見出し画像

K君の思い出 転校

K君が入門してから、どれくらい経っただろうか、一年は経っていたと思う3年は経っていなかったように思う。

お父さんの転勤に伴って、K君も県外に転校することになって、お母さんが挨拶に来られた。
初めてお会いしたが、若い綺麗な方だった。

息子が本当におせわになりましたとお礼を言われる。
私は、子供たちの父兄と直接お会いする機会は、ほとんどなかったこともあり、ご丁寧な方だと思ったことを覚えている。

まあ、儀礼的なものだと思って、いえどういたしましてくらいの反応を淡々としていたのだが、お母さんは、なかなか帰ろうとせず、何か物言いたげな雰囲気が伝わってきた。

私は、子供たちの指導中だったので、半分そちらに気が行っていて、そのお母さんの気持ちに寄り添うことができなかった。

お母さんが言われるには、去年の夏休みに長野の実家に行った。その時、K君が、おじいさんおばあさんの前で、「僕、1時間正座する(2時間だったかも知れない)」といって、そのまま1時間正座し続けたそうな。

その姿をみて、おじいさん、おばあさん、そこにいたみんなが感激して大泣きしたという。この話をしながら、お母さんが声を詰まらせられた。

私はというと、「正座? それが何か?」みたいな感じで、ポカンとしていた。正座なんて、道場では、いつもしているし、させている。
どこに感動して、大泣きしたり、声を詰まらせる要素があるのか、不覚にもその時は、全然気づかなかった。

お母さんが続けて言われるには、今度転勤する先でも、同じ流派の道場に通わせるように段取りをしているという。私は、同じ流派でも、私が教えるんじゃないしなと、ちょっと不安に思ったことを覚えている。

何度も、お礼を言い、私がボケをかましているので、感謝の心を伝えきれないもどかしさみたいなものを抱えながら(後から考えると)、お母さんが帰っていかれた。

その後家に帰っても、お母さんのもの言いたげな姿が気になって、一体なんだったんだろうと考えた。

あっ、K君は、知恵遅れだった(この表現は、まずいのかも知れないが他の言葉が思いつかないので、ご容赦)。

牛の目のような優しい目をして、心の芯がどこにあるのかわからないような、親や祖父母にとっては、とても心配な子供さんだったのだ。

そのK君が、自分の意思で、自分が価値があると認めたこと(正座を1時間する)をやると宣言し、それを成し遂げたのだから、嬉しかったのだろう。

私は、このことを全く忘れていた。
なぜなら、その頃、K君は普通になっていたから。

目は優しい牛の目ではなく人間の目をしてちゃんと光っていたし、空手も特別上手と言うわけではなかったが普通だった。つまり、普通に下手だった。

だいたい、印象に残る子というのは、悪戯坊主か悪ガキ、あるいは特別空手の上手い子(悪戯坊主や悪ガキの方が印象深い)で、普通の子は上手くても下手でも(だいたい下手なのだ、私に比べりゃ)印象に残らない。

K君は、問題のある子ではなくなっていたので、私はお母さんの気持ちがわからなかったのだ。私がK君を問題を抱えている子と認識していれば、お母さんの気持ちに寄り添い、一緒に喜んであげられたのだ。

しばらく、そして、今でも後悔している。

言い訳になるが、当時、私は、どんな子でも、ちゃんと鍛えれば、ちゃんとなる、当たり前だろう。どこに不思議なことがあると本当に思っていたのです。

でも、今考えると、K君は本当に知恵遅れだったのだろうか。
私が1回教えただけで、彼にしてみれば、世界観の変更、パラダイムシフトのようなことをやってのけている。それも複数回。

世界観の変更は、大人だって難しい。
わかることはできるが、それを実際にやってのけるというのは至難の業だ。
それを易々とやって自分のものにしたのだ。

もしかしたら、私はえらい天才を相手にしていたのかも知れない。
そうなら、今頃彼は、あの時自分で見つけた、価値の中心、あるいは心の芯を頼りに、壮大な世界を構築して大成しているかも知れない。

サポートしていただけるなんて、金額の多寡に関係なく、記事発信者冥利に尽きます。