慌てない。天才画家にも、普遍的な人とバズった人がいるんだから。

2020.2.11. #207日目

目先の快楽を求めるのってやりがちですよね。

絵を描いていると時々頭を過ることがあって、目先の、楽しさ、感情起伏、刺激、利益…などを得ようとしてしまうってことがあります。

辛い時、悲しい時、暇な時、お金がない時、など…目先の快楽ために絵を使おうとするわけですよね。

それ、あってるのかな?

このあたりを一緒に考えてもらいながら、読んでもらえたら嬉しく思います。

でも、本当に自分のために、
今後のために行動を改善するならば、
時代の変化に揺さぶられないことをやらないといけないのです。

行動して、反省して、改善をする。
改善の舵は普遍的なものに切った方がいいんじゃないかと思うわけです。

となれば、普遍的なテーマの絵で、
パッと思いつくものは、
誰か個の対象を美しく描く絵だと思うのです。


例えば「モナリザ」は、肖像画です。時代を超えてずっとみんなが知っている。

名画だと言う理由は色々あるでしょうし、詳しいことはわかりません。そんなことは、簡単にわかるはずもありません。

しかし、時代を超えるものは、いわゆる「奇抜なもの」「目新しいもの」「時事的なもの」だけではないということなわかります。
実際に、流行りは廃れますし、それは現代でもよく見ます。

バズりを狙っても、「バズりを永遠狙い続ける人」にならないといけないわけです。
もっとわかりやすくいうならば、
「バズる仕事をし続けないといけない人」になっちゃう。


その生き方を否定しません。

「バズりを永遠狙い続ける人」ピカソを思い出しましょう。彼も最強のバズり狙いで、画家の中でも何度も何度も手を変えて時代に乗る絵を描きまくったわけです。
結果、その中でもどの時代にも普遍的な生き方が時代の淘汰に合わず勝ち残ったんだろうと思います。

仮定ですが、時代には「バズり狙い」と「普遍狙い」が居て、それを徹底した人が有名な画家として今も誰かの記憶に生きているわけです。


となれば、バズりのために絵を使おうとするのは、僕にとってミスマッチな感じがします。

絵は、「誰かがずっと見返す物である必要がある」と思いました。

目先の快楽のために、「バズる絵」を狙って描いて5000円〜数万を稼いでしまうことで、失うのファンは多いと僕は思います。

だから、
「ファンをインスピレーションでアイコン化」する企画をしてますから、ぜひ一度チラ見していってください。


それをやれば、見返してもらえるわけでは無いことはわかっていて、今は改善を伺っています。やっぱり、飽きたら捨てられるものよりも見返してもらえる「普遍狙いの絵」の修行をせねばならんわけなんだなぁ…。

どこのラインが普遍的なのか。

今すぐに形にはできませんが、形になるように行動と改善をしていこうと思います。


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