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2024.02.11

私が小学6年生だった頃のこと。

当時、転校したばかりだった私は学校に居場所を作れず、馴染みきれず、心許せる友だちがいない環境にいました。

靴を隠されたり、持ち物を捨てられたり、暴言を吐かれたり、そんな感じの学校生活でした。


そんな私は、インターネットの世界で私の心を癒し守っていました。友だちと呼べた人は近所のネコと、そこで繋がった人達でした。

その中に、共通して別のバンドが好きで仲良くしていた人がいました。
その人が一度、かなり興奮気味でメッセージを送って来たことがあります。


「バンプのray、めちゃめちゃ良いぞ」、と。


バンプやrayの言葉の意味も、何も知らなかったわたしは、「なんの事やら…」とググッてBUMP OF CHICKENというバンドに辿り着いたのでした。

「めちゃめちゃに良い、めっちゃ良い」

確かそんな風に返信した気がします。

これが私とBUMP OF CHICKENの出会いでした。


 それから近所のTSUTAYAに駆け込んで、アルバム「RAY」をレンタルするまで、そう時間はかからなかった気がします。
 ウォークマンに入れたそのアルバムを、塾の行き帰りにも、学校に行くまでの少しの時間も、何度も何度も聴いていました。

【大丈夫だ この光の始まりには君がいる】

苦しくとも、悲しくとも、転入する前の東京での生活や友だちを思い出しながら、過ごす日々でした。


先述したような学校生活は中学校に進学してからもあまり変わらず、苦しい日々を送っていました。

「いやだ」「やめて」が通用しないし、仲直りが出来ないことも知りました。
小学生の頃に比べて先生の権力はますます弱まり、大人の力ではどうにもならない事が増えていきました。

行きたくなくても行かなくちゃいけないし、休めないし、逃げちゃダメだ、行かなきゃ、と毎朝自分を奮い立たせるように、jupiterというアルバムの1曲目、「Stage of the ground」を聴いていました。

【飛べない君は歩いていこう】
【絶望と出会えたら手を繋ごう】


そんな頃、わたしはTwitterを始めたのでした。BUMP OF CHICKENを教えてくれた人ともそこから5年以上に渡ってダイレクトメッセージで会話を続けていました。

Twitterでは同じようにバンプが好きで仲良くなった人がたくさんいます。
同い年で同じようにBUMP OF CHICKENが好きな子を見つけた時の興奮は、それはもう嬉しいだけでは足りないくらい嬉しかったな。

そんななかでも当時は(と言いつつ大学の最初くらいまでこんな感じだった気がします)自分も言葉や配慮が足らず、「察する」という行為も今よりも下手くそでした。
インターネットの世界で傷つけられたこともあったけど、自他の境界線が上手く引けず、人を傷つけてしまったことの方が沢山あったように記憶しています。

もし、その頃私と関わりのあった人がこれを見ていたら謝りたいです。本当にごめんなさい。許さなくてもいいです。ごめんなさい。

今思えば学校に居場所がなかったのも、そんな自分の特性が濃かったからことも理由の1つかもしれません。

人とのコミュニケーションが上手く取れず、やっと学校で仲良くなった友だちとも喧嘩が増えていました。
「自分はどうしてこんなに上手く人と話せないんだろう」そんな感情をずっとSNSに吐露し続けていました。
 

自分の気持ちや思いをうまく伝えられないこと、心が苦しいこと、そんな自分を癒すために音楽を聴くようになりました。
少しずつウォークマンにBUMP OF CHICKENの楽曲が増えていきました。
次々と色んな曲を聴くほど思ったのです。

「どうしてこの人たちは私の気持ちがわかるんだろう」と。



時は流れ、そんな私も高校に進学をしました。
「高校生になったら…!」「環境が変わればきっと…!」そんな淡い期待も入学して1ヶ月程で消え去っていました。


中学の頃とは比にならないスピードで進む授業、深夜3時まで起きていないと終わらない課題、毎朝2年後の大学受験の話をされ、歴史の穴埋めプリントが分からないと怒鳴られ、物理や数学の法則もちんぷんかんぷん、体育でペアは作れないし、お昼を食べる友だちもいない。

相変わらず教室に馴染めず、ふわふわとさ迷いながら過ごしていました。


そんなある日、学校内で見覚えのあるトートバッグを持っていた人を見つけました。
BUMP OF CHICKENのツアーグッズのものでした。

身近な環境で同じバンドが好きな人がいること、それはそれはもう大興奮の3文字では足りないほどの興奮でした。

学校が終わってからすぐ、バスの中で「バンプ (高校の名前)」「BUMP OF CHICKEN (高校の名前)」「BUMP (高校の名前)」といった感じで、Twitterで何度も検索をかけてみたのでした。

ある鍵付きアカウントに辿り着きました。
恐らく例のBUMPトートの方でしょう。

いや、違う人だったらどうしようか、いや同じバンドが好きな人なら話せるんじゃないか、どちらにせよ同じバンドが好きなら仲良くなりたいじゃん…?

意を決してフォローリクエストを送りました。
すぐさまフォローが帰ってきて、DMが届きました。

「もしかして1年生のバンプリュックの子?」

 バンプトートを持っていた人は、私より2学年上のキヨ先輩という方でした。

学校は校則も厳しく、学校生活に関係の無いものはすべて持ち込み禁止、実を言うと学校内だけではなく、行き帰りの通学路でもスマホの使用が禁止されていました。

少しでも自分の好きなものを身につけることが自分を守る鎧になることを知っていたので、当時通学にはバンプのグッズのリュックサックを使っていました。

キヨ先輩もそんな私を見つけてくれていたようです。

そこから先輩と仲良くなるのも時間はかからず、先輩が入っていた演劇部に誘われました。

体験入部に来た私を、キヨ先輩をはじめ他の先輩方も私を温かく迎えて下さいました。
自分が教室で馴染めずにいること、いつも圧力をかけてくる担任のこと、同級生のことを話すと、
「じゃあウチらとお昼ご飯食べようよ!」と言ってくれたのでした。

しかし、成績も悪く学級内での人権がなかった私は、昼休みに自分の教室以外でお昼を食べることを禁止され、キヨ先輩たちとのお昼ご飯は叶いませんでしたし、担任から入部届も貰うこともできなかったので演劇部への入部も叶いませんでした。

それでも放課後に演劇部で過ごした時間は豊かと呼ぶ他なく、わたしの中で大切な青春の1ページです。帰り道に先輩たちと駅にある自販機でアイスクリームを買って食べたことを、ずっとずっとお守りにして今も生きています。

部活があった帰り道では、リリースされたばかりの「記念撮影」を聴いていました。

【迷子のままでも大丈夫】
【僕らはどこへでも行けると思う】




しかしそんな私にも限界が来たようでした。

夏休み前、学校に行くために駅のホームで吐き気を催すようになり、具合が悪く、駅で動けなくなることが増えていました。

そしてついに私は学校に行けなくなってしまったのでした。

ほとんど布団の中で動けず、泣いたり喚いたりしていました。
それでもずっとBUMP OF CHICKENを聴くことは辞めずにいました。

「望遠のマーチ」を聴くことが多かったように思います。

【心はいつだって 止まらないで歌ってる】
【死んだような今日だって】
【死ねないで叫んでる】


少しずつ心に元気を取り戻し始めた私は、秋の終わり頃には新しい学校探しをするようになり、12月からは別の高校に通うことになりました。



そして、遂に運命の日かやって来ました。
その年のCOUNTDOWN JAPANというフェスにBUMP OF CHICKENが出演することになり、なんと運良くその日のチケットを手に入れることができたのです。

うれしくてうれしくて、指折り数えながら
12月28日を心待ちにしていました。

EARTHステージはたくさんの人が集まっていて、4人の姿は見えなかったけど、音楽はしっかりと届いていました。

「生きるのはさいこうだ!」

生きていて良かった、そんなことを思えた日でした。


こうして通信制の高校に編入した私はその後もぬるぬるぬくぬくと生活をし、ぬくぬくと過ごしすぎたせいで1校しか引っかからなかったものの、大学進学が決まったのでした。



高校を一旦やめて、心の問題は解決したと思っていたのですが、大学入学から半年経ったくらいの頃でしょうか。
少しずつまた黒い感情が心を蝕んでくのを感じていました。

全く教員志望ではない私は、周りとの温度差にまたもや馴染めず、自己肯定感がどんどん低くなり、遂には自分に対して自分の言葉で自傷をするほどでした。(だいぶマシにはなりましたが、今でも辞められないことがあります)


かと思えば「自分サイコー♪」な気持ちになることもあり、自分で自分の激しすぎる感情の浮き沈みを自覚するようになりました。

医者にかかり、自分のそういった症状に病名が付くことになりました。


そんな頃でしょうか。とんでもないニュースが飛び込んできたのです。

【NHK『BUMP OF CHICKEN 18祭(フェス)』の開催が決定しました。】

18祭?あの?RADWIMPSがやってたやつ?

BUMP OF CHICKENが?そもそもバンプって18歳世代なのかな、いやでも待て待て待て


募集要項をよく見てみると、自分も応募出来る年齢なことが発覚したのです。

いや、待て、応募出来るじゃん、するしかなくね?いや、でも自分のことを動画にするって何?自分で顔出しして喋らなきゃないやつか、自分の顔を?ええ、なんか嫌だな。てか応募したら落ちる可能性もあるってことでしょ?だったら応募しない方がよくね、、、、

そんなことを思っていた矢先、中学生の頃Twitterで仲良くなった、例の同い年の友人から電話がかかってきました。

『もうこれ、応募するしかないでしょ?』

そんな友人の一言に流され、応募を決めたのでした。


1分で自分のことを話すのは難しかったし、さらにもう1分で自分のことを表現するのも難しく、もういいかな、辞めちゃおうかな、別にいっかなー、こんな私だし。私なんかが…………

と思いました。なんならその気持ちの方が強かったです。でもあの友人の言葉を思い出すのです。


『もうこれ、応募するしかないでしょ?』



10年近く、ずっとBUMP OF CHICKENを聴いてきました。
インターネットの彼にバンプを教えてもらったあの日から、学校が苦しい時も、素敵な先輩に出会えたら時も、初バイトに採用された日も、人生で一番最初の彼氏に振られた日も、家出を試みた日も、ずーっとずーっと彼らの音楽に支えられてきました。

これを、こんな形で彼らに届けられるのは(ご本人に見て頂けたかは分からないけどそういうことにします)、こんなことはそう滅多にあるもんじゃない、あったとしてもそれを届けられる権利を得られたのは偶然に過ぎない。

こんなチャンスがあるんだぜ。
逃してたまるか。



何とか動画を取り、編集を終えて応募を終えたのは、締切の本当にギリギリでした。
それでも自分の出来る精一杯を出し切ったなあと思っています。


結果の連絡を貰うまでずっと毎日そわそわ過ごしました。

なんとどういう訳か1次審査に通過。


嬉しいやら恥ずかしいやら、ぐるぐると感情が渦巻きながら、練習用の楽譜と音源を受け取りました。

曲のタイトルや歌詞の全容が明かされずとも、コーラスの節々や音から
「ああ、私はこれからBUMP OF CHICKENの楽曲を歌うんだなぁ」ということを実感して、うれしくてうれしくて仕方がなかったです。

それから毎日電車の中で練習用の音源も聴いていたし、楽譜を開いて練習もしました。
それをずっとずっと糧にしていました。


しかし、少し恐れていたことが起きてしまったのてます。
自分の感情の波が、急降下していきました。
持病の特性上、そういった波は自力でコントロールできないものなので、ただやり過ごすしかありませんでした。
1ヶ月以上学校に通えなくなったし、殆どベッドの上で訳もなく泣き続けてばかりいました。
しにたい。しねない。しにたい。でもしねない。

そんな中でメンバーのコロナ感染により、18祭の開催が延期されることとなりました。

メンバーにはゆっくりしていて欲しいな、と思いつつ、少し安心してしまいました。私もゆっくりしよう、少しずつやってこう。少しずつそう思えるようになりました。



ゆっくりと調子を取り戻し、年が明けて2月くらいには幾らかマシになりました。


3月、18祭のリハーサルの日がやって来ました。

練習会や交流会でもうまく参加者の子たちと話せなかったし、友だちが出来るかはわかんないな、でもバンプと歌えるならそれでいいかな、とあまり期待をせずに会場に向かいました。

緊張してドキドキしつつも、周りにいた参加者の子たちはみんな優しくて、暖かくて、少しずつ心がほぐれていきました。


そして本番の日。
どきどきそわそわわくわくどきどき

感情を表す4文字が全部連結して、頭の中でぐるぐると円を描いて回っていました。

ずっとずっと大好きな、大好きじゃ足りないくらい大好きなBUMP OF CHICKENが登場した時、それはもう胸がいっぱいになって溢れていました。


あの、ずっとずっとイヤホン越しに、マイク越しに、ライブに行っても姿が見えなかったり、米粒くらいのサイズだった人がこんなに近くに、マイクを持って、ギターを弾いて、ベースを弾いて、ドラムを叩いてる

ああ、BUMP OF CHICKENだ、私はこれからBUMP OF CHICKENと一緒に音楽を作れるんだ、なんて、こんな幸せなことがあっていいのか?


本番中はただただ嬉しくて、楽しくて、ずっとずっとずっと笑いっぱなしでした。
こんなに幸せを感じた時間は、きっとこの先も滅多にないのではないでしょうか。

そして本番終了後、記念撮影の後に藤くんがこんな話をしてくれました。


(以下18祭の事務局に確認し、SNSに掲載許可を頂いている話です)
(若干ニュアンス)
(違うところもあるかもしれません、すみません)


『そういえばこのバンダナ(バンプが身につけていたものを指して)、貰った?』

『4人で話し合って作ったんだ、形に残したくて、みんなでお揃いね』

『就職するやつもいるかもしれない、便所で1人で泣くこともあるかもしれない』

『そしたらこのバンダナで涙拭いてくれ」
1003人と便所にいることになるから』

『ぼっちで弁当食べることもあるかもしれないね、そしたらこのバンダナでおにぎり包んでくれよ。1003人と一緒にぼっち弁しよう』

『布団に籠って外出たくない、誰にも会いたくない、でも1人は嫌だってときはこのバンダナを握りしめてくれよ』

『このバンダナは、今日、1004人で歌ったことの証拠だから』


確かに参加者以外のリスナーから見たら、バンダナは非売品グッズ扱いなんだろうし、プレミアなものかもしれない(私たちにとっても宝物だけど)

バンダナは今でもずっとずっと宝物です。額縁に入れて飾っています。

でもバンダナ以前に、この「窓の中から」という曲も、いやもっとその前にリリースしていた楽曲たちも、トイレやベッドのなかで泣いていた私にも、全部ぜんぶバンプはそういう風に、私(たち)をひとりぼっちにしないように、きっとそんなふうに届けてくれてたんだろうなぁ、そうだったよなぁ、きっとそうだよなぁ、、

そういうことを考えていたら、めちゃくちゃに、ぐっちゃぐちゃに、ぼろぼろに、心の中の色んなものが全部涙と一緒に溢れて、自分の体と一緒に崩れ落ちてしまいそうでした。

時間も距離も飛び越えて、彼らの音楽は、私をずっと救ってくれました。

救ってくれたのはきっと「1人にせずに掬えるように」と言葉を紡いだ言葉があったからで。

積み重なった言葉が歌詞なって、それにメロディを付けて、ヒデちゃんがドラムを叩いて、チャマがベースを弾いて、ヒロがギターを弾いて、藤くんがギターを弾いて、曲が完成して、私に届けてくれて、それが魔法になって。


これって当たり前に享受していたけれど、すごいことなんだなぁ、私の好きなバンドはすごいなぁ。




出会えてよかった。本当に。
心底そう思います。



18祭が終わったあと「この先も生きていける!」と思った(ツイートもした)けど、その後も全然世界の終わりみたいな気持ちになることはまあまああったし、しにかけたこともあったし、全部ぜんぶ諦めちゃおうかな、辞めちゃおうぜ、な気持ちになったこともあるし、今でもそういうこともあるけど、
何とか今日ここまで生きることが出来ました。

BUMP OF CHICKENがいたから生きてこれたし、キヨ先輩にも出会えたし、同い年のリスナーの女の子にも出会えた。ライブ会場に行けば笑顔で話しかけてくれる友だちもできた。18祭で大切な友だちが増えました。
そして喧嘩をしまくっていた中学の頃の友人は親友になったし、小学生の私にBUMP OF CHICKENを教えてくれた彼は私の恋人になりました。

すべて私が生きることを諦めなかったから出会えた大切な人達だけど、
諦めずにいられたのはBUMP OF CHICKENの音楽があったからでした。


BUMP OF CHICKENに出会えてよかった。
本当にほんとうに出会えてよかった。


今日はBUMP OF CHICKENの結成28周年。お祝いの日です。

今日のライブのチケットはないけれど、大好きな友だちがたくさんいる会場に、大好きな友だちと一緒に行きます。
久しぶりにキヨ先輩にも会えちゃうんです。

明日はなんとチケットが手に入ったので、ライブに行けます。

何と、BUMP OF CHICKENを教えてくれた恋人と一緒です。


まだ現時点でなにも準備が終わってないし、寝起きで頭もぼっさぼさだけど、今日からの2日間がとてもすばらしい日になるんだろうなぁ!
と考えています

28さいになったBUMP OF CHICKENへ!
音楽をわたしに届けてくれてありがとう!
ずーっとずーーーっと、大好きです。


めちゃめちゃに長くなっちゃったけど、読んでくれた人がいたらありがとう。

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