害者の施設での写真だった。

『Untitled』
Diane Arbus
Aperture

『ダイアン・アーバス作品集』
Diane Arbus
筑摩書房

『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』
パトリシア・・ボズワース
文芸春秋

評伝を読むと、ダイアン・アーバスの攻撃的な撮影ぶりの一端が紹介されているのだが、とにかくしつこくシャッターを切り、相手が嫌悪感を顕わにするまで挑みかかるらしい。異常者も正常者も境目をなくすところまで追いつめていく。そういう打々発止の極度の緊張関係から、あの凄まじい写真が生まれてきたのだ。

異常とは何か、正常とは何か、という根本的な地面を揺るがす衝撃を、ダイアン・アーバスの一連の写真は投げかける。
熱狂的政治団体員の若者、上流階級の奥方、女優、双子、おもちゃの手榴弾を持った少年、性的倒錯者、フリークス、街ゆく若いカップル、ヌーディストビーチのカップル・・・彼ら「正常」な人たちも「異常」な人たちもひとからげにした中から、ダイアンは絞り出すように「常ならざる姿」をあぶり出す。皆が目をそむける「異常」の姿が突如普遍を獲得し、皆の信じる「正常」の堰がはかなく崩壊するさまを我々は目の当たりにする。無邪気にほほえむ双子の女児の写真が発散する異界の臭いに我々はたじろぐ。恐ろしい破壊力である。

しかし毀たれた堰の先にダイアンが行き着いたのが、この『Untitled』で撮られた、あまりにガランドウな世界だった。

評伝の中で、この知的障害者の施設の撮影でダイアンはかなりの衝撃を受け、もともと患っていた鬱病がひどくなっていくさまが語られる。
今までの鍔迫り合いのような緊張関係から写真を撮ってきたダイアンにとって、彼らはまったくダイアンの言葉を受けつけない、深い空漠として立ちはだかった。ダイアンの存在をまったく関知せず、その空漠の中で閉じている世界に、ダイアンは興奮し、感動し、そして畏敬を覚え、恐怖に沈んだ。

裕福な家に生まれ「免除された」少女時代を過ごし、その高さから「死ぬ思いでここまで這い降りてきた」と語る人が、降り続けた先の、さらなる深みに潜ってしまった。彼女も空漠への歩みを止められなくなってしまった人だ。
その施設の写真を撮り続けながら徐々に鬱病は進行し、ダイアン・アーバスは1971年7月に自殺した。

杉浦日向子は行き着いて隠居の身となり、結果的に「描かない」ということで『百物語』の空漠の穴をさらに底なしに掘り下げた。
ダイアン・アーバスは死んで僕たちに『Untitled』を残した。
世界で今までに上梓されたありとあらゆる写真集という出版物の中の極北に位置する。またこんな決まり文句を使ってしまったが、杉浦日向子の『百物語』と同じく、決まりきった語句に頼らねば何も言えない世界というものが有る。言葉の追い付かない世界を極北という。

こんなものを撮ってしまって、あと僕らに何が残されているというのか。
大辻清司の本を読んでいて、ある画家の言葉として次のようなものが紹介されていた。
「自分がやろうとして、どうしても方法が見つからないことを、他の画家がなしとげてしまったとき、私はしめたと思う。もうその段階をやらずにすむからである。私はその次の段階からはじめればいいのだから」

しかしダイアン・アーバスが写してしまった、この世界の「次」などもう何もなくて。
そういう絶望から、我々は始めなければならないのだ。何もないのに。

『写真ノート』
大辻 清司
美術出版社

(シミルボン 2017.7)

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