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7.私の適応障害

きっかけ

息子が高校生となった春。
ゴールデンウィーク明けから息子が不登校に。

当時の元夫は単身赴任中で、もともと夫婦関係も父子関係も悪く...
ちょうどこの少し前から離婚話も出始めていましたが、私は正直、息子の対応でいっぱいいっぱい。

このままだと進級が難しくなる。
留年か通信制高校へ転学か。

毎朝のように休みますと電話をかける辛さ。
たまに学校に行けた日も保健室からパート先に息子が体調が悪い言っていると電話がかかってくるそんな生活。
(ちょうどコロナ禍でした)

そして当時の在籍高校から
学校になかなか行けない息子を
心療内科に息子を連れて行くよう勧められ、そこで初めて息子には生まれ持った生きづらさがあるとを知ることになります...

予想していなかった事が次々と起こるワンオペに並行しての離婚協議は『キャパオーバーだった』この一言につきると思います。

通院

今思えば、すぐにクリニックにお世話に
なれば良かったのですが、
若い頃パニック障害をしていた私は
発作がないからまだまだいけると...。
パニックと違い乗り物にも乗れるし、
じわじわ辛いだけだからと甘くみていたんですよね。
ただ気がつくと毎朝、涙が止まらない。
仕事中でも泣けてくる。

いつの間にか自分の中に
消えてなくなってしまいたい
という気持ちが芽生えはじめます。

ある日、Yahooのバーナーに生きているのが辛い人へというような文章を見つけ...
この『消えてなくなってしまいたい』との一文があったのです。

それを見た時にこれはもうダメだと。
なんとかしなければいけないのだと理解しました。

息子が当時の高校から促され通っていた心療内科に、私もお世話になる事を決めました。
現在もまだまだ通院中ですが、先生が優しいので通院自体も安定剤みたいな感じです。

今回はこの辺りで。
よりみち、ありがとうございました🍀

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