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静かなること林の如し・・・ん?      #2 樹木たちの・・・


木というのは、一本一本が、それぞれ独立していて、我々から見れば、孤独にただただ静かに佇立している。そんなイメージだと思う。

だから、木々の間に、にコミュニケーションなどない。そこが、動物と大きく違うところだ。と大抵の人は、思っているのではないか。

違うようだ。

キリンは、アカシアの葉が好きでよく食べる。
アカシアの木は、キリンがあの長い首を使って、葉っぱを全部食べたらたまらないで、葉に有毒物質を集めて、それ以上キリンに食べられない様にするという。

キリンは、有毒物質が集まって不味くなったアカシアの木の葉っぱを食べるのを諦めて、違うアカシアの木の向かうという。まあ当然だろう。

この時、隣の木ではなく、100メートルほど離れたアカシアの木に向かう。なぜかというと、アカシアはキリンに葉を食べられると、有毒物質を葉に集めるだけではなく、災害が近づいていることを周りの仲間に伝えるために、警報ガス(エチレン)を出す。

警告された木は、急いで災害に備えて、葉に有毒物質を集めるのだ。
つまりは、隣近所のアカシアの葉っぱは、もうキリンにとっては旨い葉っぱではなくなっている。

そこで、この警報ガスの届かない距離に生えているアカシアにキリンは向かう。

また木は、害虫に葉や幹を食べられると、害虫の天敵が好む臭いを出す。そうすると、その木には天敵の大好きな害虫がいるということが、天敵にわかって、一斉に害虫の天敵が押し寄せ、害虫を退治してくれる事になる。

ちなみに、木にはどんな害虫がついたか区別できるそうな。
虫が葉を食べるときに出す唾液で見分けているという。
ということは、木には、一種の味覚があるということになりませんか、です。

これは、匂いというか、芳香物質を飛ばして周りに木に警告を発する方法だけど、木は他に根を通して警告を伝え合っているという。
害虫の攻撃を受けている木からの信号(電気信号)を根を通して受け取ると、ナラの木なんかは、葉に有毒物質(タンニン)を蓄積する。

じゃあ、一匹狼の様に、離れたところに立っていて、隣の木の根が近くにない木はどうなるか。

同じ様に警告を受け取る。
どうやって?

実は、地中の菌類がこれを媒介している。
菌類というのは、森の中の土をスプーン一ですくうと、そのスプーン一杯の土の中に含まれる菌類の長さは数キロに及ぶという。

それくらい、菌類は森全体に広がっているので、この菌類が木の根からの信号を離れたところに立っている木の根に伝えるのだという。

菌類というのは、枯れた木を食べて生きているのだから、木にとっては害虫と同じく天敵みたいなものかと思ったら、それは死んだ木についてだけ。生きている木に対しては、むしろ助ける働きをしていることになる。

コミュニケーションというのは、情報を伝え合うことだとすれば、木々はコミュニケーションを取り合っているということになる。

ところで、この仲間の木からの警告に反応しなかったらどうなるか。

害虫は、その木を集中攻撃をする様になるという。
警告に反応しない。コミュニケーション能力が落ちている。その木は衰弱している。食べ易い。それいけ!ということらしい。

このコミュニケーションは、大きな木だけでなく、低木あるいは草も、森の中に生育している全ての草木で行われている可能性があるという。

ところが、農耕地の草木は、このコミュニケーションをしていないという。
品種改良によって、空気や地中を通じて会話する能力を大部分失っているのだという。また、菌類も大規模に生育できていないので、そもそも地中のネットワークが作られていないこともある。

だから、農耕地の植物は害虫に弱いのだとか。


ところで、話すとは何か。
互いにコミュニケーションを取るために、音声という手段を使うことだ。

目的は、音声ではなく、コミュニケーションを取ることだ。
メールでラブレターを交換している恋人同士は、話し合っているとは言えないか。仕事の問題点について、顧客とメールのやりとりは、仕事に関して話し合っているとは言えないか。

もっと言えば、言葉の不自由な人が、手話をするとき、それは話していないのか。そうではあるまい。

と考えれば、手段は、音声に限らず、およそ五感で感知できれば、なんでもいいはずだ。

そう考えれば、樹木たちは、いつも話し合っていると言えるのではないか。


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