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レンブラント~光と影・魂を描く


レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606年~1669年)は、17世紀オランダを代表する画家である。
そのころのオランダ絵画といえば、肖像画家、花の画家など、何らかの専門性に特化し、限られた分野の中で活躍していた画家がほとんどだった。しかしその中でレンブラントは、歴史、物語、風俗、静物、肖像、風景など、ほとんどのジャンルにおいて素晴らしい足跡を遺した異色の画家であったと言える。

私が特に心ひかれたのはレンブラントの「光と影の表現」と「人物の内面の表現」であった。


光の表現

レンブラントは典型的なバロックの画家であり、光と闇の対照やそのせめぎ合いが緊張感や各場面の表現の豊かさをもたらしているのだが、彼の描く光からは神秘的な輝きすらうかがえる。


1
たとえばギリシア神話で言うならば「ダナエ」であるが、物語どおりに描くと金貨の雨がダナエに降り注ぐことになる。しかしレンブラントの場合、侍女が垂れ幕を開いたその隙間から流れ込む明るい光がゼウスの来訪を意味している。つまり光に神ゼウスを宿らせているということである。金貨の雨という物質的表現はなく、ゼウスの訪問は光によって表現されているわけで、その神秘性が見るものの心をより引きつけていると思われる。

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ダナエ/1636年


2
キリスト教絵画における「エマオの晩餐」を見てみよう。
彼は1628年版と、1648年版の二枚の「エマオの晩餐」を描いている。

■1628年版「エマオの晩餐」
これはレンブラント22歳の時の作品である。この絵画では光と影の強烈なコントラストを利用して、物語を劇的に表現している。キリストはシルエットで描かれ、驚きから身を引く弟子が明るい光を受ける、という構図になっている。

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エマオの晩餐/1628年


■1648年版「エマオの晩餐」
ところが1648年版のエマオの晩餐では、20年前の劇的な明暗対比とは違って、より微妙な光の効果が追求されている。それによって画面全体に穏やかさがもたらされ、後ろの光やパンを割くキリストの手元を照らす光が、キリストが「神の子」であることを暗示している。それぞれの人物の内面世界が見えてくるような作品である。

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エマオの晩餐/1648年


3
「ラザロの復活」は舞台を洞窟に設定し、光と影のコントラストで物語をドラマティックに表現している。「ラザロ、出てきなさい」と右手を挙げて叫ぶキリスト、そして血の気のない顔色でよみがえりつつあるラザロ。しかし一番光があたっているところは、意外にも、両手をあげて身を乗り出すマグダラのマリアである。この構成がこの奇跡を目の当たりにした人々の感動を私たちに伝える効果を強調していると思う。

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ラザロの復活/1630年ころ


4
「エジプト逃避途上の休息」を見てみよう。ベツレヘムの幼児虐殺を逃れ、エジプトへ逃れる途上の聖家族を描いた作品だが、幼子イエスを抱いたマリアとヨセフなどの人物は小さく、あたかも風俗画のような趣をたたえている。たき火やカンテラ、雲に反射した月光、遠くの要塞の窓から漏れる灯り、そして漆黒の夜の闇を照らす光など、光の表現は多彩で、それぞれの味わいを見せている。またそれらの暖かな光と雲に映る月光の冷たさとの対比が画面全体に緊張感をもたらしている。

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エジプト逃避途上の休息/1647年



人物の内面の表現

1
「悲嘆にくれる予言者エレミア」には巨大な円柱の足下で、「Bibel」と記された大きな書物に肘をついて瞑想にひたる老人が描かれている。この人物こそ四大予言者のひとりエレミアである。左奥には炎上するエルサレムが描かれているわけで、エルサレム崩壊を予言しながら、なすすべのなかった老予言者の苦悩や諦念という複雑な内的世界が伝わってくる。

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悲嘆にくれる予言者エレミア/1630年


2
「ダヴィデ王の手紙を持つバテシバ」はレンブラントの晩年の傑作のひとつで、レンブラント最後の女性裸体像でもある。バテシバの表情から彼女の内面がひしひしと伝わってくる。これから起きる悲劇を受け止め、自分の運命に必死に耐えようとするかのようなバテシバの表情である。
バテシバのモデルはレンブラントの内縁の妻、ヘンドリッキェとも言われているが、彼女の苦悩と哀切に満ちた表情は、観る者にも運命の悲哀を感じさせる。

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ダヴィデ王の手紙を持つバテシバ/1654年


3
晩年の「ユダヤの花嫁」であるが、これは彼の晩年の肖像画の一つである。ここにはレンブラント自身の深い精神性が表現されている。モデルの顔と上半身、そして二人の手が集中的に照らされていて、輝く人物だけが闇の中から浮かび上がり、光があたる二人の手はそれ自体が発光体のように描かれている。

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ユダヤの花嫁/1665年


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暴君タルクィニウスの息子に犯された古代ローマの貞女ルクレツィアは、父と夫に真相を伝えた後に、自ら命を絶つ。瞳に涙をたたえながら、訪れる死を待つ姿であるが、彼女の無念さと絶望は顔の表情のみならず、握りしめる手のひらや全身からひしひしと伝わってくるような思いだ。

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ルクレツィア/1666年


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「放蕩息子の帰還」は一文無しになって戻ってきた不肖の息子を父親が優しく迎え入れる、という聖書の場面である。息子の痛々しい足の裏、そして背中が、彼の気持ちそのものを表現している。一方でそれを受け入れる盲目の父親、彼らを見守るそれぞれの人物の内面などが克明に映し出されている。許しと和解が沈黙の中でかわされたのだろうと思うと、絵画から伝わってくる静謐さが、鑑賞者の私にも複雑な思いをもたらしてくれる。

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放蕩息子の帰還/1666年



まとめ

■レンブラント自身の歴史をふり返っても、光の扱いにおいて、若い時代は劇的で派手な表現方法をとっているが、レンブラント中期以降の作品からは、光は複数の複雑な光が交錯している状態として描かれ、そして1650年以降の晩年になると、それがもっと複雑になりその神秘性はさらに増していくのであった。

■レンブラントの絵画は、どれをみても、そこから世界が無限に広がるのを感じる。そこには決して豪華な装飾が描かれているわけではないのだが、それぞれの人物の思い、感情、精神性が想像される。彼にはもともと人間の心象世界を読む神が宿っていたのだろうかとすら思ったりする。

■レンブラントはまさに17世紀オランダ共和国とともに成長し、その黄金時代を体現した画家だった。彼の作品はこの時代の社会と文化に密着していた。
基本、暖色の中で描かれる彼の作品の人間像はあまりにも人間的であり、それが深く普遍的感情と結びついているからこそ、私たちは、彼が描く人物とともに喜び、怒り、悲しむことができるのかも知れない。





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