原稿を書くときの心の動き
エキレビ「古市憲寿「百の夜は跳ねて」芥川賞選評が辛辣で驚いた。米光一成の表現道場」更新した。
エキレビの表現道場は水曜日朝更新。火曜日の夜までに原稿を仕上げるスケジュールだ。月曜日に、違う内容の原稿を準備して、火曜日の昼、草稿を書いた。
芥川賞の選評が話題になってるおるなーってんで、外出したついでに、書店で選評を立ち読み。
SNS上の書き込みだと、選考委員みんなが、辛辣に書いているように感じられたけど、そんなことはないんだなー。
奥泉光さんの“外にあるさまざまな言葉をコラージュ”というフレーズと、川上弘美さんの“自分だけの声”というフレーズの対比が印象に残る。
SNS上では恒例の「一方的に断定してみんながすごい言いようをする祭」になっていて、SNS断捨離しててよかったなー(こういうのはTLで流れてくると出会い頭の事故みたいで不快だが、探しにいって見つけるのは「あららったいへんねぇ」って眺める感じで不快ではない)と思いながら、その話を編集長にすると、「そっちで書かないか」と言われる。
うーん、でも、作品読み比べてあれこれやってたら明日更新に間に合わないしなーなどと話ながら、ああ、でも、作品を批して判じるのではなく、いま、偏った情報で、偏った流れで、個人を批判する感じになってるのは嫌だから、状況整理することはできるかも、と思う。
で、また外出して、文藝春秋を買ってくる。
書く前に、あれこれ考える。どんなことを考えたかを箇条書きにしてみる。
・あくまでも状況整理の原稿である(何を書いて何を書かないか)
・早急に批して判じようとする人たちを「どうどう、のんびりね」となだめる内容にする
・「読み比べないと何も言っちゃいけない」という排除タイプの人も「どうどう、のんびりね」となだめる内容にする。
・選評を読んで、何がポイントになっているかを整理する(ここで、作品そのものに関しては触れないことを決める)
・できたら、古市憲寿、木村友祐、選考委員、他の作家のツイート等の発言にも触れずに書く(木村友祐が明瞭にスタンスを述べてるツイートがあったので、それは状況整理として入れ込むべきかどうか悩んだ)
・“外にあるさまざまな言葉をコラージュ”と“自分だけの声”の対比
・昨日ツイートした “これ、興味深い。小説とは何か。参考文献とは何か。二次創作とは何か。オマージュとは何か。パクリとは何か。という創作観に絡む話につながる。” に着地できたら着地するように向かって書く。
・上記問題に接続するなら、これ、まじで、興味深い流れになるかなー(だからこそ安易に批して判じないでよー)という予感。
書き始める。
選評が、また良くて、それぞれの選者の個性がめちゃ出てて、そのあたりも選評の引用後にコメント的に書いてたけど、「これ、ちゃかしてるようにも読めるし、状況整理としてはノイズになってるなー」と泣く泣く削る。
“では「うわーんと婉曲的に辛辣なディスである」の「うわーん」ってどういう嘆きですか?”と聞かれて返信した内容が、そのあたりのこと。
後半、「自分だけの声 VS 外の言葉コラージュ」でいったんまとめようとして、書いて、うーん、って止まって、「状況整理、状況整理、批して判じない、続く、続く、まとめない、まとめない」と呪文を唱えて、
「自分だけの声 VS 外の言葉コラージュ」というバトルに単純化したい衝動に駆られるが、そんなことすると怒られそうだ。
とする。まあ、「怒られそうだ」って言い方も、どうよ、とは、思うがな。
余談。
書く前に、軸を決めずに書いちゃうと、「書きたいことはあるけど途中で手が止まってしまう、どうしたらいいの?」になっちゃうんだと思います。
で、おそらくこのあたりのことを頭の中でやったりするんだけど、そこでつまづく人は、原稿のプロトタイプを書く練習が必要なのだ。そこで、いま書き込み式原稿プロトタイプ帳を作っています(これ、すごいっすよ)。
宣伝会議「編集・ライター養成講座 即戦力コース 米光クラス」で使いますよー。
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