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よんのばいすう5-12 2021.5.12

国際看護師の日に寄せて

5月12日は「国際看護師の日」なんだそうです。「クリミアの天使」と呼ばれ、近代看護の礎を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念してそう制定されているそうです。まったく、看護師というお仕事に従事されている全世界の皆さま、去年からのコロナ禍で身も心もさぞや疲弊されていることと思います。もう、どれだけ感謝してもしてもし足りないほどです。コロナでなくても病院にお世話になった方ならなおさらその思いを強くされていることでしょう。

ナイチンゲールさんは、19世紀、イギリスの裕福な家庭に生まれ育ちながらも、飢えや病に苦しむ貧しい人々の惨状に心を痛め、母や姉の反対を押し切り29歳で看護婦の道を選びます。クリミア戦争の野戦病院で兵士の看護を行ったことで、その劣悪な環境での看護の改善を推し進め、病院内の衛生環境、管理体制の向上に貢献しました。病気や怪我を治すためには、何よりも「清潔」であることだと訴えたのです。その結果、兵士の死亡率を劇的に減少させたのだそうです。夜間の見回りも自ら行い、「ランプの貴婦人」とも呼ばれていたのだとか。

こうした働きの裏付けとして、彼女が看護の世界に持ち込んだのは、統計学だったといわれています。つまりはデータに基づく提案。それは、彼女が父親から与えられた教育のおかげでした。元々、利発な女の子だったのでしょう。お父さんは語学、数学、哲学、心理学、経済学など、当時でも最高レベルの教育を与えたそうです。だからこそ、広い視野と見識で医療環境の改善にも尽力できたのでしょう。白衣の天使などといったロマンティックな響きではなく、極めて理知的な科学者的存在だったのだと思います。

コロナ禍に見舞われた日本に今一番足りないのは、まさしくデータ収集と分析による判断力。何の根拠もなく「大丈夫でしょう」と言い、案の定失敗し、「申し訳ない」と口では謝るけど、根本的には何の学習も反省も改善もない。そんな希望的観測が何の役にも立たないことを、これほど思い知らされた1年もありませんでした。実際に現場で働く医療関係者の怒りは沸点に達し、「全国医師ユニオン」という組織がいよいよ東京オリンピックの中止を政府に求める声明を出しました。これはお医者さんの組織ですが、医師の周りにはその何倍もの看護師さんがいるわけで、コロナ患者さんを受け入れている医療機関のほとんどの看護師さんは、今、オリンピックどころじゃないと思います。でも、政治権力の手が回ってはっきりと表明できない方もいるのでしょう。スポーツドクターがボランティアで280人も手を挙げたと組織委員会は喜んでいますが、その志高い医師たちをコロナの現場やワクチン接種にもちろん有償で配置するのが本当の「安心安全」だと、なぜわからないのでしょうか。

ナイチンゲールさんは90歳でこの世を去りましたが、実は37歳で病に倒れ、40歳以降はご自身もほぼベッドの上の生活だったそうです。戦争の最前線で看護にあたる中で感染したクリミア・コンゴ熱の後遺症やストレス、今でいう慢性疲労症候群に侵されたのだとか。けれども、40歳で世界初の看護学校を設立し、『看護覚書』を出版。43歳で出した『病院覚書』では、ナースコールやナースステーションの考案も発表されているといいます。55歳で米国統計学会の名誉会員に選ばれ、81歳の時には失明にも見舞われながら、83歳でメリット勲章(イギリス君主が軍事、科学、文化、福祉の功績を認められた者に与える勲章)を女性で初めて与えられています。少女の頃はお姉さんとともに美しさで評判だったそうで、何人もの男性から求婚されても断り、ひたすら看護の使命感を全うしようとしたナイチンゲールさん。彼女の存在がなければ、医療も病院も今のような形になっていなかったかもしれません。改めてナイチンゲールさんに感謝したい気持ちです。

たくさんの名言を残しておられるナイチンゲールさんですが、私にはこの言葉が一番響きました。

「私が成功したのは、言い訳をしなかったからです。」

とほほ、どこぞのトップに聞かせてやりたい!!


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