翻訳しない能力とアスペルガーとフレーム問題

アスペルガー症候群の人は『ウォーリーを探せ(Where's Wally?)』が得意な人が多いと聞いたことがある。(ちなみにこのイギリス発の絵本はなぜか北米版タイトルが『Where's Waldo?(ウォルドを探せ)』。同じ英語圏なのに名前が変わる不思議)

この問いに対して、「アスペルガーの人は細部を観察することが得意だから」という答えが一般的だと思う。それも一つの理由かもしれないが、私は数日前、別の仮説を思いついた。そう、ただの思いつき...。

それは「外部から情報を取り入れる際に、それをふるいにかけたり、翻訳したりしない能力を持っているからではないか」というもの。

ウォーリーを探すとき、非アスペルガー(と思っているが、自閉症っぽい性格)の私はウォーリーが取っていそうなポーズをいくつか無意識に想定した上で、それらに合致するものを探す形で絵をスキャンしているような気がする。だから、本物のウォーリーが想定からかけ離れた具合に描かれていると簡単に見逃してしまう。そして一度見逃してしまうと、再度同じ所を見ても(ここは一度見たから...)というバイアスがかかり、視線は上滑りしてしまう。
私は、たぶん、特定の物にフォーカスしたり、何がしかの条件でフィルターしたりしないで絵をそのまま見ること、言い換えれば絵のすべての部分を同じ注意力で見るということができない。が、もしかするとアスペルガーの人はこれができる人が多いのではないか。

自閉症の天才画家と言われる人について読んだことがある。その男性はずっと以前に一度だけ見た景色を写真のような正確さで描くことができる。私が同じことをしようとしても、せいぜいランドマークをいくつか、印象的な構えのお店数件、そんなものしか思い出せないだろう。これは、私の脳が勝手に私自身にとって関係や重要性がある内容だけを選別して記憶し、それ以外はさっさと忘れる仕様になっているからだと思う。一種の効率化・最適化か。

この画家の件と類似の話はよく聞く。
本で読んだのだが、マイクロソフトで管理職をやっているある人のこんな言葉が紹介されていた。
「うちの優秀なデバッガーたちはみんなアスペルガー持ちなんです。彼らはみんな何百行ものコードを視覚的イメージとして記憶できるんですよ。そして見た目に変なところが無いか探すんです。バグをそうやって見つけるんですよ」

以前に見たテレビの自閉症を扱ったドキュメンタリーでも、場面緘黙(ばめん・かんもく)、つまり外ではほとんど話すことができない自閉症の男性をプログラマーとして試験的に雇用した会社のボスが同様のことを言っていた。

一度聴いただけの音楽を楽器で弾いたり、一回読んだだけで本をまるまる一冊暗記したり、というのも似た能力だろう。
視覚や聴覚から得た情報をフィルターしたり、要約したりしないで記憶する能力。そのままの形、あるいは特別な形で頭の中に保存し、後から細部まで参照できる能力。


以上のようなことをつらつら考えていたのだが、なぜこんなことを考えたかというと、最近自分の記憶のいい加減さに参っているから。
英語をもうちょっと向上させたいのだが、意味を知っている英単語は日々増えていくのに、アウトプットに使える語彙が全然増えていかないのだ。なぜって、英文を聴いたり読んだりすると瞬時に私の頭が勝手に日本語に翻訳してしまって元の英語が思い出せないから。だから、自分がいざ英語で作文したり、会話したりという場面になっても、昔から知っている基本単語しか出てこない。
これは内容理解という面では効率化できている状態だけど、ボキャブラリー改善の面ではものすごくマイナスだ。しかし、この翻訳は無意識のうちに為されているので直しようがない。「もしこれがウォーリーを探すのが上手なアスペルガーの人だったら、ちゃんと聞いたままの音や読んだままの文字を記憶できるのでは...?」と思ったのだ。

しかし、思えば私の記憶力は昔からあてにならなかった。
私が小学4年生ぐらいの頃、両親が私たちきょうだいを置いて二人だけで買い物に出かけたことがあった(のんびりした古き良き時代の日本。これを今イギリスでやったら児童虐待で警察案件だ)。私と弟、まだ幼児の妹は近所の子たちと外で遊んでいて、その間に妹が迷子になった。パニックになった私は近所の大人に訴え、迷子放送をしてもらうことになった。が、妹の服装が思い出せない。何とか思い出して伝えたのだが、結局、しばらくして両親が妹と一緒に帰宅し、妹が私たちと一緒に残っていたというのは私の思い違いだったことが判明した。その上、服装も全然違っていた。私が伝えた妹の服装は日頃よく着ていたために印象が強かっただけだった。でも、迷子放送のために記憶をたどったときは、私の脳は確かに妹がその服を着てその日の朝ごはんを食べている映像まで見せてくれたのだ。

そういう前科があるので、私は自分の記憶が簡単に改ざんされる、信用ならないものだと知っている。
もしいつか殺人事件を目撃してしまっても、申し訳ないけど裁判で証言するのは断ろうと思っている。


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視覚情報や聴覚情報がその場の状況や過去の経験といったフィルターによって重要度や関連度などで自動的に選別されることなく記憶される能力、と考えたとき、自然に連想されたのが「フレーム問題」だった。

フレーム問題( frame problem)とは、人工知能における重要な難問の一つで、有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができないことを示すものである。
1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズの論文の中で述べられたのが由来。
(ウィキペディアより)

この問題を1984年に論文であらためて取り上げたのが、アメリカの哲学者ダニエル・デネットだ。
デネットの思考実験の内容については、ウィキペディアの記述は分かりにくく、さりとて私に上手く簡潔に書く能力は無いので、ここは伝家の宝刀『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本祐一朗著)から引用することにする。困ったときの岡本さん頼み。

1. むかしR1というロボットがいた。ある日、R1の設計者たちはエネルギー源となる予備バッテリーをある部屋に置き、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようセットした。R1はその部屋からバッテリーを回収する作戦を立てた。部屋の中にはワゴンがあり、バッテリーはそのワゴンの上に載っている。R1は「引き出す(ワゴン、部屋)」という行動を実行すればよいと考え、ワゴンを部屋の外に持ち出すことに成功したが、不幸なことに時限爆弾もワゴンに載っていたので、部屋の外にでたところで、R1は爆破されてしまった。

2. 設計者らは第二のロボットの開発に取りかかった。ロボットは自分の行動の意図した結果だけでなく、意図しなかった結果をも判断できなくてはならない。そのためには、行動の計画を立て、周囲の状況の記述からその結果を演繹させればよい。そこで新たに作られたロボットはR1D1(D=Deduce(演繹))と名付けられた。そこで、R1D1はR1の場合と同じ状況に置かれ、バッテリーの回収に取り掛かった。「引き出す(ワゴン、部屋)」という行動の実行に先立って、R1D1は結果を次々と考え始めた。ワゴンを引き出しても部屋の壁の色は変わらないだろう、ワゴンを引き出せば車輪が回転するだろう(中略)。こうした結果の証明に取り掛かった時に時限爆弾がさく裂した。

3. 問題は、目的に関して関係のある結果と関係のない結果をロボットが見分けられなかったことにある。そこで、開発者たちは目的に関係のない結果を見分けられるロボットR1D2を作った。ところがR1D2は部屋に入らず、その前でうずくまったのである。部屋の前でR1D2が無関係な結果を見分けて、それらを一つずつ無視し続けている間に、時限爆弾が爆発したのである。

ここでの「フレーム(枠)」とは、実行内容に関係あることとないこととの線引きのことだ。何を考慮の対象として枠内に入れ、何を外すか、その分別が人工知能にはできないというのがフレーム問題だ。フレーム問題は人工知能開発における最大の難問と言われることもあるらしいが、実は日々同じような状況判断にさらされているのは人間も同じだ。しかし、人間は一体どうやっているのかロボットほどそれを問題とせずに行動できている--と、一般的には言われているが、アスペルガーの人はどうだろう?何が優先されるべきか、何がより重要か、そういった判断が苦手なために、ほかの多くの人が普通にこなせる業務ができずパニックになるというのはよく聞く話だ。どこか、この思考実験のロボットと似ている気がする。
もちろん、これは長所と短所は同じ性質の裏表ではないかという話であって、アスペルガーの人がロボットみたいで人間として欠けていると言いたいのではない。そもそも、私は診断を受けたことはないものの自分を自閉症側の人間だと思っているので、見下す気持ちはゼロだ。ただ、人の頭の中というのは本当に不思議で面白いなと思う。最後の秘境かもしれない。


(メモ的追記。2月6日)アスペルガーの人は言葉を額面通りに受け取る傾向があると言われるが、これも言葉という情報を社会的慣習や暗黙の了解に即して翻訳しない特性と言える。とすると、彼らの非アスペルガーの人とはちょっと違う記憶メカニズムがやはり大元にあるような気がする。

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昔の記事。


ありがたくいただきます。