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米村教授と行く!大塚国際美術館第三弾はじまりはじまり!

皆様こんにちは。
徳島大学細胞生物学分野・ヨネケン秘書のあべみょんです。

さあまずは忘れてはいけない
ヨネケン9月のハッピーバースデー週間の幕開けです~!先頭切ってくれたのはこちら。栗栖さん、ハッピーバースデー!おめでとうございます!

4X 歳になりました ってすんなり年齢言いたくないお年頃

今年の学生さんたちが大変優秀で、「栗栖さんおめでとうございます!」なんて口々に!栗栖さんもご満悦です~

遠慮の塊で残っていた『塩キャラメルシューラスク』お誕生日の特権で食べていいですよ! ぶどうも、いつもより多めにどうぞ!!!
もう大盤振る舞いですよ!!!もってけもってけぇ~~~!(と偉そうに言うがすべて浅野さんからの差し入れ)

持ってるのは「塩」だけどニコニコの神対応 栗栖さん

栗栖家大黒柱のお誕生日パーティーは『焼肉』とのことで!まだまだ肉食えっぞ~若いぞ~!
これからも、虫取り頑張ってください―!(え?そこ?w)


さて!
なんか去年も、栗栖さんのお誕生日とセットだった気がするけど
お待ちかね~

https://o-museum.or.jp/

米村教授と行く! 大塚国際美術館 シリーズ

良い子のみんなは当然復習してきてるものとして、始めちゃいます。

第三弾(の初回) はじまりはじまり~~~

前回1850年代のミレーくらいまで紹介していたのですが、身損ねていたルネッサンス以降のものがあったので、まずそれから。これはヤン ファン エイクのヘントの祭壇画(1432年)。ダビンチやミケランジェロが生まれる前です。ルネッサンスの時代のネーデルランド絵画。極めて細かい。当時の北ヨーロッパでは最も重要な画家だったそうです。
こちら歴代のローマ法王らしい。それぞれ異なる特徴を持ち、襟の模様も全て細かく描かれています。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(ヤンファンエイク)

アルブレヒト 1529年  アレクサンドロス大王の戦い ポンペイ出土のモザイクをすでに出していましたが、これはそのイッソスの戦いの2000年後くらいに描かれたもの。ヘタイロイ騎兵によるファランクスという密集陣形が非常に細かく描かれています。この画家はともかく、大好きなマケドニアのヘタイロイ騎兵を描いてくれたのが嬉しくて載せます。
頑張って細かく現実感があるように描いています。
こんな案内はここでは珍しい。前回気がつきませんでした。
ヒエロニムス・ボス 1516年 快楽の園 三連祭壇画。扉が開きます。 一般に左から右に時が進み、エデンの園、現世、最後の審判以降と言うことになるようですが、ボスのこの絵は、これまでの全ての人を困惑させているそうです。
左はエデンの園で、まあごく自然的ですが、真ん中が遊園地状態で、そこが快楽の園と呼ばれている由縁。本来は現世と思われますが、道具のない、知恵がついていないエデンの園に近いようにも見えます。
右は地獄のみ。こちらは道具のようなものがあり(特に楽器)、奇怪な生き物を想像して描いています。
この豚や左の鎧を被っているものは何?
池に人が落とされたり、火に入れられたり、よくわからない責め苦に遭っているようです。
こちらは真ん中の快楽の園の部分ですが、フクロウを被っているのか、合体しているのか、何が何だかわからない。このようなありえないような想像の絵も、王侯貴族、有力者の依頼で描いていたわけなので、受け入れならなかったのではありませんでした。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(ヒエロニムス・ボス)

アルチンボルド 1566年  水(「四大元素」より) 宮廷画家だったアルチンボルド。ルドルフ二世が変わったものが好きだったということもありました。魚など海のもので人の顔を作っている。野菜、果物で人の顔を作ったようなのもあります。アルチンボルドの名前は漫画の「ナニワ金融道」に出てきた時にしりました。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(アルチンボルド)

カラバッジョ 1595年頃  バッカス 酒の神というお題ですが、実際には依頼者の好みないしはカラバッジョの好みを反映して少年が妖艶な眼差しを投げかけています。それにしても紅葉で頭を飾るのが随分と無造作。絵的に面白くしたということでしょうか。カラバッジョはすでに登場させましたが、ルネサンス以降、陰影をつけ、スポットライトを当て、劇的な構図にしつつ、極めて精細な描写ということで、非常に大きな影響を与えています。なのですが、抑えのきかない人物のようで、殺人を犯し、逃亡の果てに亡くなっています。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(カラヴァッジョ)

ベラスケス  1650年  教皇イノケンティウス10世の肖像 大学などでも明治の頃の教授などは写真でなく胸から上の肖像画ですが、この肖像は実際にはほぼ全身像で、ここでは顔だけを写しています。それにしても、仮に写真を撮っても、この印象は与えられまい。ベラスケスの画力は本当にすごい。
ミレイ 1852年 オフィーリア  シェクスピアの「ハムレット」でハムレットに冷たくあしらわれて発狂したオフィーリアが川に落ちて死ぬ模様を描いているということです。イギリスの自然の植物などが極めて精細に描かれています。夏目漱石がイギリス留学中にこれを見たようで、これを「風流な土左衛門」と言ったことで有名。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(ミレイ)

マネ 1863年 草上の昼食 この絵はサロンに落選し、落選した作品を集めた落選展で話題を独占しました。浮世絵の影響で陰影が少ない。また本来裸体は神が登場する歴史画、宗教画ではOKでしたが(歴史画、宗教画の形を借りて描きたい裸体を描いていた)、マネはそんな形式ばかりにこだわる権威主義が嫌で、そのまま現代を描いていいはずだと、古典の絵を下敷きに(ラファエロとティツィアーノ)現代の中に裸体を描きました。
マネ 1863年 オランピア  草上の昼食の後にサロンに応募し、また落選。ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」の構図、ポーズにのっとり、現代の有名娼婦を描いています。当時はこの新しい意識も絵画表現も簡単に受け入れられず、一人闘うマネをリスペクトする若手が新しい流れを作っていきます。
マネ 1866年笛を吹く少年   安定した構図、印象的で落ち着いた配色、平面的な構成は親しみ深く、こんなのが小学校に飾ってあったらいい小学校だと思ってしまいます。それでも当時は立体感に乏しいと揶揄されたそうです。
マネ 1868年 エミールゾラの肖像   マネは新しい絵画を描いては叩かれるという挑戦を何度も行なって印象派の若手から尊敬されていました。エミールゾラは人気作家でマネを文筆で擁護しました。それに対する感謝としての肖像画。面白いのは、日本の屏風絵、力士絵が目立つように背景として配置してあること。当時の日本リスペクトは非常に多くの画家の中に共通して見られています。

あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(マネ)

クールベ  1870年 エトルタの断崖、嵐の後 クールベは印象派などの当時のサロンを中心とする権威主義の画壇に反発してどんどん新しい試みを行おうとする若手の中でも最もリスペクトされ、とてもあそこまではやれないと思われていた人の一人。
もともとサロンに入選する腕を持ち、国家買い上げも経験しているが、サロンから批判を受ける絵もどんどん描いていきました。
1855年のパリ万博において自分の大作を準備したが、落選してしまいました。しかし、万博会場のすぐ近くに小屋を建て、美術史上初めての「個展」を開催します。それにクールベが寄せた文章がのちに「レアリスム宣言」と呼ばれています。
1870年(第二帝政時代)政府がクールベにレジオンドヌール勲章を授与しようとしましたが、クールベは拒絶しました。「それよりも私は自由が欲しい」。ノーベル賞をちゃっかりもらったボブディランとは随分異なります。
クールベは社会活動家でもあり、パリコミューンに関与していて、ヴァンドーム広場の円柱(それ以前にあったルイ14世の騎馬像の後にナポレオンが建てた、ナポレオン像を載せた円柱)が、過去の戦争、征服の象徴であり、共和国としては相応しくないので、解体すべきだと主張していました。それに賛同して、本当に円柱を倒して壊したコミュニストがいて、クールベも焚きつけたということで膨大な賠償金を負います。賠償金の支払いの前にクールベ自身が亡くなり、最後まで国家権力を嘲笑うような形となりました。
クールベ 1866年  眠り  クールベには硬派、軟派の絵があるらしく、こちらは軟派。今回、一通り見終わりましたが、当分いいやと思うより、また行きたいなと感じています。いけば1日かかるので、年に一度は行くことにしましょうか。


あわせて見たい 山田五郎の大人の教養講座↑(クールベ)


美術館ツアー第三弾 第一回はここまで。
このシリーズあと2回は続きます(^^)/
ここからはおまけ…↓

ジョギング用に新しいシューズを購入。adidasからasicsに移行です。
9/3のジョグ。徳島市の東部、海岸に面した津田という町、特に海岸付近を見たことがないので、そこに行くのが目的です。
昔は漁師町(そもそも阿波踊りも漁師たちの盆踊りという流れがあるようです。「網打ち」という所作が阿波踊りの中にあります)。小さな神社がありました。
亀を祀るのは海岸らしい。
海からの荷揚げが行われていました。これは土砂でした。
確かに近くに土砂を貯めているところがあります。
木材もありました。
木材がかなりの比重を占めているようで、たくさんの倉庫がありました。
スウェーデンからの木材ですね。
この春から夏は長い距離は走らず、インターバル走だけだったので、まずは長距離に身体を慣らす必要があります。

阿波踊り本番も終わり、今度はマラソンシーズンですね~(^^♪


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