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大豆田とわ子と三人のオダギリジョー

「仮面ライダークウガ」と聞いてすぐピンときて、あの特撮作品の姿や物語のイメージが浮かぶのは、私や兄と同世代か、その親たちだろう。 ところで「大豆田とわ子と三人の元夫」が面白い。松たか子演じる「大豆田とわ子」の元夫として松田龍平・東京03角田・岡田将生が登場する。 そもそもこの役者たちが各々に魅力的で、ただそこにいるのを画面越しに見てるだけで「何かを見てる」気分になって楽しい。この辺りは監督とか演出の妙もあるかもしれないけど、そんな色気があるというか。作中のセリフにもあった

    • とほほ、あの頃は

       私は幼い頃から現在に至るまで東京都のK市に住んでいる。というと、東京って区じゃなくて市もあるんすか、みたいに聞かれることがたまにある。自己紹介する際にも、ほとんど埼玉のような立地で、とあらかじめ説明することが多い。  大学受験の浪人の期間にK市のT丘から、同じ市内でU園に引っ越した。T丘の家は都営の集合住宅、まあ団地で、そこには小学校の同級生もちらほら住んでいた。同じ場所から同じ学校に向かい、また同じ場所に帰る割には、仲の良い友人はいなかった。むしろ互いに距離をとっていた

      • さいかい

        やっていたことがひと段落ついたのでまた時々更新します。 周りと比べて自分のが一番ひどい出来だったら嫌だな。 急に手持ち無沙汰になった感じがする。から、今のうちに何かやることを決めておかないと、普通に気づいたら春になってたりする。 しばらく会えていない人たちにも会いたいと思う。 ところで今日SNSを見てて、やっぱりたとえそれが嫌な人であっても彼らを「嫌い」という気持ちで他人と連帯しようとするのは浅ましいかな、と思った。そうしようと思ってやってるわけじゃないにしても。それが確

        • 事実とその意味

          おバカタレントとしてテレビに出てた方が、農作物の盗難を「外国人によるもの」と断定して注意を呼びかけたツイートが波紋を呼び、怒られていた。もう結構前の話だけど。 彼は自分が怒っているのに、予想外の角度から注意されてびっくりしたことだろう。 毎回このnoteに同じことを書いてしまっているけど、こういう炎上?みたいな話はやりとりの論点がぐずぐずでそこがすごく気になってしまう。 まず、いわゆる「外国人による農作物、家畜の盗難」というのがあるのは、おそらく事実だと思う。そして実際

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        記事

          考えろ!然るのちに感じろ!

          たいていの人は自分が今何を考え、行動しているかということについて、何も考えていないと思う。 私たちは何かを考えていることを自分で意識することができるけど、これは意識というものの存在を考える根本みたいなもので、言うなれば人間とか、個人の存在の根拠みたいなものとも言える。 しかし、多くの人が、今自分が何を考えているかを忘れ、反射的に行動を選択しているし、それ故にほとんど無意味に悩んだり怒ったり、喧嘩になったりしているように見える。 例えばね、車の運転中によく見かけるのですが

          考えろ!然るのちに感じろ!

          文化の海

          ある創作物を指して別のもののパクリとか似てるとか言う人もいる。でもそれほど簡単な話じゃないようだなと、だんだん分かって来た。 例えば今日戸川純が歌うのを聞いた。彼女が平沢進と仲良いとか影響を受けているとかどっか聞いたけど(好き好き大好きとか確かにそれを感じる)、今日聞いた「バーバラ・セクサロイド」は、ほぼ間違いなくIDOLM@STERの「エージェント夜を行く」のイントロとか全体のコンセプトの元ネタになっている。そっちの曲はニコニコ組曲の中に入ってるもので、まあ自分の世代の人

          文化の海

          語り継ぐということ

          毎年夏になると終戦記念日に合わせて情報番組で特集が組まれたり、特別ドラマが放送されたりして、(主に日本の一般人から見た)戦争の経験というものについて改めて伝えようとしている。 そういう番組でも言及されていることだが、当時の記憶が明確にある人、ましてや実際に戦場にいた人は、今や亡くなってしまった方も多く、そのことは止めることができない。そして必ず、当時の記憶を持つ人は一人もいなくなる。 そのとき、我々は何を伝え合うことができるだろう。映像の記録が残っていることはいいことだが

          語り継ぐということ

          文章を書いていて思うこと

          自分が書く文章を読見返すと、どれも自分の内面で起きている話で辟易してしまう。 この文章自体が自分を振り返って私が思うこと、を書こうとしているので、入れ子構造になってしまっている。まあ、それはよくて。 エッセイにしても小説にしても、「私」以外の登場人物を出すのが苦手で、出てきたとしても主人公の心象?みたいなものになる。 とりあえずここのところに改善の余地がある気がする。もっとイキイキとした他者が描けるようになりたい。 絵も自画像が多くてほんと恥ずかしい

          文章を書いていて思うこと

          私を見抜かないで

          その人の本質ってなんだろうか。 ヤンキーが優しいところを見せたり、身体能力をスポーツに活かしたりするのを見て、「本当は良い奴なのかも」と感じる物語上の展開はよくあるし、ドンピシャではないにしても自分の学生生活を振り返ってもそういう人いたし経験がある。 騙されるな。目の錯覚と一緒だ。2つの丸を同じ大きさだと、2つの線を同じ長さだと、理性によって理解したいものだ。 ほんとに良い奴は普通ヤンキーにならないし、一点の優しさも見せない人間はほとんどいない。だから時々良いことするヤ

          私を見抜かないで

          半沢直樹が正しすぎて怖いのよ

          義憤にかられることはある。そして大抵の場合、その怒りを相手に伝えることはできない。金権政治とかね。 半沢直樹ってその点悪い人より弱い立場から、知恵とか実直さとか、倫理観に反さない方法で、悪事を暴いてやっつけてるわけで、普段自分ができないことをやってくれる痛快さがある。ある系統のドラマって言ってしまえばどれも要はそういう話で、半沢直樹はそれが極端に描かれている。 私は半沢が「日本の銀行員の恥さらしだ!」とムンムンに顔を寄せて相手を罵倒するとき、Twitterみたいな奴だな。

          半沢直樹が正しすぎて怖いのよ

          Googleにレコメンドされるな

          私たちの趣味趣向がGoogleにコントロールされている。 youtubeは私と似たようなものに興味を持つ人間が、別のこの動画も好きらしいですよと教えてくれる。舐めてんのか。怒れ。 輪の中で均質化しても何にもならない。フィルターバブルから飛び出して傷つこうぜ。 直接は関係ないけどマルクス・ガブリエルが私たちはデジタル・プロレタリアートだと言っていた。 ので、デジタルプロレタリアート文学を描いて星新一賞に応募します。落ちたらこのnoteで公開します。あとひと月。助けて〜〜

          Googleにレコメンドされるな

          愛とビースト

          Theo Jansen氏のストランドビースト。 上の動画のビーストは去年の新しいやつらしい。多分前に沖縄とかの展示に合わせて作られらた「ウミナミ」の進化した形態の一つだろう。 ストランドビーストはとても魅力的な作品群。海辺に置かれる彫刻作品(?)で、風を受けると風車が周り、その回転が特有のリンク機構によって脚の歩行運動に変換され、浜辺を一人でに歩き回る。というのが一番ベーシックというか有名なビーストだが、ストランドビーストにはさらにもう一捻りあって、「進化」する。 テオ

          愛とビースト

          本木雅弘のプロフェッショナル

          「悩みすぎだよハンサムさん」 というのが感想だけど、想像できる悩みではあった。 「本物」への悩み。すごく真面目に悩んでいて、よく気が狂わずにいられるなと思う。「仕事でやってるんだから、周りによしとされるものを作れたらそれでいっか」で済ませないことは大変だろうな。 外から見るとどうか、が分かってしまう人には難しいことがある。宮本浩次がコンビニで自身の「奴隷天国」を聴き、「こりゃ売れねえわけだ」と気づいたことは、無責任な受け手としての私たちにとっては不運なことだったのかもし

          本木雅弘のプロフェッショナル

          肌のアンチエイジング広告を見た

          成長と老化はどう区別されるか。 命は生まれてからは死ぬまで一本道であるから、老化は誕生の瞬間から始まるということもできる。 ようは、死ぬまでの身体的・精神的な変化のうち、生きるのに都合が良くなる部分を成長、不都合な部分を老化と表現しているだけだろう。だから「〇〇歳くらいからは全てが老いる方に切り替わる」とかいうような話ではないはずだ。たとえば皮膚は赤ん坊の時をピークとして劣化していく一方だろうし、体全体のフィジカルなパワーはふつう二十代の半ば程が頂点だろう。 ここで思う

          肌のアンチエイジング広告を見た

          「告白」を見た

          小説を複数並行して書こうとしているのだけどなかなかうまくいかない。絵も複数同時進行してしまっているし、作曲もやりかけで、何より卒論に着手しなければならない。 アマプラで「告白」を見ました。 湊かなえ原作で、松たか子主演のやつ。中島哲也が監督で、こないだ見た「来る」の人らしい。なるほどと思う。もともとはCMの監督していたらしいのですが、「来る」も「告白」も、確かにその感じがある。 清涼飲料水のCMのあのステレオタイプな青春の白々しさ。制服を着た子供たちが皆笑顔で集まって窓

          「告白」を見た

          「やっぱり自然が一番ってことですね!」

          数年前に電車に乗っていた時のこと。流れている広告映像やらニュースやらを漫然と眺めていたら、各駅の特産とか観光スポットを巡る小番組(記憶は定かでない)が始まって、知らない女性が米農家を取材していた。 稲穂を天日干しする昔ながらの方法を使っており、虫を避けたり管理は大変だけど、味は良くなるらしいと言う旨のことを、農家の方が丁寧に解説していた。 それを受けて取材者が一言「やっぱり自然が一番ってことですね!」とはつらつとした感じで答えてその小番組は幕を閉じた。 車内で一人吹き出

          「やっぱり自然が一番ってことですね!」