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てきとーにっき43

昭和が中々崩壊しない。
というのも昭和といえば一億総中流。
結婚して父親が働きに行って母親は専業主婦、
一軒家を買って、デカイ車を買う。
そういったロールモデルとも言うべきプロセスが現代では中々達成しづらい中、我々は辛くてもそのプロセスを行わなければいけないと勘違いしている。
そういったニーチェの言う背後世界に囚われて過ぎている原因の一つがインターネットの存在だろう。
インターネットはなんとなく若者の居場所というイメージはあるが、それは20年前の印象で逆に言えばその時代の若者が20年と年を取っていることを鑑みるとむしろおっさんの居場所である。
その40のおっさんが見てきたのは先程上げたロールモデルである親を見てきた訳で、子が親の考えに従うことでインターネット上にそのロールモデルに従わなければならないという風潮が蔓延る原因だと考えられる。

ようやくそのおっさんの子供に当たる世代がこのロールモデルに従うのはおかしいんじゃないかと気づいてきた。
しかし言うまでもなく日本は少子高齢化であり、母数としてはおっさんの子供よりおっさん、さらにおっさんの親が多いので中々ロールモデルに抗えない。

逆に抗うのではなく、別の方法を考えてみたい。
結婚して家族を設けるというのは一切否定しない。
家族という閉じた境界を開いたものにしていきたい。
「うちはうち、外は外」という考え方ではなく、例えば隣人もうちと、考えていく。閉じることの危険性というのは、DV、ネグレクトなどそういったものに繋がりやすい。学校のいじめなんかがその例に挙げられる。家族が増えるということは、何も子供が増えるだけではない、
親も増えるということだ。これまで二人の親同士が必死こいて支え合う意味は正直無い。やはり性の違いから考え方の衝突は免れない。親が増えてしまえば同性同士で慰めあうこともできる。

また、老後のことも考えたくなる。やはり家族が多いとその分介護はしやすい。何も全員の親が一気に要介護者になる訳ではないので何かあったとき相談できる。また、孤立も避けられる。
私は所謂一人っ子だが二人の親が要介護者になってしまうというのは全然あり得る話で、流石に仕事も辞めなければならないだろう。それが本当に昔から怖いと思っている。

なんとなく他の家族には手を出してはいけない、踏み込んではいけないと勝手に聖域化しているフシがある。結局のところそれをする理由もない。このままロールモデルに縛られていては、自分で自分を苦しませる羽目になる。
まずは隣人を愛してみよう。

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