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きときんとむし  #6 樹木たち・・・

木と菌類(キノコ)と虫の話。(漢字で書かんかい! まあ、ウケ狙いね。)

さて、木にとっては、日光と水を確保することが、文字通り死活問題になる。したがって、日光を他の木よりたくさん浴びようと、高く伸び、水を得るために根を広く張り巡らせることになる。

今回は根の話。
一人前の木は、根をしっかり張り巡らせて、一応当座の需要には間に合わせている。

しかし、年によっては乾燥が激しい年もあるので、これで十分というわけではない。また生えて居る場所によっては、岩の多い土壌など、栄養分が少ない場所もある。

そこで、木は菌類と手を組むことにした。

菌類というのは、すごいもので森の中の土,茶匙一杯分の中にある菌類の長さは、1Kmをゆうに超えるという。

地上最大の生物は何かというと、それは菌類。
スイスのナラタケは、0.5㎡に広がり、1000年生きている。
Humongous Fungus(巨大なキノコ)と呼ばれるオレゴン州のナラタケは、9.6平方キロメートル、重さ400トン、最低でも2500歳と推定されている。
どうしてわかったかというと、キノコのDNAを調べたら、全く一緒だったから。

この菌類が木の毛根の中に入り込み、木の根がカバーする数倍の範囲から集めてきた水や養分を木に供給する。これで、木は、水不足や栄養不足から解消される。

他にも、木が菌類と手を組むメリットがある。
木は互いに情報を交換して居るのだが、この情報交換を木の根が届かない離れたところにある木に菌類は、届けている


言ってみれば、菌類は、森の中のインターネットの様な働きをしている。

また、情報交換だけにとどまらず、病気や立地の悪さで、栄養不足に陥っている仲間の木、栄養を届ける手伝いもしている。

場合によっては、本来は競争相手である違う種類の木にさえ、情報や栄養を運ぶ働きをして居る可能性さえある

違う種類の木同士は、競争相手で、基本的には、互いに相手を追い出そうとして競っているのだが、菌類はいわばその仲介をしている。
結構な商売人だ。

こうすることは、実は森の多様性を維持することに繋がり、ひいてはみんなにとっていいことになる。
例えば、森が一種類の木で占められてしまうと、木にとっては勝利した様に思うが、環境の変化や病気によっては、全滅してしまう様なことが起きる。

そんな時に、他の種類の木があると、その木はその災害から生き延び、森の環境は維持される。
そうすると、全滅した木の若木は、またそこから育つことができたりするのだ。

どういうことか、もう少し詳しく言うと、親木が倒れてしまうと、親木の占めていた空間が空いて、日光が直接差し込む様になる。
それは、若木にとって結構なことだが、問題がある。

親木が繁茂している森の中では、若木が生えている下の方まで届く光は、3%くらいだと言われる。
そんなところに生えている、若木の葉は、柔らかく繊細なのだ。

そこに強い日光がまともに当たると、若木の葉は火傷をしてしまう。
火傷は怪我だから、当然体力が落ちる。
若木の葉が強い日光にも耐えられる様になるには、1年から3年かかるのだ。

さらに、親木が総倒れになって、広い空間ができると、風通しが良くなって、森は湿気を失う。木は湿気のあるところを好むのだ。

ところが、他の種類の木が無傷で立っていると、この環境の激変が防げて、若木が成長していく時間稼ぎができるのだ。
もちろん、森が健全で湿気に満ちていると、菌類にとっても都合がいい。

また、菌類は医療的な観点からも、木を守っている
菌類は、木にとって有害な他の菌類やバクテリに対するバリアの働きをしている。また、時には植物ホルモンを出して、気の成長を促したりする。

土中の重金属を濾過する働きもする。
重金属は木にとっては害だが、菌類には無害だ。
菌類は土中から、重金属を集め、それを子実体(いわゆるキノコ)に集める。

チェルノブイリで、放射性セシウムがキノコの中で見つかるのは、このメカニズムによる。

もちろん、菌類は木にとって有用なものだけではない。
種類によっては、木を食い尽くす様なものもある。
前述のオレゴン州のナラタケは、森林を枯らしている。

木と共生している菌類は、サービスを木に一方的に提供しているわけではない。当然、報酬を要求する。
その要求額は、木が光合成で作り出す、糖分の3分の1という。

さて、この要求額を多いと思うか、妥当と思うか。
私は、少し取りすぎの様な気がするが。
なにか、菌類に木が飼育されているような、そんな気がしてきた。

虫とバクテリア
我々は、見えるものしか見ていない。
森を見て、木を、鹿や猪、鳥、蝶などだ。

木が生えている地面に関しては、ただ在るというくらいの感じだ。
しかし、この地面、土の中には、目に見える世界以上の生物が存在している。

茶匙1杯分の土の中には、菌類、バクテリア、虫等、地球の人口以上の生物がいるのだ。そして、朽ちた木や落ち葉を分解して次の世代の木の栄養を作ってくれる。

それも、何種類もいる。
例えば、ササラダニと呼ばれるダニは、1000種類を超えるものがあるという。

彼らがいなかったら、森は落ち葉が何メートルも積み重なってしまう。
また、ゾウムシというのがいる。
これも、落ち葉を食べてくれる。

これらの虫の特徴は、とても小さいことだ。
尚且つ、生活環境的にあまり動く必要がない。
そんなこともあって、1年間に移動する距離は、10mに満たないといわれる。

ここで、問題が生じる。
農地であったところに植林して森を作ろうとしても、この様な土壌には、森の中のような、菌類やバクテリア、虫が存在しないことになるのだ。

これは、気の健康や寿命にとって大きな問題になってくる。
どこかに木を植えれば、自然に森になるというわけではないのだ。

ましてや、人工的に植林されたところでは、木の先輩達がいない。
そこで、色々教えてもらうとか(そう、木は自分たちの子供を教育するのだ)、助けてもらうことができない。

それでも、年月が過ぎると、ある程度自然に戻る。
しかし、これは思っている以上の時間がかかるとわかってきている。
最低、100年は必要だと推測されているのだ。

我々は、森や原野を切り開き、都市を作り、公園を作ったりしている。
また森林を伐採して、等間隔に一定の種類の木を植林したりしている。
そこには、木や花を生きた置物の様な感覚で、植えたりしているわけだ。

だが、これは、根本的に間違ったやり方のようだ。
それに気づいて、我々の自然に対する関与を改めたとしても、自然が回復するには、数百年単位の時間がかかる。

絶望的な気持ちになるが、それでも、とにかく始めるべきだと思う。





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