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大げさだけど人情味があって愛すべき関西人

大学進学をきっかけに関西に住み始め、感じたこと。

いちいち声は大きいし、大げさな人たち…

人に道を尋ねると、
「この道をガーッてどん突きまで行って、ワーッて右に曲がるやろ?ほんでたばこ屋さんが見えたら、そこを左にヒュッて入ってみ。すぐ見えるわ。」
…どんだけ擬声語使うねん。

「私な、昨日熱出てぶっ倒れてん」
「えっ!もう大丈夫なん?」
…よくよく聞いてみると、ベッドで1日横になっていた、とのこと。私が幼少期を過ごした中国地方では「ぶっ倒れる」という表現は意識を失ってバッタリと倒れる時にしか使いませんが。

話に面白味を持たせるために、抑揚をつけて大げさにしゃべったり、ちょっと事実とは違う内容に変えたりということを、関西の人はごく自然にしているようです。ですから、特に私のような『ヨソモノ』は話半分に聞くように注意しなければなりません。

でも、いいことだってあるんです

このように「おもろいかどうか」に重きを置く関西の人たちは、なんでも話を笑いの方向へと持っていきます。

まず、笑える話は、脚色もいとわず話す順番までしっかりと構成してネタとして大事に取っておき、ここぞという時にお披露目します。もちろん、これは鉄板ネタですので、失敗は許されません。

普通の話も、人前で披露するからには「ふ〜ん」で終わる話にしてしまってはいけません。うっかりそんな話し方をしてしまうと必ず、「で、オチは?」とツッコミを入れられてしまいます。『ヨソモノ』は怖くて普通の話なんかできたものではありません。話すからには、何らかのオチを用意しておく必要があります。

そして、あまり良くない話…仕事で大きなミスをしたとか、恋に破れたとか、大切なものを失くしたとか壊したとか…そんなことも関西の人は逆方向にいっぱい振り切って、時には自虐ネタとして、やはり笑うところに着地させます。万が一、話者にそこまでの余裕がなくてちゃんと着地できなかったとしても、聞き手が「しゃあないな。笑ろとこ、笑ろとこ!」と、明るく話をまとめてくれます。

関西人、おそるべし。でも、明るく笑って話を終わらせるってとってもいいことだと思います。だって、物事に対しての最終的な感情は尾を引くから。

だから関西が好きで、私も染まっちゃった

そうやって関西の人に失敗さえも笑いのネタとして話されると、こちらも自分の失敗を話そうかな、という気持ちになりやすく、心の距離も縮まりやすいように感じます。振り返ってみると、温かい関西の人々に色んな場面で助けられてきました。

さて、先日のバレーボールの練習試合でのこと。長いラリーが続き、拾っては攻め…の繰り返しの中、わがチームのアタッカーにすばらしいトスが上がり、これで決まる!と皆が確信した中、なんと彼女は球をうまく捉えられずに自コート内にボールを落としてラリーを終わらせるという、痛恨のミスをしでかした。

思わず、吉本新喜劇よろしくズッコケた私。ふと周りを見渡すと、ミスしたアタッカー以外、コート内の全員が同じくズッコケていた。相手コートからはその見事な光景に大爆笑が起こっていた。

私、以前は自分からズッコケたりはしなかったんだけどなぁ。今や、すっかり関西人だわ。



※この記事は私個人の主観に基づくものであり、関西の人に全員当てはまることではないことをご了承ください。


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