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小3くらいまでを振り返ってみる①

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とにかく褒められること、自分を認めてもらうことが好きだった。
絵を描いて上手と言われること。
幼稚園のかけっこなどは、1位でなくても、まあ2位、3位でもよかった。
下位でなければ、周囲は頑張ったと思ってくれると認識していた。
親戚の集まりでは、その年の彼らの誕生日の曜日を当てる技を披露して、得意になっていた。

イヤなことでも、人からダメ評価を受けないためなら、頑張ってクリアする。
小さい話だが、苦手な給食を頑張って時間内にクリアすること。
クラスメイトの一人が、どうしても食べられなくて、昼休み後の掃除の時間になっても、まだ食べられず、ホコリだらけの給食を前にじっと座ったまま、そんな彼を軽蔑した目で見ていた自分も確かに存在した。

小2の時は、縄跳びに命懸けだった。
あや跳びとか、二重跳びとか、後ろ跳びとか、それらを組み合わせた飛び方とか。
回数という分かりやすい基準で、ただただ先生から評価されるのが嬉しかったのだろう。
そんな感じなので、テストの点数は80点だと少し悔しく、何か問題を勘違いして40点とかとった時は、自我崩壊危機だったかもしれない。
縄跳びも別に好きだったか、と聞かれるとそうでもない。褒められるためのツールだけだったかもしれない。

この頃、自発的に好きだったのは、電車、そしてそれを自分の部屋で再現することだった。

電車はもっと小さい頃からずっと好きだった。
母が千葉から東京の実家に帰る時に、いくつもの電車を乗り継いで行くのだが、そんな思い出も影響しているのだろうか。

特に小学生に上がる前の思い出は電車にまつわるものが多い。
母はよく実家に帰っていたと思う。その母の楽しみを自分自身が感じることができて、それが楽しい空間、時間だったからなのか。
一番鮮明に記憶しているのは、母方の祖母の入院先にお見舞いに行った思い出、でもその帰りの夜はなぜか父と一緒に帰った。切符を買うのに1万円札しかなくて、その1万円札をくずすため、売店でお菓子を買ってもらったシーン。
そして翌朝、父から祖母が亡くなったことを聞かされた。
その大好きだった祖母の死、その日そのまま通夜に行くために乗った電車のシーンも憶えている。

記憶が鮮明なのは、非日常だからだろうか。
当時は電車に乗ることは非日常。
非日常そのものは、今でも大好きでワクワクする。

その非日常を味わうために、電車や駅を自分の部屋で再現していたのだろうか。
図鑑がホームで、電車のおもちゃをホームに滑らせる。電車に乗った時に、情景を記憶して、自宅で再現する。
自分が好きだった車両が、おもちゃにない場合は、牛乳の空きパックに絵の具を塗って、それで遊んでいた。
常磐線沿線に住んでいて、好きだった103系の千代田線に乗り入れる方の1000番台。
白い車体にエメラルドグリーンの帯。
緑と白の絵の具、白多めでこの103系1000番台のエメラルドグリーン帯が再現できた時は嬉しかった。

あと他に好きだったことは、数字にまつわるもの。
時計、カレンダーとか。
今でもつい、世の中の仕組み・ルールの紐解きをしてしまう癖に通じている気がする。
鉄道のダイヤパターンの解析とか。価格設定の意図とか。
人が設定したルール、仕組みの設定意図を想像するのが、好きというか…
人間の奥深い心理やエゴ、謀略論につながる壮大な話にもなってしまいそうだ。

過去の自分を思い出し、客観的に見る作業、
今のところ、なかなか面白い。

次回へ続く

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