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2019ポートクイーン千葉を卒業しました

おそらく、これがポートクイーンとして最後の投稿です。

2019ポートクイーン千葉をついに卒業

先週の7/11(土)をもちまして、2019ポートクイーン千葉(千葉港親善大使)を卒業しました。去年の7月に就任してから1年間の任期でした。

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最後の活動は「2020ポートクイーン千葉 オーディション」でのお手伝いです。

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当日は、ポートクイーンの代表として審査員をやらせていただきました。生きている間にミスコンの審査員をできる日が来るとは思っていなかったので、とても光栄です。

すでに1週間前のことになりますが、私の人生にとって大切な節目なので思いのままに書いた文章を投稿します。

もう、私は主役ではない

オーディションの翌朝、目が覚めて「あ、もうポートクイーンじゃないんだ」と気づきました。その時の喪失感と虚無感はかれこれ数日間続きます。

世の中で「ポートクイーン」といったら、それはもう私たちのことではなく、全く新しい5人のことになります。

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そう思うと、安心感よりも寂しさに襲われるのが正直なところ。心に穴がぽっかり空き、仕事をしていても家事をしていても何をしていても、ポートクイーンとして生きた愛おしい1年間が頭の中を駆け巡るのです。

愛おしい1年間

とても、とても早い1年でした。
なぜでしょう、思い出すのは写真に残されていない記憶ばかり。

初めての活動日に、ケーズハーバーで集合写真を撮ったこと。

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なぜか事務局長が撮る写真はブレているものが多く、みんなで爆笑しながらつっこんだこと。

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まだ会って2,3回目なのに、私の「岩盤浴に行こう」という誘いにみんなが乗ってくれたこと。

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バブルスパで海外セレブのマネをしたこと。なぜか外国の名前を付け合ったこと。そして、みんなが揃いに揃って女子校出身だと知って独特のノリに納得したこと。

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(画像:伊藤愛華ちゃん作)

恒例行事のように、事務局長のマネをみんなでして笑い合ったこと。控え室ではいつもふざけていたこと。

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活動が終わるたびに岩盤浴に行ったりごはんに行ったりして語り明かしたこと。

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思い出は数えきれません。
私たちのコミュニティは活動日だけでは飽きたらず、プライベートでも本当によく会いました。

家族のようなコミュニティ

活動の時はみんな本気で「ポートクイーン」を演じます。それはもう、芸能人ばり。でも、舞台をおりたとたんに愉快な女の子へ早変わり。
決して高飛車ではなく、最高に可愛くて最高に面白いみんなでした。そんなみんなが、私は大好きです。そして、見た目はただのおじさんだけれど(失礼)実はとても温かいおじいちゃんのような事務局長も大好き。

ポートクイーンは、家族のような温かいコミュニティでした。

本当に、最初からずっとみんなが大好きでした。
その証拠に、一番最初の活動が終わった後はこっそりとインスタグラムに「もう私には分かる、この一年でみんなのことすごくすごく好きになる。」と投稿していました。

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どの些細な思い出も、本当に愛おしい。忘れたくありません。

ポートクイーンを卒業しても、あの一瞬一瞬を生きていたことは変わらない事実です。この1年間を駆け抜けたことを誇りに思います。

ポートクイーンではない今、どう生きるか

さて、これからの私はどう生きるかって?

言わずもがな、ライターの世界にもっとのめり込もうと思います。

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ポートクイーンだった頃は「会社員」「ライター」「ポートクイーン」の三足のわらじを履いていましたが、ポートクイーンを卒業した今では「ライター」の比率が半分以上を占めるようになりました。

ポートクイーンをやっていて気がづいたんです。
私、キラキラとした表舞台に立って発信することよりも、文章を通して発信することのほうが好きみたいです。
タスキマジックで「美人」ともてはやされながら顔を出して発信をすることも良い経験でしたが、やはり私は根っからの物書き。ポートクイーンとして取材をしている時、執筆をしている時が1番イキイキしていました。
私が私らしくいられる1番の場所が、文章の世界。そう確信したのです。

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もう、あのピンクのタスキをかけて表舞台に立つことはありませんが、私はこれからも発信を続けます。もちろん、文章を通して。
私は、文章の世界で生き続けます。

おまけ

引退した日の新聞(千葉日報)を少し載せます。

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1年間ありがとうございました!!

コーヒー1杯くらいおごってあげるよ!という感覚でサポートいただければ泣いて喜びます。いただいたサポートでビアードパパのシュークリームを買おうと思います。