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統一原理注解 復活論➖(1)聖書から見た生死の概念

「あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる」(ヨハネの黙示録第3章1節)

復活とは一度死んだ者が再び生きるという意味であるが、その前に聖書から見た生死の概念からまず見てみよう。「あなたは生きているというのは名だけで、実は死んでいる」という聖句を読んで衝撃を受けた。神様から見て、私は死人同然なのだ。確かに神様を知らず、人生の目的もわからず、人間の価値も解らず、死んだらどこに行くかも知らず、ただ漠然と生きている自分は生きているというのは名だけで、死んでいたかもしれない。特に統一原理に出会う前、即ち16才以前の自分は天地を創造された親なる神様も知らず死人の様だったと言える。しかし統一原理を知って、魚が水を得た様に生きた人となった。

この様に聖書から見た生死の概念は肉体の死を指していない。人間の堕落によって神様の愛と善の主管圏から離れて、サタンの悪の主管圏に落ちて行ったこと死と呼んでいる。その証拠に人類の始祖アダムとエバは神様から「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木から取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」(創世記第2章16節〜17節)と言われた。アダムとエバは神様からの戒めを破って善悪の知るの木から木の実を取って食べた。しかし彼らの肉体は死なずにそのまま生き続けカインやアベルやセツなど子供を産んだ。外的には堕落前と後ではさほど変化はなかった。しかし内的には罪を犯した罪悪感から下部を木の葉で覆い神様の目から身を隠した。そして、エデンの園から追放された。

何の目的もなくただ漠然と生きている人に比べ、何か目的を持って生きている人の目は輝いているし生き生きしている。ましてや天地創造の神様を知り、神様の創造目的を知り、罪の根本原因を知り、神様の救援摂理を知ったなら人は見違える様に蘇り、まさに死から生へと移行していくのである。この様に、神様のみ言を聞いて復活して行く人々の姿を世界中で数え切れないほど私は見てきた。

復活に関する聖句をここに挙げておきます。

ヨハネによる福音書第11章25節  
イエスは彼女に言われた。「私は蘇りであり、命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる」

ローマ人への手紙第8章6節
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、命と平安である。」

コリント人への第一の手紙第15章22節
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあって全ての人が生かされるのである。」

マタイによる福音書第27章52節〜53節
また墓が開け、眠っている多くの聖徒達の死体が生き返った。そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
(この聖句に関しては別の機会に注解します)


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