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ヨンゴトふたたび 2023.9.4       

損得ではない。報徳に生きた二宮尊徳

9月4日に何書こうか。とネタにあれこれ悩んでいるうち、とっくに4日は過ぎていた(笑)で、見つけた。9月4日が誕生日の歴史的人物の中に二宮尊徳がいた。そういえば、昔はよくどこの小学校の校庭にも、背中に薪を背負って本を読む二宮金次郎像があったけれど、尊徳なのか金次郎なのか、とにかく私自身の子ども時代でさえ、二宮尊徳さんのことをちゃんと教えられてはこなくて、ただ「勤勉の象徴」として存在していたような気がする。とはいえ、子ども心に働きながらも勉学に励むという姿は、怠け者体質の私には好ましいというより若干うざい(汗)存在のようにも思えたし、そんな奴おらんやろう的な、ある意味時代から乖離した人のようにも思えた。だから、昨今「ながらスマホ」を危惧する方面から変な教育的配慮があったかなかったか、二宮金次郎の像はいつのまにか撤去の憂き目になっているという報道を漏れ聞いたりしても、ふーんという感想ぐらいしか持たなかった。その批判を避けるため、近年は腰を掛けて本を読む金次郎像もあるそうだけど、それはそれで何だかなぁという気持ち。人間って勝手だ(笑)

ただ、何となく興味を持って調べてみると、全く遅まきながらなんだかスゴいお方ではないかと感じるようになっている。江戸時代後期の経世家、農政家、思想家として名を残す二宮尊徳さん。この経世家というのは、江戸時代における政治家の呼び名だったようだ。しかし議員になって何もしない令和の政治屋とは違い、具体的な問題に立ち向かい、解決していったほんまもんの知識人なのだ。

二宮尊徳こと金次郎さんは、現在の神奈川県小田原市で裕福な農家の長男として生まれている。のちに武士の地位を与えられ、尊徳と名乗るようになったが、正しくは「たかのり」だそう。「そんとく」さんだから、「損得」と真逆なイメージを呼び起こし、覚えやすいのだろう。世が世なら裕福な庄屋の長男のまま一生を終えていたのかもしれない。しかし5歳の時に南関東を襲った嵐のため、近くの酒匂川が決壊し、家も畑も失ってしまう。田畑は何とか復旧できたものの、かねてから父が散財を重ねていたために借財は膨らみ、一家は困窮を究めた。6年後、眼病を患っていた父が他界。まだ幼い金次郎の肩には弟二人と母の暮らしがのしかかる。金次郎は働き手として祖父に預けられるが、貧困のさなかに母も亡くなってしまう。貧乏の惨めさやつらさを嫌というほど知った金次郎は身を粉にして働いた。あの、薪を背たろうて山を歩きながら本を読む姿はこの年頃の姿なのだろうか。弱冠14歳ごろのこと。

生前のお父さんは教養深かったようで教育熱心。金次郎も本が好きだった(ひょっとして散財というのは、子どもたちの教育のために使われていたのかもしれない。あの、朝ドラ『らんまん』のモデル、植物学者の牧野富太郎も植物学の本を買うお金で散財し、実家の身上を潰したのだから。今も昔も教育にはお金がかかるってことか)。しかし、自然災害によって一家の運命は一変してしまう。祖父は夜遅くまで灯りをつけて本を読む金次郎を「百姓に学問はいらん。油の無駄遣いだ」と叱責した。おじいさんとしては親を失った孫を不憫に思い、立派な百姓に育てたかったのだろう(ケチだったとも言われているけど)。でも、金次郎の向学心はおさまらなかった。余った土地に菜種を植え、油を自ら手に入れて、学び続けたという。20歳で独立し、自分の田畑を開墾。さらに大きくして24歳の時には大地主になっていたという。めでたしめでたし。ところが、金次郎さんの凄いところは、開墾で培った知識や技能、経験をお家復興のためだけでなく、世のため人のために使ったところにある。その能力を見込んだ小田原藩家老の服部家から頼まれて財政復興を成功させ、二宮金次郎の名は一躍小田原藩内に轟いた。そこからはもう、さまざまな難問に立ち向かい、財政再建と農村復興に尽力するのだった。

冷夏による天保の大飢饉を予見し、金次郎が冷害につよいヒエを植えるよう村人に命じ、本当に飢饉に見舞われた時にもヒエで飢えをしのいだという逸話もある。私生活では両親や弟、息子の死や妻との離縁など、決して順風満帆ではなかったようだけど、いつも根底にあった彼の考え方はやがて、人やものが持ち合わせている徳をうまく使って社会のために役立てる「報徳」という思想にまで発展していった。名言も多い。
「小を積んで大と為す」(小さな努力を積み上げていけば、大きな収穫や発展に結びつく)
「道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は、寝言である」
「キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである」
「誠実にして、はじめて禍(わざわい)を福に変えることができる。術策は役に立たない」
「いかに善を思っても、行いによって善を表さなければ、善人とは言えない。それは、悪い事を考えていると言っても、実際に悪事をしなければ悪人といえないのと同じである。 従って私はどんな小さなことでも、実際に善を行う事を尊ぶ。善心が起きたら、すぐに実行するのが良い」
などなど。なんだか、耳が痛い。特にキュウリの名言はまさしくそうだ。

69歳で亡くなるまで、勤勉・倹約を心情に人のために働き続けた尊徳さん。実際に少年期に薪を背負い、本を読みながら歩いていた事実は信ぴょう性が薄いようだ。ただ、明治時代後半になると修身の象徴として教育の場で広く紹介され、人のための尽くす姿が、「国のために献身する国民の育成」を目論んだ時の政治家たちによって政治利用されたともいわれている。軍国主義へと向かう日本にとっては、うってつけのモデルだったのだ。なるほどなぁ。戦時中はその銅像も金属供出のために撤去されたりしている。かと思えば、戦後は勤勉や親孝行の教えのシンボルになり、さらには児童らが本を読みながら歩く真似をして道路交通上好ましくないなどの理由、その上歩きスマホの問題に至って、いまやその数は減少の一途。小田原市の尊徳博物館では、やむなく校庭から撤去され、行き場を失った尊徳像を引き受ける活動もされているようだ。そんなこんなで、時代に翻弄されてきた金次郎さんでもある。ただ、「報徳」の精神だけは、時代を超えて、今も人々の心を打つ。というか、今こそ必要な考え方のように思える。

まったく知らなかったけれど、2018年には二宮尊徳の生涯が映画になっている。タイトルもまんま『二宮金次郎』。実際に映画を観た人の口コミは手放しの絶賛で、本当に素晴らしい作品だったようだ。地味な題材でメディアでもあまり話題になった気がしない。ネット経由で今も観られるか検索したけれど、予告編以外まったくなかった。そうなるとますます観たくなる。いつか、Amazonプライムあたりでやってくれないだろうか。


今に始まったことではないけれど、このところのBIGモーター事件やジャニーズ問題を見るにつけ、損得や私利私欲に走る政治家や企業のトップの何と多いことか。悪事は結局暴かれるわけだけれど。一般市民だって「ふるさと納税」と言いながら、本当は返礼品ほしさに寄付をしているわけで、それを取り次ぐ企業もそういう人々の見返りを逆手に怪しげなビジネスをしている。もちろん私自身も心しておきたい。日々を大切に積みか重ねていった先にしか、何事も到達しないということを。「小さなことしかできませんが、小さなことをコツコツと」を謳ってきた西川きよし師匠をあらためて尊敬する。野菜を愛し、もって生まれた音楽の才能を使って世界を愛で包む藤井風もどこか二宮尊徳さんに通じるような気がするのは、まあ私ぐらいかもしれないけれど(笑)


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