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沖縄に来た本当の理由①

私が初めて沖縄に来たのは2015年4月30日。
その直前に会ったメキシコ人のロベルトに通訳として一緒に沖縄に来て欲しいと言われ、突然初沖縄となった。それまで沖縄に抱いていたイメージは、なんかキャッチーなテーマパーク感。
リゾート。ゆいまーる。
父母の新婚旅行先。そんなもんだった。あとはちゅらさん、とかシーサー、とか。誰もが知ってるくらいで、他の国にはあれ程行ったのにここまでで、沖縄に足を踏み入れることは一度もなかった。
当時日本に留学に来たばかりのロベルトは福岡に住んでいたので、那覇空港で待ち合わせをした。ロベルトは白シャツの前をものすごく開け、ラテン感全開で現れた。
そこからレンタカーで北部へ。美ら海水族館に行き、民宿に泊まり、色々あったものの(ロベルト編はまた別記事に書く)やんばるを見て周った。

宿を出発する時、一本の電話が来た。インドで知り合った、むっちゃんの高校時代の友達、麻衣ちゃんからの着信。麻衣ちゃんは石巻出身だが、私の地元の繊維で有名な児島のKAPITALに勤めていた時に何度か会って色々話した友達。でも気軽に電話が鳴る関係でもない。私は電話に出た。「あ、もしもしよりちゃん?あのさ、よりちゃんに絶対に会って欲しいユタがいてさ」…ユタって何?え?それで麻衣ちゃんがわざわざ連絡してきてそれを???
麻衣ちゃんは人に何か押し付けるような子ではない。そこに不思議な違和感を覚えた。
とにかく落ち着いて受け答えはしたものの、心がザワザワしてアポイントもあっという間に取れた。
ハテナマークを浮かべているロベルトに説明すると「あ、シャーマンみたいな感じね、へぇ。僕も一緒に行くよ」みたいな感じで、さすがはメキシコ人。そういう趣旨の事はすぐに理解してくれた。次の日、那覇からバスで北谷へ。
まだまだ状況が飲み込めず、ちょっと落ち着きない私に、体毛の濃いロベルトが「ヘイ、よりこ、こんなに毛深いことを英語でなんと言うか知ってるか?hairy(へアリー)だよ!」と教えてくれていたが、そのくらいしか会話を覚えてない。

待ち合わせ場所に着くと、オープンのジープ(ラングラーだったかな)が来た。
いかついおじさんが乗っていて、「岸本さん?!」と聞いてきた。返事をすると、それがユタだった。私はてっきり白装束で頭に植物とか差してる感じかと思ったのでその風貌に驚いた。
それからは彼はそのジープに私とロベルトを乗せ、自宅へと向かった。丘の上の住宅街だったことを記憶している。
「どうぞ〜。」
招かれた自宅は普通のおうちで、玄関にクリスタルだったり、御札?だったり、パワーありそうな掛け軸だったり、かと思えば庭にマリンスポーツの道具があったり、ヤンチャオヤジなユタのようだ。台所では静かな感じの奥さんがお茶の用意をしてくれて、息子たちもヤンチャそうに遊んでいる。
「あの、私にたどり着いた理由とかあるんですか?」と聞くと、「いや麻衣ちゃんからチラッと聞いて、あ、この人とは話さんといけんねって思ったわけ。」
と言った。目の力が強い。目がでかい。
「もうユタはやってないよ!疲れるしね、使命、みたいなものを感じないともうしない。」と続けて話した。そして、私の左の方を見ながら、「左肩上がらんね、きつかったね」と言った。私はこの時につま先が冷たくなる感覚を覚えた。まさに、私の左肩は上がらない。「それはね〜…よくないね、よく間に合ったさ。」そう言うと冷たい麦茶をひと飲みで飲み干して私をギョロっとした目で見た。
「横になりましょうね」
一緒に寝るのかと思うこの言葉、「なってね」という意味だと今はわかる。横になり、「でーじなってるけど、ひーじーよ。時間はかかるけど、ひーじーよ。」(大変な事になってるけど大丈夫)と言った。そして、手を当てられ、ユタの荒い呼吸法の様なものが始まった。空気を思いっきり吸うようにユタは呼吸している。しばらくその時間が続き、言葉の分からぬロベルトが正座して緊張した面持ちで座ってるのを眺めていた。
「異国に来て一発目に沖縄のシャーマンと会えるロベルトもなかなかすごいな」なんて考えていた。
30分くらい手当て+呼吸法みたいなのが続き、「さ、座りましょうね。」とユタが言った。座ってユタを見ると汗を滝の様に流し、目をものすごく充血させて、ゼイゼイと荒く呼吸をしていた。
私はその顔にとにかく驚いて、話しかけていいものか分からず、下を向いて冷たい麦茶を飲んだ。
しばらく沈黙があり、なんだか気まずくなってきた瞬間にユタが口を開いた。
「左、どうね?」と聞いてきて気づいた。左肩が動く。背中の重みも軽くなっている。
「え?動きます….え?!肩が上がります…」と言った。ユタは若干得意げに「でーじよ。パイプが詰まってる感じだったわけよー煤まみれの煙突を掃除してるわけ。わかる?」って言われてちょっとその時の私にはわからなかったが、肩が動くのは事実だ。
そしてユタが続ける。「よく帰ってきたね。何か感じて戻ったの?」ちょっとそれもよく分からなかったけど、確かにロベルトに誘われた時、私は考える間もなくOKしたし、その時リゾートをテーマにしたBARのホームページをデザインしていたので、なんとなく即答した。抵抗感がゼロだったし、ここに来るまでの全ての出来事はベルトコンベアのようだった。(ロベルトの奇行を除いて)
「よくわからないですけど、そんな気もします」と答えた。
「うーん、あなた、糸満の人だったよ!最後はしんどくてね、でーじだったわけ。見たけどね、可哀想。ほんとによ。それがすぐにまた生を受けてね、マブヤー引きずってる訳さぁ。40年しか空いてないからよ、早く生まれ変わりたかったんだはずね〜」と言った。
私、生まれ変わりめっちゃ早いやん。と思ったくらいだった。逆に言えば正直、ここまではそこまで信じてなかった気もする。うちの母親がすごく色々見えたりする人なので、私は小さい時からそれを聞きたくなくて、信じたくなくて、懐疑的、否定的だったからだ。でも、確かに私の肩はどんどん軽くなっている。何か詰まっていた邪魔な部品を取り除かれたかのように。
その後も30分ほど手当ては続き、その後座って談笑した。心のどこかで、「前世の話もう少し聞きたいな」となんとなく思いながら話していた。
するとユタは突然言った。
「前の人生気になるさぁね、けど今は知らんでいいよ〜。すぐわかるからね〜。」と言った。

とにかく肩があがるようになったし、こういうのはお布施的なものを渡すべきだと、一万円入れた封筒を渡そうとした。すると、「いらん。」と言った。何度渡そうとしても「いらん。」と少し怒っていうので、ちょっと怖くて、封筒をバッグにしまった。
帰り道の記憶は何故かほぼ無い。

※写真はへアリーなロベルト



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