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論壇誌は「Twitter学者」が言い訳をする場所なのか?

今月発売の『中央公論』4月号に、国際政治やウクライナ戦争の「専門家」として知られる3名の鼎談が載っている。実は前回の記事「『専門家の時代』の終焉」を公開すると決めたのは、それを知ったのが契機だった。

3名とは、慶応義塾大教授の細谷雄一氏・筑波大教授の東野篤子氏・東京大准教授の小泉悠氏。私は小泉氏とは対談でお会いしたことがあるが(拙著に再録)、細谷・東野の両氏とは面識がない。

2024年の2月末に、ウクライナ戦争は開戦から3年目に入った。3名とも同戦争への積極的な言及で知られる識者である。普通に考えて、読者に向けて論ずべきことは多々あるだろう。しかし『中央公論』の編集部が行ったテーマ設定は、鼎談のタイトルによれば、以下のようなものだった。

「SNSという戦場から ウクライナ戦争が変えた日本の言論地図」

文字どおりの戦場が出現しているウクライナのことではなく、3名が日々投稿するTwitter(X)なる「戦場」を主題に、大いに戦果を誇ってくださいというのだ。ここまで人をバカにした企画を、私はいかなる雑誌でも見たことがない(なお日本の雑誌の慣行上、タイトルをつける権限は寄稿者にはなく、編集部がすべて決めるので、3名の先生方はこれには責任がない)。

進行役を務めるのは細谷氏で、冒頭で小泉氏が20万人、東野氏が10万人弱のフォロワー数を持つことを紹介している。あたりまえだが、これらは小泉・東野の両氏が日々の情報発信を通じて自ら獲得したものであり、別に『中央公論』の力で得たわけではないだろう。

両氏、および自身が6万人のフォロワーを有する細谷氏が持つネット上の知名度に便乗し、SNSでの武勇伝を気持ちよく語れる場所を提供して、紙の雑誌を売ろうというわけである。「日本一の長寿雑誌」などと格好をつけようが、今やインフルエンサーの単なる太鼓持ちではないか。『中央公論』なる論壇誌は、そこまで卑しい業態なのか? 居酒屋談義で「さすがだよな俺ら」とクダを巻くのと、この企画はなにが違うのか?

仲間どうしが楽しく打ち上げするプライベートな宴席に押し入り、「今の発言は正確ではない」と因縁をつけて回る人は誰もいない。しかし『中央公論』はそうした場を自ら主宰し、公的な言論として「これを読め」とばかりに雑誌の目玉に使っているのだ。それなら当然、内容についても具体的な吟味が必要になるだろう。

さらなる細谷氏の紹介によると、「小泉さんは国際政治業界で最もSNSのディフェンス能力が高い人で、東野さんは最もオフェンス能力が高い人」らしい。ディフェンス(防御)はともかく、SNSで他人をオフェンス(攻撃)する能力が誇るべきものかはよくわからないが、「東野さんは提言が中心のアカデミックなスタイルを貫いています」ともあるから、それもまた学者の仕事なのかもしれない(本段落の「 」内は、ともに原文ママ)。

東野氏がSNSでも貫く「アカデミックなスタイル」とは、どのようなものか。2023年8月の「東野さん vs 在野」という三部作のTogetterに、一例がまとめられている。長いので以下、私が要約するが、もし実際の内容と違う場合はご批判くだされば訂正します。

自身の執筆記事にTwitterで疑問を呈された東野氏が、「2021年7月(つまり侵略開始前)のデータ」としてウクライナ語/ロシア語の使用率を示す地図を提示し、「知識のアップデートお願いね。」と提言した。

しかし東南部のウクライナ語使用率が思ったよりも高く見えたことに疑問を感じた非・専門家が調べた結果、同地図は2001年の作成だと判明したが、東野氏は単なるタイプミスだと主張した。

さらに検証が進んだ結果、そもそも同地図は市町村の議会で用いられる言語の分布を示しており、現地住民の母語の割合とはイコールでないことが判明した。

「 」内は東野氏のツイートのママ

そして同氏が発揮する「オフェンス能力」とは、いかなるものか。少なくとも上記まとめの末尾によれば、以下の画像のとおりらしい。こちらも事実と異なる場合は、一次資料を添えてご批判いただければ訂正する。

追記(3月15日)
一部、訂正と補足を行いました。こちらの記事を参照。

Peacekeeper氏とは、東野氏の論争相手。
東野氏の攻撃手法は、日本一の長寿雑誌に
アカデミックかつ最強と認定された

さて本稿の発端となった『中央公論』の鼎談には、前回記事「『専門家の時代』の終焉」でも採り上げた炎上に対する、東野氏の反論も載っている。要約すれば、配信番組の切り抜き動画(リンクはこちら)をさらに不当に切り取られて、SNSで攻撃された。従来の姿勢を翻して、ウクライナをバカにしてなどいない、との由である。

確かに発言や文章の一部を、フレームアップのために不適切な形で切り抜き、他人を中傷する道具に使う例は多い(私もやられたことがある)。そのため前回の拙記事でも、ニュアンスを曲げないよう比較的長めに引用したのだが、今回はより逐語的に、かつ全体を文字起こししておこう。

「プーチン対ゼレンスキー」のような形で、プーチンとゼレンスキーを対等に、同種の似たようなリーダーとして比較するような論調って、日本では結構誤った形で広まってしまったんだろうと思いますけども、先ほどの廣瀬〔陽子〕さんの言われたですね、プーチンは支持率だけではなくしっかりとした愛を求めるとかですね、そういったことからも、あるいは政治的なロシアの大統領とウクライナの大統領の立ち位置という点からも、まったく2つは違うんだということはこの2年間ではあまり日本では、理解として広まらなかったなというのは正直なところ実感として思っているんですね。

と言うのはやはりプーチン大統領の場合はですね、戦争が始まる前から本当にプーチンに心酔し、ガチでプーチンを支持して、そしてこのような戦争を起こして明らかにロシアにダメージを与えているわけですけれども、それでもプーチンの行いは正しいんだということで、踊らされている人もいるんでしょうけれども、本当に「その通りだ」と思っていて、きちんと信じている人も中にはたくさんいるんだろうと思うんですよね。

ウクライナの場合はもう全然違うわけですよ。2019年も「ほとんど冗談で投票したらゼレンスキーが当選した」というようなことをやっぱりよく言われるわけで、ブレグジットと並べるのがどこまで適切かどうかはわからないんですけども、「自分1人が入れたってあんまり変わらないだろう」ぐらいの感じで気楽~にゼレンスキーに入れたら大統領になっちゃったと。「ドラマと同じ展開になっちゃって面白いね」っていうことだったわけですし、じゃあその後支持されたかっていうと、ぜんぜん支持されてなかったわけですよね。

強調は引用者

細谷・小泉両氏を交えた3名の鼎談で、批判的に挙がる名前は鈴木宗男氏や佐藤優氏である。それはそれでよいと思う。しかし、ではもし開戦の前後に上記の文面が「鈴木宗男の動画」や「佐藤優のコラム」で発表されていたら、御三方はどう反応されたのだろうか。「うんうん。それ自体は事実だし、現実を踏まえることは大切だね」として、Twitterでも肯定的に拡散したのだろうか。よく胸に手をあてて、考えてみてほしい。

実は、上記の発言を含む番組は2023年12月の配信である。その抄録は今年2月9日発売の『文藝春秋』3月号に活字でも掲載され、その際に文春が附した「ウクライナ敗北のXデー」というタイトルは広く波紋を呼んでいた。

『中央公論』の鼎談自体はおそらく企画済みだったろうと思うが、この状況でなお路線を変更せず、Twitterなる「擬似戦場」での「勝利」を誇るタイトルまで冠して、一か月遅れで載せられる編集部の無神経さには恐れ入る。

月刊誌を中心とする旧来の「論壇」と、SNSに代表されるネット空間は、いかなる関係を結ぶべきか。鼎談の末尾はそれを論じて閉じられるが、細谷・小泉・東野各氏(発言順)の見解は三者三様だ。私もまた色々な立場のもとに、自由な試行錯誤がなされるのがよいと思う。

ただし、登壇者のTwitterのフォロワー数をわざわざ明記し、「SNSという戦場から」とまで銘打った以上、「ネットなんて素人が騒ぐだけの、無価値な『荒れる言論空間』。われわれ紙媒体の高級な『消えゆく論壇』での評判は、ネットの評価と関係しない」などという居直りは許されない。それはただの自家撞着である。

論壇誌はいつからオンラインの人気者で客寄せしつつ、「活字の上ではこちらの言い分だけが残る」として、ネットでの炎上を勝利だと呼びかえて粉飾する場になったのか。そんな矛盾を見抜けないほど読者は愚かではなく、編集部の無恥と高慢を許すほど市場もまた寛大ではあるまい。

追記(3月13日 10:30)
驚いたことに『中央公論』の編集部は、この鼎談の冒頭部(本稿でも文面を引用した、細谷氏が小泉氏・東野氏を褒めちぎる箇所)を、宣伝記事として抜粋しポータルサイトに流したようだ。紙の雑誌がそこまでネットで「バズり」たいのかと、見ているこちらが恥ずかしくなる。
しかしそのために、一般の読者のコメント欄で記事内容の真贋が判定されるようになった。2年間の戦争を経て、「専門家」の活躍がもたらした結果に刮目されたい。開戦の当初はウクライナ支持・ロシア非難の一色に染まったそうした場所が、いまやすっかり「賛否拮抗」になってしまった。
それでもまだ「日本一の長寿雑誌」は居直るのだろうか。恥という言葉を知っているのか。知っているなら同誌も好意的に採り上げたベストセラーの著者の言に倣って、「切腹」でもしてみたらどうだろうか。

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