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80歳になっても結婚式するなら振袖

一生に一度の望月。
それは成人式。

今年は特殊な環境下でした。今年じゃなくても、いろいろな形で成人式を迎える方もいらっしゃるでしょう。

そんな誰かが大人になる日、当事者も当事者じゃなくても、通過儀礼としての成人式があるからこそ「きもの」を意識した人が少なからずいらっしゃったのではないでしょうか? 

着物は、というよりも「振袖」というものは特に、誰かの成長を願い祝う気持ちが伴うものですね。あなたはどんな成人式でしたか?

私の成人式はというとずいぶん前ですが、ちょっとした苦い思い出でした。そう、ハレの日に心が晴れナイ日でした。ただ、今では「あれが無かったら今はない」と思える通過点になっています。

というのも、その成人式から途中経過いろいろあった後。成人式から何十年も経ったある日です。資格試験の他装実技を前にして私は「振袖」を買いました。ええ買ったんです、手頃だけど素敵なのを。それが幸いとなって、すっかり昔の苦い思い出は解毒しました。

よく考えてみてください。とっくに二十歳が終わっているのに「振袖」を手に入れるというのは、思うより勇気が必要です。「普通…」とか考えちゃダメで、思い切りが必要。すごく無駄な気がしてしまうんですよ…当然ながら。でもこれ、身近にナイ話でもないのです。ま、私は80歳になっても結婚式をするならそれを着よう!と思っています。こういうデタラメな矛先が必要です。品物は経験を活かし目利きして選んだカッコイイ正統派です。


さて、私の成人式に話を戻させてください。
「振袖」というより私はもともと「着物」への執着がない方でした。どちらかというと合理的で機能重視だったため「振袖は姉のお下がりを着る。その代わりスーツを買って欲しい」と言いました。周りにもそういう人がいるにはいました。親もほっとしていたと思います。私は私で、いずれ必要になる「新品のスーツ」が手に入るならその方がいい。と、その時は現実的に判断しました。

それなのに成人式がハレ気分じゃなくなったのは、

親が記念写真の予約をしていなかった
38℃以上の高熱で倒れそうだった

こんなところです。
どちらも、モノというよりプラスレスな思い出が期待通りにならないという残念感。高熱はとりあえずとして。記念写真のことは泣きそうになりました。

そのことで、当時、私は拗ねてしまいました。なぜなら、着付けと髪セットのために美容院へ向かうまで、親が記念写真の予約をしていないことを知らなかったからです。盲点でした。予め気づかなかった。姉が成人式で記念写真を写真館で撮っていたことを知っていたので、当然自分も撮るものだと勘違いしていました。ところが、家ではそこは当然でも自動でもなかった。一生に一回のことだからシステムがわからなかったのだけど「彼女は自分で予約したのよ」と親はいう。けれど、本当か?とかね。とにかく拗ねてウジウジしました。

かつ、当日知ったところで、もう取り返しがつかないタイミングでした。美容院と写真館の予約は、かなり前もっての事前予約が必要なほど混んでいました。前撮りがない時代ですね。

成人式は一生でその日しかないし、
振袖は一人で着られません。
写真撮影はその日しかありません。

ちなみに、私は成人式の当日の記念写真を持っています。その日、恋人が神社へ連れ出してくれて何十枚も綺麗に撮ってくれました。嬉しくて、ほんとうに思いやりのある優しい人でした。私が仕事でスナップ写真を撮るときの気持ちは、彼からもらったものですね、きっと。自撮りもいいけれど、心の底から祝ってもらい讃えてもらって撮られる方が何倍も嬉しいものです

そして何がどう転ぶかわかりません。その何十年後に、私は着物の世界へ飛び込んでいくのです。着物のことに詳しくなり、成り行きで自分の「振袖」も手に入れました。

みなさんの振袖。今どうしていますか?


20歳の私が成人式で着用した振袖は、のちに姉の所有物となり、袖を留めて訪問着になっています。この加工は袖の柄によってはお勧めしません。そういう加工をせずに、代々受け継がれる振袖もあるでしょうね。いずれにしても誰かの手に渡りいつか着られる着物は幸せだと思います。


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