見出し画像

『世界ふしぎ発見』と『関口宏のサンデーモーニング』の最終回を見送る

3/30 に『日立 世界ふしぎ発見』が放送終了し、3/31 に『サンデーモーニング』から関口宏が降板した。前者は1986年4月から38年続き、後者は1987年10月から36年半続いたTBSの長寿番組で、とても長い間お付き合いしてきたテレビ番組だ。特に後者は毎週欠かさず見ていて、一週間の生活ルーティンの一つとなっていた。人生の里程標を踏み越えた感がする。現役続行中の番組としては、48年間続いている『徹子の部屋』があり、『ちびまる子ちゃん』や『忍たま乱太郎』や『テレビタックル』があるが、これらが終了しても今回のような感慨を覚えることはない。二つの番組はほぼ同時期に始まった。この時代の同期の番組として、久米宏の『ニュースステーション』がある。久米宏と黒柳徹子が『ザ・ベストテン』の次の仕事へそれぞれ進んだ。回想を始めただけで、何か明るい景観がパッと広がる。

テレビマンユニオン制作の『世界ふしぎ発見』は、日本経済の豊かさと日本社会の成熟を象徴する番組だった。70年代から一歩進んだ日本と日本人があり、ワイドに視野を広げて世界をグリップする日本人の姿があった。60年代の日本人のそれが、小さな白黒テレビに粗い解像度で映る『兼高かおる世界の旅』のレベルだったことを思うと、隔世の感を覚える豊穣な映像と説明が届けられていた。テレビマンユニオンの野心と挑戦に気分をユニゾンさせ、若い私も溌剌と生きていて、仕事から最も離れる週末の夜がそこにあった。一週間の疲れを癒すプライベートタイムの娯楽だった。日立製作所も元気満々で、製作費を惜しまず投入し、日本国民の健全な教育啓蒙を支援していた。日立はあのとおり、良くも悪くも日本経済共同体を小さく凝縮したような企業だが、番組がどれほどブランドマーケティングに貢献したか計り知れない。

順風満帆の日本経済。世界市場に快進撃する日本メーカー。日本経済の上昇気流を翼に捉え、私も高く高く空の上に舞い上がり、そこから見える地平の広さに興奮と満足を覚えていた。宣伝関係で一緒に仕事した女の子たちは、皆、ミステリーハンターになりたい、応募してチャンスを掴みたいと夢を言っていた。思い出すとひたすら明るく眩い。翌日は神保町に繰り出し、鶴見良行の本を買い込んで読み耽っていた。『バナナと日本人』『マラッカ物語』『マングローブの沼地で』『ナマコの眼』。それから堀田善衛を知って、『歴史の長い影』『バルセローナにて』など随筆作の視角と表現に夢中になっていた。大学で基礎を学んだマルクスとウェーバー、丸山真男と大塚久雄。その社会科学の知識と関心の上に咀嚼して積み重なる、新しく魅力的な教養の世界。その80年代の読書と『世界ふしぎ発見』は、よく調和し刺激し合う関係だった。

最近、若い人と話す機会があり、「『エイビーロード』って知っている?」と尋ねたら、「知らない」という答えが返って来た。『カーセンサー』も知らなかった。ネット上の説明を確認すると、「1984年に月刊の海外旅行情報誌として創刊し、旅行会社の一大販路としての立ち位置を築いた」と紹介がある。当時、コンビニや近所の書店に必ず置かれていて、テレビでのCMも賑やかだった。『世界ふしぎ発見』の放送が始まった頃の日本経済と日本人の若い世代の生活を想像するには、『エイビーロード』の記憶を辿るのが最も当を得ている。このぶ厚い雑誌は、海外旅行商品を集積し編集した広告媒体だった。発行はリクルート。購読層は主に独身の若い世代、特に女性がターゲットだった。すなわち、若いOLやサラリーマンが年2回の賞与で手を出す商品が並べられていたのである。雑誌のページを捲り、次はどこにしようかなと選んでいたのだ。

15万円から30万円くらいの商品が多かった。ハワイ、中国、東南アジア、アメリカ、ヨーロッパ、海のリゾート(フィジー、ニューカレドニア、タヒチ、モルジブ、セイシェル)、南米(マチュピチュ)。1回分のボーナスで代金が支払われていた。それが、会社に入って働き始めた20代の若者の普通のライフスタイルだった。日本中のコンビニで売られていたのだ。『エイビーロード』と市場のブームのおかげで販売を伸ばし、現在は大手代理店の一角にのし上がった成功企業にHISがある。『エイビーロード』に広告を載せ始めた頃は無名のベンチャーに過ぎなかった。非正規3割の現在の若者の生活実態からは想像もできない世界だと思わないか。しかしそれは現実であり、38年前に29歳だった私もその世界で暮らしていて、『エイビーロード』の熱心な読者だった。恵まれていたのかもしれないが、ごく当たり前の卑近な消費社会の環境だった。

『カーセンサー』も同じ仕様のリクルート社の情報誌で、コンビニで売られていた。こちらの方はまだネットの中で事業を継続中だ。中古車の販売情報を集積した週刊誌である。やはり、主に若者層が買って読んでいたイメージが強い。『エイビーロード』は女性、『カーセンサー』は男性が立ち読みしていた。中古車販売台数の統計を確認すると、リーマン不況が始まる前は年間800万台を推移している。新車の方は800万台から500万台にまで激減してしまった。が、この中古車販売台数も中身が問題で、きっと軽自動車の比率が増えているだろう。『カーセンサー』の雑誌が全盛期の頃は、そうではなく、トヨタのウインダムとかマツダのロードスターとかホンダのプレリュードとかが人気車種だった。セルシオやシーマやレジェンドも活発に流通していた。路上にはベンツとBMWがやたら多く、ボルボとジャガーも多く走っていた。思い出すと浦島太郎になる。

黒柳徹子の歴史のお勉強の逸話が語られていたが、決して、番組が始まる前に黒柳徹子に歴史の知識がなかったということはない。ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を、まさにしゃぶるように読み尽くしていて、フランス革命がテーマの回は常にパーフェクトだった。知識人としての基礎を十分に持っていて、いつも感心させられた。縦書きの日本語(回答)の書体も見事で、流石だなと羨ましく眺めていた。ベースがありエンジンがあるから、さらに図書館へ行って勉強して知識を増やしていくのであり、それが可能なのである。同じ日本人だが、われわれとは質が違う。そしてそういう見方を、私は私と今の若い世代との関係性に重ね被せ、堕落と劣化という言葉で総括する。若い頃に勉強を怠った者は、年とってからも勉強しない。知識習得の意味や古典精読の価値が分からない。ネットの中に全部あると思い込み、生成AIが全部やってくれると思ってしまう。

関口宏の『サンデーモーニング』降板については、ご苦労さまとねぎらいたい。この番組は、昔の記憶や印象はあまりない。2010年代に入って、ツイッターが普及して以降、右翼に狙い撃ちされて猛烈な誹謗中傷を受けて来た。インターネットは、特にブロードバンド回線が普及して一般利用され始めた2000年頃から、一気に猛り狂う右翼の巣窟と化し、マスコミ言論と現実政治を右へ右へと引っ張り傾ける原動力となった。ネットはネオリベ右翼の牙城となり、若い世代から全世代を洗脳する装置として機能した。その始まりは90年代半ばの「新しい歴史教科書をつくる会」の反動あたりであり、1997年の金融危機と竹中平蔵の登場、そして2001年の小泉改革の熱狂的支持と続く流れの中で、その方向性がメインストリームとして不可逆的に固まって行く。マスコミ報道全体が右傾化ネオリベ化する中で、関口宏はその流れに違和感を感じて抵抗を続けていた。

いわゆる「リベラル保守」の範疇であり、それを崩さなかった。最終回でも一部映像が出たが、新堀俊明、浅井信雄、河野洋平、浅井慎平、岸井成格らがそれをサポートした。他と違って節を曲げる程度が少なかったから、関口宏は視聴者に信頼され、番組が長続きしたのだと言える。2010年代以降は、この番組だけがテレビの最後の良識の砦という感が漂っていて、故にネット右翼の集中攻撃が凄まじかった。2020年代に入って、つまり最近だが、気づくのは、スポーツ紙やネット媒体(女性自身、現代ビジネス、プレジデント..)が、関口宏叩きの毒記事を乱発し、関口宏降ろしの政治を扇動してきた問題だ。関口宏叩きを正論とし、降板要求が国民多数の主張であるかの如くスポーツ紙とネット媒体がプロパガンダを咆哮し、それをヤフーのトップ画面 - ネットのNHKニュースたる標準報道ライン - に並べていた。TBSの内部(上層部)が関口宏降ろしに動いていた。

年齢80歳の関口宏。それほど大きな衰えは感じない。81歳のバイデンと比較して、よっぽど認知力は正常で健全に見える。もう少し長く続けて欲しかったが、2026年と設定されている台湾有事まで2年の時期であり、遂に抗しきれずという内情と立場だったものと推測する。膳場貴子ならば、やんごとなき方面も大いに安心なのだろう。金平茂紀が降板した後の2年間の「報道特集」は、統一教会特集を除いて全く面白くなかった。番組の今後を考えると脱力しかないが、時勢であり、しかたないと諦めざるを得ない。2000年代には金子勝が準レギュラーでコメントしていた。アーサー・ビナードが出演して、刮目させられるアメリカ批判の発言を行っていた。夢のまた夢の世界である。最後に『サンデーモーニング』を語るに当たって、どうしても省略してはいけないと思うのは、一つは、関口宏の生きものについての博識である。

他でも書いたけれど、関口宏が少年だった戦後、東京にどれほど豊かな自然が残っていて、子どもたちが昆虫や草花と毎日接して生きていたのかを思わされて感動した。関口宏は東京のど真ん中で生まれ育ったお坊ちゃんだ。でも、虫や鳥や草や花の名前と特徴を本当によく知っていて、大人の常識のように生きものの生態を体験から説明していた。驚いた。私は田舎の山奥で生まれ育ったが、関口宏的な前提がない。高度成長期というもののマイナス面を深刻に考えさせられる。おそらく、昆虫や草花と戯れる代わりに、エイトマンやウルトラマンやマグマ大使と睦んでいたのだ。それともう一つは、あまり誰も指摘しないけれど、大沢啓二のプロの専門知識である。大沢啓二の頭の中にはルールブックが全暗記されていて、プレーの解説で縦横に規則の条文を引き出していた。昔はそういう人が多くいた。今は、ルールブックを諳んじて説明できる者がいない。

戦後日本が遠くなって霞んで行く。悲しいだけでなく、悔しさと憤りで歯噛みする気分になる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?