志の輔落語考

はじめて落語で泣いたのは、志の輔さんの落語だった。
噺は『メルシー雛祭り』
以来、チャンスがあれば志の輔落語を聞いている。
この1年、いろんなチャンスがあり、実際に3回リアルに聞きに行き、
さらにDVDで10話ほど観て、録画してあったWOWOWのを観た。

切羽詰まった状況で頑張る人の面白さ。

志の輔さんの創作落語には、フツーの人が出てくる。その人は決して落語に出てくるような事とは関係のない、どこにでもいるような人。公務員的な生活を送っている人。その人が聞いている人の代表として出てくる。そんな人が、毎日の退屈の中で、どうしてもダレてしまい、手を抜いてしまう。もしくは、些細なミスをしてしまう。そのミスが大惨事に向かう。というかミスが発覚した時点で、大事になることの予想がつく。そんなミスをしでかしてしまう。四面楚歌。その主人公は、自分では、もはや、どうにもならない状況の中で、取り繕うとする。

一回切れる!ことで吹っ切れる。

さらに事態は悪くなる。頑張っているのに結果が悪い方に来るので、そこで一旦主人公は、ブチ切れる!自分がミスしたことは、そんなに大きなミスではなかったはずで、そんなに咎められることではなかったはず!と周りに愚痴をこぼす。ココが何とも人間的だ。きれいごとではない。切羽詰まってものすごく真剣に頑張っているのに、事態が余計悪くなる。そりゃ、文句の一つも言いたくなる。そこに最初の納得感がある。人間味がある。でも、そこでそういっても始まらない。と吹っ切れる。そこからは、追い詰められた人の真剣さの面白さ。万策尽きるまでいろんなことを考える。この主人公は、本当に人間的で、そのミスも、うっかり誰にでもありそうなミス。責任は自分にあり誰も責めることはできない。ミスしたのは明らかに自分。

周りの人たちの協力の美しさ。

そして、その主人公の頑張っている姿、彼の人柄から周りの人たちが、何とかしてあげたいと頑張る。応援してくれる。それが最後に報われる。彼の些細なミスを全員でカバーして、思いもよらなかった幸福な結末が生まれる。普段が、事故になることで、棚からぼた餅以上のものが落ちてくる。彼の頑張り、それを献身的に支えてくれた人たちの努力が報いられるのだ。その形は決してミスが無くてよかったね!と簡単には比べられない。どちらがよかったか?を越えたところの結果を招く。

みんなに降りかかるかもしれないという共感性。

考えてみたら、日常にはそんなことがたくさんある。ふとした気の緩みで忘れ物をしてしまったり、普段はしないようなお酒の席でミスしたり。それが落語という創作の世界で、誇張される。だから私たちはその世界のその主人公の気持ちになり、納得し、応援し、最後に涙をもらう。

彼の落語は1時間そこそこのなかで、明らかに映画を見たような、そんなお話が展開される。ハリウッドの壮大な物語ではない、そこらへんで起きそうな、それでいてハリウッドよりも盛り上がり、笑い、泣く。たった一人の話芸で。話芸。そう芸である。芸術である。ああ、また帰ったら、DVDをみてしまいそうだ。

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